L・マイトナーさんと同時代の科学者(22) E・シュレーディンガーさん

▼マイトナーさん(1878-1968)がウィーン大学に入ったのが23才(1901)。ボルツマン先生の講義を聞いて感動する。その印象が強く残り、後年ベルリン大学でマックス・プランク先生に会ったとき、ちょっと残念な印象を持ってしまうほどだった(時間が経つうちプランク先生の持ち味を理解することになるが)。
▼マイトナーさんにかくも強烈な印象を残したボルツマン先生は鬱病を抱えていた。マイトナーさんが28才(1906)で博士号を取得した年にボルツマン先生は自殺してしまう。
▼その年にウィーン大学に入学したのがシュレーディンガーさん(19才)。シュレーディンガーさんはボルツマン先生の後任のハーゼノール先生(1874-1915)からボルツマン先生の話を聞いて、これこそ自分の求める道と悟り理論物理学への道を志す。なぜハーゼノール先生がシュレーディンガーさんを動かすほどボルツマン先生の話ができたかというと、弟子だったから。
▼第一次世界大戦にシュレーディンガーさんもハーゼノール先生も軍人として参加。ハーゼノール先生は戦死してしまう。続く第二次世界大戦ではナチスの圧迫を受ける。マイトナーさんと同様、二回の世界大戦の苦汁を嘗めている。46才のときノーベル物理学賞を受賞。

エルヴィン・シュレーディンガー Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger 1887-1961 理論物理学者。

1887年、ウィーン生まれ。
教育
1906年(19才)ウィーン大学に入学。ボルツマン先生(9月9日)が自殺。後任にF. ハーゼノール先生が着任。ハーゼノール先生からボルツマン先生の話を聞いたことにより理論物理学者の道を歩む。
1910年(23才)ウィーン大学で博士。指導教員は ハーゼノール先生。
1911年(24才)ウィーン大学でエクスナー先生に実験物理学を習う。
1914年(27才)教授資格を取る。
1914年(27才)WWI
1915年(28才)オーストリア・ハンガリー帝国陸軍の将校になって戦地を転々とする。ハーゼノール先生は1914年に対イタリア戦で戦死。
1918年(31才)WWI終戦
活動
1920年(33才)イエナ大学でエクスナー先生の助手。 Stuttgartでassociate professor。
1921年(334)チューリッヒ大学でラウエさん(9月17日)の後任になる。数学者のヘルマン・ワイルさんと親しく交流。波動力学の研究を進めたほか量子力学の確立に貢献。
1925年(38才)シュレーディンガー方程式を導き出す。量子力学の基礎方程式となる。
1927年(40才)ベルリン・フリードリヒ・ウィルヘルム大学でマックス・プランク先生(9月9日)の後任(33年まで)。
1933年(46才)ナチスの反ユダヤ主義から逃れるためドイツを出る。オックスフォード大学マグダレンカレッジのフェローになる。
1933年(46才)イギリスの理論物理学者ポール・ディラックさんと共にノーベル物理学賞を受賞
1934年(47才)渡米。プリンストン大学で講義。
1935年(48才)「シュレーディンガーの猫」の思考実験を提唱。
1936年(49才)オーストリアのグラーツ大学で教授。
1937年(50才)マックス・プランク・メダル受賞。
1938年(51才)ナチスがオーストリアを併合。グラーツ大学教授を解任。
1939年(52才)WWII。アイルランドに移住、ダブリン高等研究所で研究生活。
1945年(58才)WWII終戦
1948年(61才)アイルランド市民になる。
1955年(68才)ダブリン高等研究所を定年退職。
1956年(69才)オーストリアに戻る。ウィーン大学の教授。
1958年(71才)『精神と物質』を出版。
1961年(74才)死去。

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