L・マイトナーさんと同時代の科学者(31) M・ボルンさん

▼研究者としても教育者としても超一流の量子力学分野のノーベル賞学者。
▼マイトナーさんより年齢は4つ下。時代環境はほぼ同じ。ナチス政権のユダヤ人政策のために職を追われ、国籍を奪われ、博士号まで取り消される目にあった。それでも年表からは慌てず騒がず落ち着いた人柄が伺える。
▼学生時代も教授になってからも、敵対する人もいれば味方になってくれる人がいた。たびたびピンチに襲われたものの、応援してくれる人のおかげで仕事を得られた。下の年表に出てくる人はみんなボルンさんの力強い味方。
▼歌手オリビア・ニュートン・ジョンさんの祖父。

マックス・ボルン Max Born 1882-1970 理論物理学者
1882年、ドイツ帝国(現在ポーランド)ブレスラウ生まれ。ユダヤ人。父親はブレスラウ大学の教授(発生学)。
1886年(4才)母を亡くす。
教育
ケーニヒ・ヴィルヘルム・ギムナジウム。
1901年(19才)ブレスラウ大学入学。ドイツは学生が国内の様々な大学を経験できる仕組みになっていた。
1902年(20才)ハイデルベルク大学。
1903年(21才)チューリッヒ大学。
1904年(22才)ゴッチンゲン大学。
1906年(24才)ゴッチンゲン大学でPhD(数学)。
活動
1907年(25才)学業のために延期していた兵役に就く。喘息発作のため短期間で終了。英国に渡り、ケンブリッジ大学とキャベンディッシュ研究所でJ.J.トムソン先生らの下で研究。
1908年(26才)帰国後、軍務に就くも再び体調不良。ブレスラウに戻る。
1909年(27才)ゴッチンゲン大学の Minkowski 先生から誘いを受け共同研究を実施。しかしMinkowski 先生が急死。ヒルベルト先生らの応援を得て講義資格を得る。
1910年(28才)ゴッチンゲン大学の教員の身分を得る。
1913年(31才)27本の論文の発表実績を積む。
1914年(32才)WWI。マックス・プランクさん(9月9日)の招きでベルリン大学の新設教授に就くためベルリンに移動。
1915年(33才)ベルリン大学の教授になる前、ベルリン駐在の軍でソナーの研究に従事。アインシュタインさんと親交を結ぶ。
1918年(36才)WWI終戦。ハーバーさん(9月13日)と共にボルン=ハーバー・サイクルを発見。
1919年(37才)フランクフルト・アム・マイン大学で教授(理論物理学)。
1921年(39才)ゴッチンゲン大学で教授(理論物理学)。盟友のJ・フランクさん(9月17日)も教授(実験物理学)に着任。
1922年(40才)ミュンヘン大学のゾンマーフェルト先生(10月1日)と共同研究。同先生の弟子のハイゼンベルクさん(9月30日)が学位を取れたら助手につける話がまとまる。
1924年(42才)ハイゼンベルクさんが学位を取得して助手になる。
1925年(43才)ハイゼンベルクさんと量子力学の論文を発表。
1933年(51才)ナチスの台頭によりイギリスに脱出しケンブリッジ大学セント・ジョン・カレッジで一時的に教授になる。
1935年(53才)ボルンさん一家の国籍がナチスによって抹消される。ゲッチンゲン大学で取得した博士号も取り消される。
1936年(54才)チャールズ・ダーウィンの孫で物理学者のCharles Galton Darwinさんからエジンバラ大学の教授(自然哲学)を打診され受諾。
1939年(57才)イギリス国籍を得る。WWII
1945年(63才)WWII終戦
1952年(70才)エジンバラ大学を退任。
1954年(72才)西ドイツの温泉地バート・ピルモントに転居。ノーベル物理学賞を受賞。
1970年(88才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Born
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%B3


1970年(88才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Born
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%B3