L・マイトナーさんと同時代の科学者(28) A・コンプトンさん

▼コンプトンさんは専門分野ではノーベル物理学賞を受賞し、マネジメント分野ではWWIIの間はマンハッタン計画を支え、戦後は大学の学長を務めるなど一貫してバランスの取れたハイパフォーマンスの人物である。
▼マイトナーさんより14才若い。マンハッタン計画の目標である原爆の製造に向け、節目で重要な判断を下し続ける立場にあった。核分裂の専門家であるマイトナーさんが原爆投下のニュースを知って驚いた。それほどのスピードでプロジェクトが進んだのは、自らが専門家でありかつ、自己主張の強い科学者たちをマネジメントできるコンプトンさんのような人物がいたからこそ、と納得させられる。

アーサー・コンプトン Arthur Holly Compton 1892-1962 物理学者。
1892年、米オハイオ州ウースター生まれ。父はウースター大学の教授。
教育
1910年(18才)ハレー彗星を撮影するなど天体に興味を持つ。
1913年(21才)ウースター大学で理学士。プリンストン大学に入学。
1914年(22才)WWI。プリンストン大学でMA。
1916年(24才)プリンストン大学で博士(物理学)。指導教員はH. Cooke先生。
活動
1916年(24才)ミネソタ大学で専任講師(物理学)、17年まで。
1917年(25才)ウェスティングハウス・ランプ・カンパニーで研究エンジニア。ナトリウムランプの開発。
1918年(26才)WWI終戦
1919年(27才)奨学金を得てケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でガンマ線の散乱と吸収を研究(20年まで)。
1920年(28才)セントルイス・ワシントン大学で物理学のWayman Crow教授職、物理学科長。
1922年(30才)「コンプトン効果」を発見。
1923年(31才)Physical Review誌に論文発表。アメリカ物理学会で結果を発表し激しい論争を巻き起こす。シカゴ大学で教授(物理学)。
1926年(34才)ゼネラル・エレクトリックのランプ部門のコンサルタント。最初の著書X-Rays and Electronsを出版。
1927年(35才)「コンプトン効果」発見の功績でノーベル物理学賞を受賞
1939年(47才)WWII
1941年(49才)アメリカ国防研究委員会NDRCのV・ブッシュ委員長はNDRCのウラン計画を報告する特別委員会を設立、コンプトンさんが委員長。コンプトン報告書でプルトニウムの軍事利用を予測。
1942年(50才)マンハッタン計画が始まりコンプトンさんのプロジェクトはその一部となる。フェルミさんのシカゴ・パイル1号建設を監督。
1943年(51才)制御連鎖反応を確認。ウランをプルトニウムに変換する原子炉を製造するためシカゴ大学冶金研究所に専門家グループを集める。
1945年(53才)WWII終戦。シカゴ大学Charles H. Swift物理学特別功労教授を辞任。
1946年(54才)セントルイス・ワシントン大学の学長(54年まで)。
1954年(62才)セントルイス・ワシントン大学の自然哲学特別功労教授(61年まで)。
1956年(64才)マンハッタン計画での自分の役割を説明した著書 Atomic Quest を出版。
1962年(70才)死去。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Compton