L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(17) エーヴ・キュリーさん

▼今回は番外編的な感じです。
▼エーヴ・キュリーさんはマリー・キュリーさんの次女、エレーヌ・キュリーさんの妹である。
エーヴさんはジャーナリストで化学者ではない。だからマイトナーさんと専門分野での関係はない。しかし、母親と姉を通してマイトナーさんの活動は知っていたはず。というわけでここで紹介する。
▼マイトナーさんとエーヴさんには音楽という共通点がある。マイトナーさんの姉はコンサート・ピアニストで、マイトナーさん自身も弾く。エーヴさんもフランス各地でコンサートを開いたピアニスト。また、長寿である。ナチスドイツの圧迫を受けた点も共通である。
▼身内にごろごろノーベル賞受賞者がいる中で自分の光を放ったエーヴさん。エーヴさんが書いた「キュリー夫人」のおかげで当時の社会の状況を知ることができる。
▼WWIIの間、反ナチス運動で燃え尽きることなく、世界中のキーパーソンにインタビューしてアメリカの新聞に載せ、NATOのアドバイザーになり、UNICEFのファーストレディーとして100か国以上を訪問するなどウルトラ級のエネルギーの持ち主。

エーヴ・キュリー Ève Denise Curie Labouisse 1904-2007 ジャーナリスト

1904年、パリ生まれ。イレーヌさんの妹(7つ違い)。
1906年(2才)父ピエールが馬車に轢かれて死亡。祖父で医師のウジェーヌ・キュリーさんに生活を支えてもらう。
1910年(6才)祖父ウジェーヌさんが死去。
教育
マリーさんの教育方針で運動、裁縫、ガーデニング、料理を習う。子供時代から音楽の才能を発揮。ピアノを学ぶ。
1911年(7才)マリーさんの母国ポーランドを訪問しポーランド語を習う。山歩き、乗馬など運動も欠かさず行う。マリーさんがノーベル化学賞を受賞。
1914年(10才)WWI
1918年(14才)WWI終戦
1921年(17才)母の渡米・講演に姉妹で同行。歓待を受ける。大統領に会い、きらびやかなパーティに出席、グランドキャニオンやナイアガラの滝を見物した。
1925年(21才)セヴィーニ学院で学士。フランス国内やベルギーでピアノコンサートを行う。
活動
1926年(22才)姉イレーヌさんが結婚。体調に問題を抱える母マリーさんと同居し日常の世話、講演旅行の同行を担当。
1934年(30才)母マリーさんの死去(66才)を看取る。
1935年(31才)母の伝記執筆プロジェクトを開始。資料の収集や母の若い時代を知るためポーランドに行って取材。
1937年(33才)伝記『キュリー夫人』を出版。世界中でベストセラーになる。
1939年(35才)WWII
1940年(36才)ナチスドイツがフランスに侵入。渡英。反ナチスの自由フランス活動に参加。
1941年(37才)親ナチスのヴィシー政権からフランスの市民権を剥奪され、財産が没収される。
1942年(38才)アメリカのThe Atlantic Monthly誌の特派員として、エジプト、リビア、ソビエト、イラン、中国、インドを歴訪、要人にインタビューした。
1943年(39才)『キュリー夫人』が映画化。旅行記『戦塵の旅 Journey Among Warriors』を出版
1944年(40才)日刊紙パリ・プレスの共同編集者として政治面で活動(49年まで)。
1945年(41才)WWII終戦
1952年(48才)NATOのスペシャルアドバイザー(54年まで)。インターナショナル・スタッフ。
1954年(50才)ヘンリー・リチャードソン・ラブイス・ジュニアさん Henry Richardson Labouisse, Jr. と結婚。
1956年(52才)姉のイレーヌさんが死去(58才)。
1958年(54才)アメリカ市民になる。
1965年(61才)夫のラブイスさんのUNICEFの活動が評価されノーベル平和賞を受賞。夫妻で100ヵ国以上を訪問。エーヴさんはUNICEFのファースト・レディと呼ばれる。
1968年(64才)リーゼ・マイトナーさんが死去(89才)。
1987年(83才)夫のラブイスさんが死去。
2004年(100才)誕生日のお祝いにアナン国連事務総長が訪れる。
2007年(103才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%88ve_Curiehttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC