L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(2) マックス・プランクさん

L・マイトナーさんの歩みに影響した人物の2回目はマックス・プランクさんだ。
まず、前回の続きからプランクさんに出会うまでのマイトナーさんの歩みを確認しよう。
1901年(23才)ウィーン大学でL・ボルツマン先生(9月8日)の講義を受講。
1906年(28才)ウィーン大学で女性で4人目となる博士号を取得。ボルツマン先生が死去。ウィーンにいても研究者になる道が開けそうにない。そこでヨーロッパの科学の中心地ベルリンに行って、過去に一度会ったことがあるM・プランク先生を訪ね、講義を受講しようと決意。
1907年(29才)ベルリンに出てM・プランク先生と面談、聴講を認められる。マイトナーさんは聴講と並行してベルリンで自分の研究場所探しを始める。

プランク先生のご専門は?
まだプランクさんがミュンヘン大学に入学したばかりの新入生で、熱力学をやりたいと考えていた頃の話。
同大学のP・フォン・ジョリー先生は「この分野の研究はほぼやり尽くされているから、できることは残った小さな穴を埋めることくらいだよ」とアドバイス。それに対しプランクさんは「僕は新発見をしたいのではありません。熱力学の基礎をしっかり理解したいのです」と回答。その言葉通り、熱したプラチナを通過させた水素の拡散実験を続け、理論物理へと進んだ。量子論の父と称される。

どんな関係?
最初はプランク先生がウィーンから来たマイトナーさんの聴講希望を受け入れ。
プランク先生は特別優秀な女性でなければ研究の道を開く必要はないと考えていた。しかし、マイトナーさんの優秀さを認めたことと、共に音楽好きもあって、次第に親しみを持つようになる。
両者とも時期の違いはあるけれどカイザー・ヴィルヘルム研究所で研究している。
そして共に第二次世界大戦のナチスドイツで大変な目に遭っている。マイトナーさんが故郷を出てベルリンを目指す目標としてプランク先生を選んだのは正解だった。

どんな人生?
少年時代からいつも戦争の影がつきまとう人生、と言える。学問と音楽の才能に恵まれ、仕事でも余暇でも充実した人生を過ごした。ドイツの愛国者だが、ナチスとは合わなかった。カイザー・ヴィルヘルム研究所を運営していたとき、ユダヤ人研究者が追放されるのを見てヒトラーに直訴するが状況は変わらないままだった。さらに息子がヒトラー暗殺事件に関わっり処刑されたため、国賊の父とまで言われて非難される。第二次大戦が終われば立場は逆転。世間の手のひら返しも経験している。ひどい環境の中でも研究は滞ることなく量子力学の父と称され、ノーベル賞も受賞する。けた違いの器量の人物である。

マックス・プランク Max Karl Ernst Ludwig Planck 1858-1947
ドイツの物理学者。
1858年、ドイツのキール生まれ。父はキール大学の教授(法学)。
1864年(6才)第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。日常的に軍楽隊の音楽が鳴る。
1867年(9才)一家でミュンヘンに転居。ピアノ演奏に才能を見せる。音楽を一生の趣味とする。
教育
1867年(9才)マクシミリアン・ギムナジウムに入学。教師から天文学、機械学、数学、エネルギー保存則を教えてもらう。
1874年(16才)ミュンヘン大学に入学。熱力学を専攻。
1877年(19才)ベルリンにあるフリードリヒ・ヴィルヘルム大学に留学。ヘルムホルツ先生やキルヒホフ先生と出会う。
1879年(21才)熱力学の第二法則をテーマにした論文で博士号を取得。
活動
1880年(22才)教授資格を取得。無給の講師になる。
1885年(27才)キール大学のassociate professor(熱力学)。
1889年(31才)フリードリッヒ-ヴィルヘルム大学でキルヒホッフ先生の後任になる。
1892年(34才)フリードリッヒ-ヴィルヘルム大学の正教授になる。
1899年(41才)光の最小単位に関する定数「プランク定数」を発表。
1900年(42才)放射に関するプランクの法則を発表。後にアインシュタインさん、ボーアさんが発展・確立する量子力学の基礎を築く。
1907年(49才)マイトナーさんの弟子入りを受け入れる
1909年(51才)コロンビア大学に招待され講義を行う。
1913年(55才)ベルリン大学の総長。
1914年(56才)WWI
1914年(56才)ドイツの戦争を支援する「世界文明への宣言」に署名。
1918年(60才)ノーベル物理学賞を受賞。エネルギー量子の発見による物理学の進展への貢献。
1918年(60才)WWI終戦
1926年(68才)王立協会外国人会員に選出。
1929年(71才)コプリ・メダル受賞。
1930年(72才)カイザー・ヴィルヘルム研究所の所長。
1933年(75才)ユダヤ人学者の追放についてヒトラーに直接抗議。
1939年(81才)WWII
1943年(85才)ベルリン空襲で自宅を失う。
1944年(86才)次男がヒトラー暗殺計画に関わり逮捕。翌年処刑。国賊の父と言われる。
1945年(87才)WWII終戦
1946年(88才)カイザー・ヴィルヘルム研究所の名誉総裁。
1947年(89才)カイザー・ヴィルヘルム研究所がマックス・プランク研究所に改名
1947年(89才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Planck
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF#:~:text=%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92,%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82