L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(13) カール・シーグバーンさん

前回からの続き。

1938年にコスターさんの説得に応じたマイトナーさんはスウェーデンに脱出する。スウェーデンで拠点にしたのがマンネ・シーグバーンが長を務めるスウェーデン王国科学アカデミーのノーベル研究所だった。

シーグバーンさんのご専門は?
X線分光学の功績でノーベル賞物理賞を受賞。D・コスターさん(9月19日)の師匠。
アメリカのA・ローレンスさん(8月30日)が1932年に発明した円形イオン加速装置サイクロトロンを1939年、スウェーデンで作った原子物理学者。

どんな関係?
ベルリンで窮地に陥ったマイトナーさんに脱出した後の研究活動拠点を提供した関係。ただ、日本語版ウィキペディアには「シーグバーンの研究所ではマイトナーは孤立していた」「研究所はサイクロトロンなどの大型設備が整っていたが、マイトナーに十分な実験装置や人員が与えられることはなかった」という記述がある。これを見る限りシーグバーンさんの研究所でマイトナーさんが心癒される環境で研究生活を送れたのかは疑問。

どんな人生?
X線分光学でノーベル賞学者になった後、自国で新たにサイクロトロンを作るなど挑戦マインドあふれる研究生活を送った。

カール・マンネ・イェオリ・シーグバーン Karl Manne Georg Siegbahn 1886-1978 物理学者

1886年、スウェーデンのエーレブルー生まれ。
教育
1906年(20才)20才までストックホルムで教育を受ける。
1906年(20才)ルンド大学に入学。
1907年(21才)ルンド大学でヨハネス・リュードベリ先生(物理学)の助手(11年まで)。
1908年(22才)ゴッチンゲン大学で学ぶ。
1911年(25才)ルンド大学でPhD。リュードベリ先生のもとでacting professor。
活動
1914年(28才)WWI
1914年(28才)X線分析法の研究を開始。
1918年(32才)WWI終戦
1920年(34才)リュードベリ先生の跡継ぎとしてルンド大学の教授(物理学)。ディルク・コスターさん(9月19日)にX線分光法を指導。
1923年(37才)ウプサラ大学の教授。
1924年(38才)ノーベル物理学賞を受賞。X線分光学における発見。
1937年(51才)スウェーデン王国科学アカデミーのノーベル研究所物理部の部長。
1938年(52才)ドイツから逃れたマイトナーさん(60才)がシーグバーンさんの研究所に入る。孤独感。
1939年(53才)WWII
サイクロトロンを建設。量子論と 原子物理学を発展させる。
1944年(58才)O・ハーンさん(8月24日)がノーベル化学賞を受賞。
1945年(59才)WWII終戦
1946年(60才)マイトナーさん(68才)の実験器具が自由に使える・助手がつく等、研究環境が改善される。
1952年(66才)マイトナーさん(74才)退任。
1978年(92才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Manne_Siegbahn
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3#:~:text=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3,%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82