鉄FeからセレンSeまで一気に ウプサラ大学すげえ ベルセリウス先生すげえ

今回は、子供時代の学び方とは離れて、コバルトCoのいっこ前からセレンSeまで発見者を箇条書きしました。これらの元素を見つけた化学者の国はスウェーデン、フランス、ドイツであることも特徴です。スウェーデンのウプサラ大学はよく登場する知の拠点です。師弟関係が見えてくるのも興味深いです。なお鉄Fe、銅Cu、亜鉛Zn、ヒ素Asというメジャーな元素は古から人と共にあったので誰が発見者が特定できません。

●コバルトCoの発見 イェオリ・ブラント Georg Brandt 1694-1768 スウェーデンの化学者、鉱物学者。ウプサラ大学の化学教授。
発見時期は1737年(43才)。
名前の由来:ドイツ語で妖精の意味のコーボルト(koboldまたはkobalt)に由来。

●ニッケルNiの発見 アクセル・フレドリク・クルーンステット Axel Fredrik Cronstedt 1722-1765 スウェーデンの化学者、鉱物学者。化学的組成による鉱物の分類法の創始者。
1746-48年(24-26才)ウプサラ大学でイェオリ・ブラント先生(コバルトの発見者)の下で化学・鉱物学を学ぶ。鉱山局の役人。
発見時期は1751年(29才)。
名前の由来:ドイツ語のKupfernickel(悪魔の銅)に由来。見た目は銅鉱石なのに銅を遊離できないから。

●ガリウムGaの発見 ポール・ボアボードラン Paul Boisbaudran 1838-1912 フランスの化学者。
発見時期は1875年(37才)。フランスのラテン名「ガリアGallia」にちなんでガリウムと命名。

●ゲルマニウムGeの発見 クレメンス・アレクサンダー・ヴィンクラー Clemens Alexander Winkler 1838-1904 ドイツの化学者
父親はベルセリウス先生の弟子化学者。
1857年(19才)フライベルグ鉱山技術大学に入学。大学で学ぶ以上に自力で化学分析の知識を増やす。
1859年(21才)同大学卒業。
1864年(26才)ライプツィヒ大学修了。フライベルグ鉱山技術大学の無機化学の先生になる。
ゲルマニウムの発見時期は1885年(47才)。ドイツの古名「ゲルマニアGermania」にちなんで命名

セレンSeの発見 イェンス・ベルセリウス Jöns Jakob Berzelius 1779-1848
近代化学の父。ウプサラ大学医学部卒業の医学博士。
発見時期は1817年(38才)。
名前の由来:ギリシャ神話の月の女神セレネから命名。
人的ネットワーク:H・デービーさん(6月26、27、30日、7月2、4日参照)、F・ヴェーラーさん(6月28日)、リービッヒさん(6月19日)、ゲイ=リュサックさん(6月16日)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

マンガンMnを発見したシェーレさん 化学と人間が一体化した存在

子供時代から化学の知識欲モリモリの実験マニア。15才から昼は薬局で働き、夜は実験と専門書に没頭。学んで・実験して・発見すること自体が好き。人より先に新物質を発見して名前をアピールするより、専門家との付き合いから互いに知的刺激を受けるのを好んだ。習慣的に手に入った物質を匂ったり舐めていた。これが結果的に腎臓に負担をかけることになった。化学と人間が一体化したような人。

カール・ヴィルヘルム・シェーレ Carl Wilhelm Scheele 1742–1786

1742年、スウェーデンのポメラニアン生まれ。父は穀物商人兼醸造所経営者。
友人の両親から薬品の処方箋と化学・医薬記号の読み方を習う。
1757-65年(15-23才)地方の薬局で薬剤師見習い修行。毎晩、遅くまで実験と読書を続け、後の理論知識の基礎を築く。
1765年(23才)知識豊富な薬剤師の下で働く。取引先の大学の化学教授との人脈が広がる。
1767-69年(25-27才)首都ストックホルムの薬局で薬剤師として勤務。ストックホルムで働いている間。著名人との人脈が拡大する。
1770年(28才)ストックホルム近郊の町で最大の薬局の重役になる。薬局は化学薬品を化学の教授に提供していたので知り合いが増える。その中の一人の先生に信頼されて実験室を自由に使えるようになる。

発見の数々
1771年(29才)酸素発見。(プリーストリーさんの学会報告が先になった)
1772年(30才)バリウム発見。
1774年(32才)塩素、マンガン発見。マンガンはラテン語で磁石まぐネスに由来。
1778年(36才)モリブデン発見。
1781年(39才)タングステン発見。

死去
1786年(44才)死去。亡くなる2日前に未亡人と結婚して遺産を贈った。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Wilhelm_Scheele

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3

バナジウムVを発見したセフストレームさん 一流学者に弟子入りする力をつけた

セフストレームさんは当代一流の化学者ベルセリウス先生の弟子になれるだけのパワーを20代で身に着けていたのがポイント。しかもベルセリウス先生とは年齢が8つ違いだったので、指導者と生徒の関係だけでなく、友人同士として一緒に研究に励む間柄になった。優れた人とのネットワークが新元素発見という良い成果を生み出す。

ニルス・ガブリエル・セフストレーム Nils Gabriel Sefström 1787-1845
化学者。Vの発見者

1787年、スウェーデン中央部の街に生まれる。
高校卒業後、牧師である父の事務を手伝った後、ストックホルムに出る。
1809年(22才)ストックホルムの薬局で薬学を学ぶ。ベルセリウス先生と出会い、弟子入りする。8才違いなので、友人同士になって研究を進める。
1813年(26才)薬学博士になる。セラフィム病院で外科医の助手をしながら、ローヤル・ミリタリー・アカデミーで化学と博物学の教師を務める。
1818年(31才)ファルーン大学の教授になる。
1830年(43才)鉄のもろさを研究していたときに軟鉄から発見した元素にバナジウムと命名。

命名の由来
名前をつけるためにセフストレームさんがしたことは、vで始まる名詞を探すこと。というのは、vから始まる元素はまだなかったから。北欧の伝説の女神ヴァナディスVanadísの名にちなんでvanadiumと名付けた。女神ヴァナディスが美と多産の象徴であることと、vanadiumが多くの美しい色の化合物を生み出すという点で関連が深い。

紆余曲折のバナジウムについて
1801年、メキシコの三大化学者のひとりA・M・D・リオさんが最初に発見し、一時的にエリスロニウムと命名。
1805年、フランスの研究機関がクロムと誤判断。
1831年、F・ヴェーラーさんがバナジウムとエリスロニウムは同じ物質であることを確認。
1867年、イギリスのH・E・ロスコーさんが塩化バナジウムを水素還元して金属バナジウムを抽出。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
https://en.wikipedia.org/wiki/Nils_Gabriel_Sefstr%C3%B6m
http://urx.space/D5LW
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0
What is Vanadium? Learn in less than 5 minutes

子供時代の学び方 スカンジウムScの発見 L・F・ニルソン氏 良き師匠に恵まれる

自分の本筋を持ち続けることが成功につながる例である。父がスウェーデンの島で農場を営んでいたこと、大学でベルセリウス先生の弟子の先生に弟子入りできたこと、博士号取得前の大事な時期に父が病気になったため、試験を後回しにして島に戻り農場を支えたこと、そのおかげで自分の体が鍛えられて元気なったこと、幸い父が回復したので一年遅れで博士号が取れたこと、など環境・出会い・節目の行動が正解だった。

ラース・フレデリク・ニルソン Lars Fredrik Nilson 1840-1899 化学者

生い立ち
1840年、スウェーデン生まれ。父親がゴットランド島に農場を所有したのを機に一家で移転。ゴットランドのウィスビー高校を卒業。
1859年(19才)ウプサラUppsala大学に入り、動物学、生物学など自然科学を学ぶ。化学教授のスヴァンベリ先生に鉱物学の才能を認められる。スヴァンベリ先生はベルセリウス先生の教え子。
博士課程の学生は、専門はもちろん語学・歴史・哲学などの学問分野の知識の修得度も定期試験で試された。
1865年(25才)最後の試験の直前、父親が重病になったのでゴットランドに戻り農場の切り盛りと現場作業を肩代わりする。数か月後、父親が病から回復。その時には収穫を済ませ、種まきも終え、ゴットランドで初めてとなる動力脱穀機の導入も完了していた。大学から戻ったときは体調不良だったのが、農場の作業のおかげですっかり元気になった。
1866年(26才)ウプサラ大学に戻って一年遅れで試験を受け、見事合格。博士(化学)になる。

社会人
ウプサラ大学に助教授として採用され、スヴァンベリ研究室の化学実験の責任者になる。学生には冷静で辛抱強い指導者として対応し、講義より実験に主眼を置いた。一日の学業が終わったあとは学生には好きにさせ、余暇時間には学業の話はしなかった。多くの時間をベルセリウス先生の仕事を拡張した研究内容に割く。
1874年(34才))ウプサラ大学の一般化学と農業化学の教授になる

発見
1879年(39才)スカンジウムscandiumを発見、スウェーデンのラテン語スカンジナビアScandinaviaにちなんで命名

https://en.wikipedia.org/wiki/Lars_Fredrik_Nilson
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3

カルシウムCa元素の発見 H・デービーさん(5) 実験は危険がつきもの

デービーさんが得意技=電気分解法=で見つけた5つめの元素がCa。Caのイメージは、白い粉、牛乳に含まれている、骨を作る・・・ではなかろうか。でも単体では金属なんだな、これが。ところで電気分解すると人体に有害な物質が出てくることがあるので気を付ける必要がある。良い子はやたら混ぜたり舐めたり吸い込んだりしないように。デービーさんも実験中に爆発事故を起こして目が見えなくなったことがある。

ハンフリー・デービー Sir Humphry Davy 1778-1829
プロフィール → 6月27日参照

発見
1808年(30才)生石灰と酸化水銀の混合物をボルタの電池の電力で溶融電解して金属カルシウムを単離

命名
・ラテン語の砂利calxにiumを付けてCalciumにした
・「小石」の意味のcalxは「計算用の小石」calculus(カルクルス)になり、次第に「計算」の意味を持つ。英語の「計算」calculateの元
・日本では江戸時代に石灰Kalkとして輸入されカルキと呼ばれた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0

カリウムK元素の発見 H・デービーさん(4) 同じ手法を相手を変えてチャンスにする

化合物をボルタの電池で電気分解し、新しい元素を発見する手法の名人。デービーさんの凄いところは、網で魚を捉えるのと同じく、一つの手法で多種多様の元素を見つけ出す点。その結果、29才のとき、水酸化カリウムKOHを電気分解してKを発見。Kは電気分解によって単離された化学史初の金属。

ハンフリー・デービー Sir Humphry Davy 1778-1829
プロフィール → 6月27日参照

▼命名
英語ではpotassium。命名はデービーさん。由来は、壺potとそれに入れた草木灰ashという二つの言葉を結合させてpotashにし、さらにiumを付けた。potassiumu以降、金属元素にはiumを付ける習慣(?)が始まる。
ドイツ語ではKalium。「植物の灰」という意味のアラビア語al-qalyahが元。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

6月のもくじ 富豪・技術者・科学者・発明家・元素の発見者

6月のもくじ

【アメリカの富豪シリーズ】
6月1日 J・ロックフェラー 知識と経験を拡大再生産
6月2日 A・カーネギー (人の気持ちの読解力+学習能力)×際立つ高さ
6月3日 J・P・モルガン 父親の教育計画に忠実
6月4日 A・W・メロン 父が自前で教育と仕事の機会を用意

【技術者・科学者・発明家】
6月5日 E・I・デュポン 爆発物の理論と製造に精通
6月6日 G・ウェスチングハウス 才能ある分野で行動しすぐ成果を出す
6月7日 S・モールス よき指導者について力を伸ばす
6月8日 H・ベッセマー 父の金属工場を学校・遊び場にして育つ
6月9日 R・トレヴィシック 先生の評価は最悪、だが数学に才能あり
6月10日 R・ディーゼル 家庭は貧しくとも学業でメダル獲得
6月11日 E・フォン・ジーメンス 経済的事情で入った技術学校で才能が開花
6月12日 W・C・レントゲン 高校運は最悪、大学で運が拓ける

【元素の発見者シリーズ】
6月13日 キャヴェンディッシュさん 寡黙で孤独を友に物理や化学の実験を好む Hの発見
6月14日 N・ロッキヤーさん 父の影響プラス論理志向 Heの発見
6月15日 J・A・アルフェドソンさん なんと11才で大学に入学!? Liの発見
6月16日 ゲイ=リュサックさん 逆境を楽観で乗り切る Bの発見
6月17日 ルイ=テナールさん 自力+他力で学ぶ機会を掴む Bの発見
6月18日 F・ヴェーラーさん 実験室を自宅に作ってしまう化学マニア Beの発見
6月19日 J・リービッヒさん 父の工房で小さい時から実験ざんまい Beの発見
6月20日 J・リービッヒさん(2) リービッヒの最小律
6月21日 D・ラザフォードさん 恵まれた環境を活かす力 Nの発見
6月22日 A・ラボアジェさん 先生との出会で科学好きが開眼 Oの命名者
6月23日 J・プリーストリーさん 実家を出されても聡明さが身を助ける Oの発見
6月24日 H・モアッサンさん 人助けの経験から化学の道を志す Fの発見
6月25日 W・ラムゼーさん いちど社会に出た後、大学に入り専門家を志す Neの発見
6月26日 H・デービーさん 生みの父より義理の祖父 Naの発見
6月27日 H・デービーさん(2) 学んだ知識を巧みにアウトプット Mgの発見
6月28日 F・ヴェーラーさん(2) 継続力と手法の力 Alの発見
6月29日 J・ベルセリウスさん 収集と分類でアタマを整理 Siの発見
6月30日 H・デービーさん(3) 正体不明の対象から要素を選り分ける達人

子供時代の学び方 元素Arの発見 J・W・ストラット氏 高校までは病弱、大学で変身

貴族の生まれだったので教育は家庭教師から。病気がちな子供時代を過ごす。19才で大学に入ると数学を専攻。能力を発揮してトップの成績で卒業。卒業後、自邸に研究室を作り、実験と発見の拠点にした。

ジョン・ウィリアム・ストラット(レイリー卿) John William Strutt 1842-1919 イギリスの物理学者 アルゴンArの発見者

1842年、イギリス南東部のエセックス州生まれ。父は第二代レイリー男爵ジョン・ジェームズ・ストラット氏。教育は家庭教師から受ける。一時、イートンカレッジやハロウスクールに短期間入ったこともある。体が弱く病気がちの幼少時代を過ごす。
1861年(19才)ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ入学。数学を専攻
1865年(23才)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジでBAを取得。最優秀の成績で卒業
1866年(24才)自邸に実験器具を揃えて研究活動を開始
1868年(26才)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジでMAを取得
1871年(29才)「空が青いのは空気中の塵が光を散乱するから」というティンダルの推論を理論的に証明
1873年(31才)父の死去に伴い第3代レイリー男爵になる。貴族になっても実験を続けた(貴族は実務はしないものだったから変わった人と思われた)
1879年(37才)キャヴェンディッシュ研究所の第2代所長に就任(マクスウェル先生の後任)
1884年(42才)電磁気学の単位(アンペア、ボルト、オーム)の標準を定める
1887-1905年(45-63才)ロンドン王立研究所の自然哲学教授に就任

▼アルゴンArの存在をつきとめる 1892年(50才)空気から酸素を除いて作った窒素が、アンモニアを分解して作った窒素より重いことを発見。その理由が分からないため化学者の助けを求める。ラムゼーさん(6月25日参照)と共同研究を開始
1894年(52才)ラムゼーさんとの2年間にわたる共同研究の結果、空気から酸素と窒素を除いた残りの正体がアルゴンと突き止める。アルゴンは「働かない」という意味のギリシア語に由来。
1904年(62才)気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見によりノーベル物理学賞受賞。ラムゼーさんはノーベル化学賞を受賞
キャヴェンディッシュ研究所は2019年までに30人のノーベル賞受賞者を出している凄い研究所。ストラットさんがその第1号。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88_(%E7%AC%AC3%E4%BB%A3%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%94%B7%E7%88%B5)
https://en.wikipedia.org/wiki/John_William_Strutt,_3rd_Baron_Rayleigh
https://en.wikipedia.org/wiki/Cavendish_Laboratory
Lord Rayleigh(活躍を写真で見られる)
https://www.youtube.com/watch?v=r1x54GeHOTEこ

