L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(12) ディルク・コスターさん

前回からの続き。

1907年から始まったマイトナーさんのベルリン暮らしは1938年、ベルリン脱出で幕を閉じる。
マイトナーさんはなかなかベルリンを離れようとしなかった。コスターさんはオランダからベルリンまで足を運び、マイトナーさんに直接、脱出しなくては危険だと納得させる。
マイトナーさんはナチスから出国禁止にされていたので、途中で捕まれば収容所行きである。休暇旅行を装いオランダ行きの鉄道に乗る。途中、ナチスの検問を受けたが奇跡的に通過。スウェーデンに脱出する。

コスターさんのご専門は?
物理学。X線分光法を使い、ニールス・ボーア研究所でヘヴェシーさん(8月8日)と共同でハフニウムHfを発見した。元素発見史に名を残している。

どんな関係?
ベルリンまで行き、マイトナーさんに脱出が必要なことを納得させて救出した。
コスターさんはニールス・ボーア研究所で働いたことがある。
マイトナーさんが脱出後の活動拠点としたスウェーデンの研究所の代表カール・マンネ・シーグバーン先生はコスターさんの指導者でX線分光法の師匠。
研究者ネットワークの仲間である。

どんな人生?
30才を過ぎて博士になる。遅咲きだけど、新元素ハフニウムを発見するなど超ラッキーな運勢の持ち主。その強運のおかげでマイトナーさんが国境を越える時、ナチスの検問を潜り抜けることができた。コスターさんは、ナチスからユダヤ人を逃がす援助を継続して行った。

Dirk Coster 1889–1950 Dutch physicist 物理学者。ハフニウムHfの発見者。

1889年、オランダのアムステルダム生まれ。父は鉄工所経営。教育重視の家庭。
教育
1904年(15才)ハーレムの教員養成学校に入学。
1908年(19才)ハーレムの教員養成学校を卒業。
1913年(24才)学校の先生になる。ギムナジウムに行ってないので大学進学に必要な試験を受けるための個人援助を受ける。
1914年(25才)WWI
1916年(27才)ライデン大学で数学と物理学を学び M.Sc. を取得。
1918年(29才)WWI終戦
1919年(30才)デルフト技術大学でW・ハース先生の助手をしながら、電気工学の技術学位を取得。
1920年(31才)ルンド大学でカール・マンネ・イェオリ・シーグバーン先生の下でX線分光法を用いた元素分析を行う。
1922年(33才)ルンド大学で Ph.D.を取得。テーマはX線分析法とボーアの原子論。指導教員はPaul Ehrenfest先生。
活動
1922年(33才)ニールス・ボーア研究所で修業。
1923年(34才)ニールス・ボーア研究所でジルコンをX線分光法で分析しハフニウムHfをヘヴェシーさんと共同発見
1924年(35才)オランダに戻りハーレムのテーラーズ博物館でH・ローレンツ先生の助手を務めながらX線分光法を発展させる。
1924年(35才)グローニンゲン大学のハース先生の後任教授として着任。
1938年(49才)ベルリンに行き、マイトナーさんに脱出が必要なことを納得させ列車でベルリンを脱出。
オランダ国境でドイツ出国審査官にマイトナーさんがオランダへの旅行許可を持っていると説得し無事、通過。通過した後、マイトナーさんはスウェーデンに逃れる。
1939年(50才)WWII
ナチスがオランダを占領している間、コスターさんはユダヤ人の脱出を援助する。
1945年(56才)WWII終戦
1950年(61才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Dirk_Coster