マックス・プランクさんの関係者(9)<and>リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(29)ユーモアの持ち主:G・ヘルツさん

▼グスタフ・ヘルツさんは、1887年に電磁波を発見したハインリヒ・ヘルツ氏の「甥の息子」。
▼フリッシュさんの自伝によると「特別に子供じみたユーモアの持ち主」でリーゼ・マイトナーの前で演じた悪ふざけのエピソードを描いている(p.45-46)。40才を過ぎても、ノーベル賞を取った後でも、いたずらをして仲間と笑い合っていた。
▼フリッシュさんの自伝に書いてあるヘルツさんのノーベル物理学賞の受賞理由は「原子の中に量子化されたエネルギー状態が存在することを示した1912年の実験」(p.46)によるものだ。ヘルツさんが20代、一緒に実験したフランクさんが30代の時の実験。
▼ユダヤ系のため大学の職を追われたあと、ジーメンス・ウント・ハルスケ研究所で所長を務めている。

グスタフ・ヘルツ Gustav Hertz 1887-1975
1887年、ドイツのハンブルク生まれ。
教育
1906年(19才)ゴッチンゲン大学(1907年まで)。
1907年(20才)ミュンヘン大学(1908年まで)。
1908年(21才)ベルリン大学
1911年(24才)ベルリン大学で博士(指導教員は Heinrich Leopold Rubens先生)。Rubens先生の助手(1914年まで)。
1914年(27才)フランク=ヘルツの実験
活動
1914年(27才)WWI。軍務に就く。
1915年(28才)F・ハーバーさんの毒ガス開発チームに配属。怪我をする。
1917年(30才)ベルリンに戻りベルリン大学で私講師。
1918年(31才)WWI終戦
1919年(32才)結婚。
1920年(33才)フィリップスの白熱電灯会社で研究員(1925年まで)。
1925年(38才)ハレ大学で正規の教授、物理学研究所長。ノーベル物理学賞をジェイムス・フランクさんと共同受賞(原子と電子の衝突に関する研究)
1927年(40才)フリッシュさん(23才)がPTRの光学部門で研究。
1928年(41才)ベルリン工科大学で教授(実験物理学)、物理学研究の所長。
1930年(43才)フリッシュさん(23才)がベルリンのPTRからハンブルグに移る。
1934年(47才)ユダヤ系のため国家社会政策と法により職場を追放。ジーメンス研究所IIで所長(1945年まで)。
1939年(52才)WWII
1945年(58才)WWII終戦。ソビエト連邦の研究所で勤務(1954年まで)。
1951年(64才)マックス・プランク・メダル受賞。
1954年(67才)カール・マルクス大学(現ライプツィヒ大学、1961年まで)。
1975年(88才)東ベルリンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947
□ ハインリヒ・ルーベンス Heinrich Rubens 1865–1922 ドイツの物理学者。関係:指導教員。
弟子
□ Heinz Pose 1905–1975 ドイツの原子核物理学者。
関係筋
■ フリッツ・ハーバー Fritz Haber 1868-1934
■ ジェームス・フランク James Franck 1882–1964 ドイツの物理学者。1925年ノーベル物理学賞の共同受賞者。

https://en.wikipedia.org/wiki/Gustav_Ludwig_Hertz
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84#:~:text=%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84%EF%BC%88Gustav,%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%82