塩素Cl元素の発見 H・デービーさん(3) 正体不明の対象から要素を選り分ける達人

元素の発見に大きな貢献をしたデービーさん。デービーさんが報告するまで塩素Clは化合物と思われていた。しかし実験で元素であることを示した。

ハンフリー・デービー Sir Humphry Davy 1778-1829
プロフィール → 6月27日、28日参照

▼塩素Clの発見、命名
1801年(23才)王立研究所のスタッフになってからは化合物を電気分解して元素を見つける方法に熟達する。
1810年(32才)塩酸を電気分解すると水素と塩素が得られ、酸素は出てこない。そこでシェーレ氏の認識は間違っていてClは元素だと指摘。気体の色が黄緑色なので「黄緑色」を意味するギリシャ語からchlorineと命名した。

▼先立つ発見
1774年、スウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・シェーレ氏(6月29日、ベルセリウスさんの師匠)が二酸化マンガンと塩酸を加熱して塩素を単体分離。分離した気体を観察して、リトマス染料を脱色する、虫を殺す作用がある、色は黄緑色などの特徴を把握。しかし、酸素を含んだ「化合物」と認識。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%B4%A0#%E6%AD%B4%E5%8F%B2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
THE MYSTERY OF MATTER: SEARCH FOR THE ELEMENTS | Davy’s Greatest Failure | PBS

子供時代の学び方 Siの発見 J・ベルセリウスさん 収集と分類でアタマを整理

分類し体系化が好きで得意。化学を有機化学と無機化学に分け、世人の目から鱗を落とした。近代化学の父。AlアルミニウムやBeベリリウムを発見したF・ヴェーラーさんの指導者。業績が大きいのでここでは子供から大学時代を見ます。

イェンス・ヤコブ・ベルセリウス Jöns Jacob Berzelius 1779-1848 スウェーデンの化学者、医師

1779年スウェーデン生まれ。父親は学校の教師、母親は主婦。両親は同じ教区の出。生まれた年に父親が死去。しばらくして母親は牧師と再婚。ベルセリウスさんは二度目の父親から理系の知識を含む基礎教育を与えられる
1787年(8才)母親が死去。ベルセリウスさんは親戚の家に移され、そこから学校に通う
10代で近所の農家の家庭教師になる。この時期から、花や昆虫を採集し分類に興味を持つ
1796-1801年(17-22才)Uppsala大学の医学生。この時期、タンタルTaを発見したA・G・エーケベリ先生から化学を習う。また、薬局ではガラス吹きのような実験室で必要な技能も修得。(6月23日のプリーストリーさんと別に)酸素の発見者であるC・W・シェーレ先生(1742-86)から化学実験のトレーニングも受けた。シェーレ先生は材料をなめて確かめる癖があり、44才にして亡くなったのは毒性の物質をなめてしまった可能性がある、とされている。ベルセリウスさんが指導を受けた時、シェーレ先生は30代後半の頃だった
1800年(21才)安定した電流を確保できるのでボルタの電池を研究。材料を変えて自分用のオリジナル電池を開発し、電気化学の扉を開く。この年、Uppsala大学を修了して医学博士となる
卒業後はストックホルム近辺で医師として働く。しばらくしてカロリンスカ医科大の助手になる
1807年(28才)カロリンスカ医科大の教授になる
1823年(44才)シリコンSiの単離に成功。siliconとは火打石という意味のラテン語で、命名したのはA・ラボアジェ氏。この年にF・ヴェーラーさんがドイツから留学してくる

https://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%B6ns_Jacob_Berzelius
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E7%B4%A0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9#:~:text=%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%88%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3,%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%8C%96%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%81%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%80%82

KI:s founder Jöns Jacob Berzelius