L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(4) エリザベート・シーマンさん

前回からの続き。今回は、1907-12年、ベルリン大学の研究所の地下の木工作業所でオットー・ハーンさんと放射線の共同研究をしていた時期に出会った人物を紹介する。研究成果が出るにつれ、フィッシャー先生(9月10日)も認めるようになり、研究所への出入りが許される。次第に、知り合いの輪が広がる。E・シーマンさんもそのひとり。

シーマンさんのご専門は?
植物学者。遺伝学や栽培植物史。マイトナーさんとは異なる専門分野。

どんな関係?
ベルリン大学を舞台に、シーマンさんは学生、3つ年上のマイトナーさんは研究者という友人関係。
マイトナーさんがナチスから逃れてドイツを脱出してからも文通を続ける間柄。最初の出会いから37年後、第二次世界大戦が終わってから、ナチスに対する姿勢の取り方を巡って見解の相違が生じた。

どんな人生?
シーマンさんは、大学の門戸が女性にわずかしか開かれていなかった時から、研究者を目指していた一人。指導教員が力のある先生だったおかげで博士号取得後、専門職につくことができた。ナチスに対しては明確に反対の立場を取っていたため大学で授業ができなくなる目に遭う。戦後は大学に復帰。

エリザベート・シーマン Elisabeth Schiemann 1881-1972 ドイツの植物学者
1881年、エストニア生まれ。父は歴史家。
1887年(6才)ベルリンに転居。
教育
1908年(27才)ベルリン大学に入学。
1909年(28才)リーゼ・マイトナーさん(31才)と出会う
1912年(31才)ベルリン大学で博士号を取得。コウジカビの研究。指導教員はエルヴィン・バウアー先生。
活動
1914年(33才)バウアー先生が監督するベルリン農業大学の遺伝学研究所でsenior assistant。31年まで。
1914年(33才)WWI
1918年(37才)WWI終戦
1924年(43才)教授資格を取得。農業大学で私講師として授業を持つ。
1931年(50才)植物学研究所で客員研究員として研究。作物栽培研究の考古学的アプローチを始める。
1931年(50才)ベルリン大学の教員。
1932年(51才)「栽培植物の起源」Origin of cultivated plants を出版。業界標準のテキストになる。
1938年(57才)リーゼ・マイトナーさんがベルリンを脱出
1939年(58才)WWII
1940年(59才)ナチスの政策に反対の姿勢を示したためベルリン大学の教授職から外される。
1945年(64才)WWII終戦
1946年(65才)ナチスへの対応についてマイトナーさんと意見が食い違う
1946年(65才)ベルリン大学での教授職に戻る。遺伝学と栽培史を教える。
1956年(75才)植物学研究所(このときにはマックス・プランク協会の一部となっていた)を退任。
1972年(91才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_Schiemann
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3