L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(16) フレデリック・ジョリオ=キュリーさん

前回からの続き。

1930年代にマイトナーさんがベルリンを拠点に研究活動。学会などで多くの科学者と知り合いを持つ。
1938年にナチスの迫害を逃れるためベルリンを出てスウェーデンに拠点を移す。
1945年、アメリカが広島・長崎に原爆を投下。第二次大戦が終わる。
1946年、共同研究者のハーンさんがノーベル化学賞を受賞。
1952年、研究活動を引退。研究者の集まりには参加。

フレデリックさんのご専門は?
原子物理学。

どんな関係?
ライバル。イレーヌさんの夫で同じ研究分野にいる化学者。
1934年にイレーヌさんと共同で行った人工放射性元素の発見は、マイトナーさん、ハーンさん、シュトラスマンさん(そしてフリッシュさんのアドバイス)による核分裂の概念確立につながる。

どんな人生?
漢(おとこ)っぽい人生。学者としてはノーベル賞を受賞。第二次大戦中はパリでナチスに対抗するレジスタンス。
1936年にイレーヌさんとの共同研究を解消している。この理由が不明。後にイレーヌさんは自分たちの実験をヒントにマイトナーさんらがウランの核分裂を突き止めたことを知り、フレデリックさんとの共同研究を解消したことを悔しがっている。
もっともマイトナーさんもハーンさんと1907年に始めた共同研究を20年に終え、34年に再開しているから、テーマの終了が節目だったのかも知れない。

ジャン・フレデリック・ジョリオ=キュリー Jean Frédéric Joliot-Curie 1900-1958 原子物理学者

1900年、パリ生まれ。
教育
1914年(14才)WWI。
1918年(18才)WWI終戦。
1925年(25才)パリ市立工業物理化学高等専門大学を卒業。
活動
1925年(25才)ラジウム研究所でマリー・キュリーさんの助手。
1926年(26才)マリーさんの長女イレーヌさんと結婚。苗字をJoliot-Curieに変更。マリーさんの指示でパリ大学で電気化学の学士と博士を取得。
1933年(33才)ソルベ会議で発表。マイトナーさんから反論を受ける。ニールス・ボーアさんから励まし。
1934年(34才)アルミニウムの薄片にアルファ線を照射する実験。世界初の人工放射性同位元素を作り出す。マリーさんも確認し喜ぶ。
1935年(35才)人工放射性同位元素の発見によりイレーヌさんとノーベル化学賞を受賞
1936年(36才)イレーヌさんとの共同研究を解消。
1937年(37才)ラジウム研究所を辞めコレージュ・ド・フランスの教授。
1939年(39才)WWII。ソビエトの科学者と核分裂の共同研究。
1940年(40才)ナチがパリに侵入。研究データをイギリスに退避。フランス共産党員・国民戦線のメンバーとしてレジスタンス運動。
1945年(45才)WWII終戦。フランス国立科学研究センター総裁、フランス原子力庁長官。
1948年(48才)フランス初の原子炉 Zoé reactor建設を監督。
1950年(50才)ソ連から第1回国際平和賞を受賞。共産主義者であることからフランス原子力委員会の委員長を解任。コレージュ・ド・フランスの教授は継続。
1956年(56才)パリ大学ソルボンヌ校の教授(亡妻の後任)。
1958年(58才)白血病により死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Fr%C3%A9d%C3%A9ric_Joliot-Curie
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%82%AA%EF%BC%9D%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC