リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(63)サイクロトロンの共同発明者:M・リビングストンさん

▼リビングストンさんについて、フリッシュさんの自伝では「全ては1930年代初めに、カリフォルニアのバークレーで、アーネスト・O・ローレンスとM・スタンレー・リビングストンが発明したサイクロトロンの建設から始まった」(p.228)と紹介されている。
▼「ローレンスとリビングストンの基本的な考えは、粒子を超高電圧により一回で強く加速するのではなく、小さい加速を数多く繰り返すことであった」(p.228)
▼リビングストンさんは30才を前にしてローレンスさんから独立し、バークレー校以外の場所でサイクロトロンを建設する。
▼ローレンスさんとリビングストンさんの関係は、師匠と弟子のあり方を考えさせられる例である。

ミルトン・リビングストン Milton Livingston 1905–1986
1905年、ウィスコンシン州ブロードヘッド生まれ。父は高校の教師。
教育
1910年(5才)一家でカリフォルニア州に転居。
1914年(9才)WWI
1917年(12才)母が死去。
1918年(13才)WWI終戦
1921年(16才)高校を卒業。Pomona Collegeに入学。化学と物理を学ぶ。
1926年(21才)Pomona CollegeでBA(化学と物理)。ダートマス大学入学。
1928年(23才)ダートマス大学でMA。X線回折を研究。
活動
1929年(24才)ダートマス大学でインストラクター。
1930年(25才)カリフォルニア大学バークレー校入学。結婚。
1931年(26才)カリフォルニア大学バークレー校でPhD(指導教員はローレンス先生)。
1932年(27才)27インチ(69cm)のサイクロトロン建設に着手。WWIで使用して廃棄物になっていた80トンの磁石を使用。
1934年(29才)10本以上の論文を提出。ローレンスさんから独立するためコーネル大学で助教授。バークレー校以外で初めてサイクロトロン建設。
Robert Bacherさん、ベーテさんとの共同作業を通して物理学の神髄を知る。
1938年(33才)MITで42インチのサイクロトロン建設に協力。
1939年(34才)MITで講師。WWII。ローレンス先生がノーベル物理学賞を受賞。
1940年(35才)MITで准教授。MITのサイクロトロンが完成、OSRDに協力。
1944年(39才)海軍研究事務所Office of Naval Researchで Philip MorseさんのORグループに所属。
1945年(40才)WWII終戦
1946年(41才)ブルックヘブン国立研究所でMorseさんが初代所長。Morseさんからビッグサイエンスの象徴となるシンクロトロンの建造計画担当に指名。
1948年(43才)シンクロトロン建造計画は縮小されコスモトロンになる。
1952年(47才)再婚。
1959年(54才)再再婚。
1967年(62才)フェルミ国立加速器研究所で副所長。大型粒子加速器テバトロン建造を計画。
1970年(65才)引退。
1986年(81才)サンタフェで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ アーネスト・ローレンス Ernest Lawrence 1901-1958
関係筋
□ Philip Morse 1903–1985 アメリカの物理学者。ORのパイオニア。
□ Robert Bacher 1905–2004 アメリカの核物理学者。
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/M._Stanley_Livingston

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(62)サイクロトロンの発明者:E・ローレンスさん

▼ローレンスさんのサイクロトロン登場の前と後で物理学の研究スタイルが変わる。資金、人的・設備的規模が大きくなった。
▼サイクロトロンは、原子核を壊すために粒子を当てる装置。フリッシュさんの自伝では「超高電圧により一回で強く加速するのではなく、小さい加速を数多く繰り返す」
▼その目的は「原子の破壊ではなく、核子どうしがお互いに作用する力に光を当てること」(p.229)。
▼小屋や実験室で行う実験で新発見があった時代が終わり、「何千トンもの鋼と銅から作られる、まさに文字通りの戦艦、巨大な粒子加速器」(p.228)が必要になる。元素周期表に出る新しい元素の発見にはこうした装置があってこそ。

アーネスト・ローレンス Ernest Lawrence 1901-1958
1901年、サウスダコタ州リンカーン郡カントン生まれ。父は教師。
教育
1914年(13才)WWI。ノルウェー移民の友達マール・チューヴさんと無線機を組み立てる。
1918年(17才)WWI終戦。カントン高等学校を卒業。セントオラフ大学に入学。
1919年(18才)サウスダコタ大学に転学。
1922年(21才)サウスダコタ大学でBS(化学)。
1923年(22才)ミネソタ大学でM.A.(物理学)。指導教員はWilliam Swannさん。
Swann先生についてシカゴ大学へ。
1925年(24才)イェール大学でPh.D.(物理学)。指導教員はWilliam Swannさん。
奨学金を得てSwann先生の研究助手。Jesse Beamsさんと光電効果を共同研究。
活動
1928年(27才)カリフォルニア大学で准教授(物理学)。
1929年(28才)図書館の雑誌からサイクロトロンの着想を得る。
1930年(29才)カリフォルニア大学で最年少の教授(物理学)。
1931年(30才)博士課程の学生リビングストンさんが11インチのサイクロトロンの組立と稼働に成功(学位取得)。
1932年(31才)結婚。リビングストンさんと27インチのサイクロトロンの組立。
1933年(32才)コッククロフトさんの紹介でソルベー会議に出席、サイクロトロンについて説明。
1934年(33才)サイクロトロンの特許を取得。
1936年(35才)カリフォルニア大学バークレー校で放射線研究所所長。
1937年(36才)37インチのサイクロトロンを建造。医療向け用途開発も進める。テクネチウム発見。
1939年(38才)WWII。60インチのサイクロトロンを建造。ノーベル物理学賞を受賞(サイクロトロンの開発および人工放射性元素の研究)。マンハッタン計画に参加。
1940年(39才)コンプトンさん、ブッシュさん、James B. Conantさん、Karl T. Comptonさん、Alfred Lee Loomisさんがバークレーに集まり184インチのサイクロトロンを建造について協議。ロックフェラー奨学金が出て建造開始。
1943年(42才)大型電磁石の装置Alpha IIを建造。
1945年(44才)トリニティ実験に参加。WWII終戦。Alpha III建造は中止。
1947年(46才)陽子加速の大型装置ベバトロン計画。
1948年(47才)ベバトロン稼働。
1951年(50才)カラーテレビ用真空管を開発。
1957年(56才)エンリコ・フェルミ賞を受賞。
1958年(57才)カリフォルニア州パロアルトで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ William Swann 1884–1962 物理学者。
弟子
□ ミルトン・リビングストン Milton Livingston 1905–1986
関係筋
□ Jesse Beams 1898–1977 物理学者。イェール大学時代の共同研究者。
□ マール・チューヴ Merle Tuve 1901–1982 地球物理学者。電子工作を共にした幼馴染。
□ エドウィン・マクミラン Edwin McMillan 1907-1991 アメリカの物理学者・化学者。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(61)液滴モデルと殻モデルを融合したノーベル物理学賞物理学者:J・レインウォーターさん

▼フリッシュさんの自伝ではレインウォーターさんへの言及はない。オーア・ボーアさんとモッテルソンさんが1975年にノーベル物理学賞を受賞したときの共同受賞者なので取り上げた。
▼オーアさんとレインウォーターさんの出会いはオーアさんがコロンビア大学に来ていた1949-50年の時期。二人は同じ部屋を共有していたこともあり、共同して原子核の姿を探求した。オーアさんはニールスボーア研究所に戻るとモッテルソンさんと研究を継続し、ノーベル物理学賞を受賞する集団運動模型の提唱に至る。WWIIの後、原子モデルを追求する段階から原子核のモデルを追求する段階に移った。

ジェームス・レインウォーター James Rainwater 1917-1986
1917年、アイダホ州カウンシル生まれ。父は雑貨店を営む土木技術者。
教育
1918年(1才)WWI終戦。父がスペインかぜで死去。母とカリフォルニア州ハンフォードに転居。
高校時代、数学・化学・物理に秀でる。
1939年(22才)WWII。カリフォルニア工科大学でBS(物理学)。コロンビア大学大学院に入学。
ラビさん、フェルミさん、テラーさん、John R. Dunningさんの下で学ぶ。Dunningさんはコロンビア大学で初めてのサイクロトロンをPupin物理学研究所の地下室に建設。
1941年(24才)カリフォルニア工科大学でMS。
1942年(25才)結婚。マンハッタン計画に参加。
1945年(28才)WWII終戦
1946年(29才)コロンビア大学でPh.D.(指導教員はJohn Dunningさん)。
活動
1948年(31才)コロンビア大学で講師。オーア・ボーアさんと John Wheelerさんが原子核の液滴モデルを使って核分裂理論を発展。
1949年(32才)マリア・ゲッパート・メイヤーさんが殻モデルを提唱し液滴モデルを更新。Charles H. Townesさんが実験結果を報告。そこから液滴モデルと殻モデルは対立するものではなく、全ての原子核が球状というわけではない、と主張。
1950年(33才)オーア・ボーアさんと共同研究。海軍研究事務所の資金を得てコロンビア大学ネイビス研究所にシンクロトロンを建設。
1951年(34才)ネイビス研究所で所長(1954年まで)。
1952年(35才)コロンビア大学で教授
1957年(40才)ネイビス研究所で所長(1961年まで)。
1963年(46才)アーネスト・ローレンス賞受賞(マンハッタン計画への貢献)。
1975年(58才)ノーベル物理学賞をオーアさん、モッテルソンさんと共同で受賞(集団運動模型の提唱)。
1983年(66才)コロンビ大学でRobert R. Wilsonさんの後任のPupin教授職。
1986年(69才)コロンビア大学で名誉教授。NYで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ イジドール・ラービ Isidor Rabi 1898-1988
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
□ John Ray Dunning 1907–1975
■ エドワード・テラー Edward Teller 1908-2003
弟子
□ Val Fitch 1923–2015 アメリカの原子核物理学者。
関係筋
□ John Wheeler 1911–2008 アメリカの物理学者。
□ Chien-Shiung Wu 1912–1997 中国系アメリカの実験物理学者。コロンビア大学でマンハッタン計画に参加していた時期の同僚。
□ Charles Townes 1915–2015 アメリカの物理学者。
□ William Havens 1920–2004 アメリカの物理学者。コロンビア大学でマンハッタン計画に参加していた時期の同僚。
■ オーア・ボーア Aage Bohr 1922-2009
■ ベン・モッテルソン Ben Mottelson 1926-

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Rainwater

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(60)オーア・ボーアさんとの共同研究でノーベル物理学賞を受賞:B・モッテルソンさん

▼フリッシュさんの自伝でモッテルソンさんは「オーアとモッテルソンの共同作業は四半世紀に渡って続き、原子核の挙動の多くを詳細に説明し」た(p.227)と紹介されている。
▼モッテルソンさんはドクターを取得したあとハーバード大の奨学金を得てニールス・ボーア研究所でポスドク修行を行う。世界中から優れた科学者が集まり、オープンに情報交換する環境がフィットし、以後、コペンハーゲンを拠点にする。

ベン・モッテルソン Ben Mottelson 1926-
1926年、イリノイ州シカゴ生まれ。父は技術者。
教育
1939年(13才)WWII
戦争中に地元の高校を卒業。アメリカ海軍に所属し将校訓練のためパデュー大学に入学。
1945年(19才)WWII終戦
1947年(21才)パデュー大学でB.S.
1948年(22才)結婚。
1950年(24才)ハーバード大学でPh.D.(指導教員はジュリアン・シュウィンガーさん)。
活動
1950年(24才)奨学金を得てニールス・ボーア研究所でポスドク(1951年まで)。オーアさんと原子核の集団運動の研究を開始。オーアさんとレインウォーターさんが原子核モデルを開発(1951年まで)。
1952年(26才)U.S. Atomic Energy Commissionの奨学金を得て引き続きニールス・ボーア研究所に所属。オーアさんと原子核の理論モデルと実験値の比較研究(1953年まで)。
1953年(27才)コペンハーゲンでCERNの理論研究グループに所属。「殻模型によって記述される核子の独立粒子運動」と「液滴模型によって記述される核子の集団運動」を統一的に記述する集団運動模型を発表。
1957年(31才)Nordic Institute for Theoretical Physics (Nordita)で教授。ジョン・バーディーンさん、レオン・クーパーさん、ジョン・シュリーファーさんが超伝導を説明するBCS理論を発表。
1958年(32才)原子核での超流動状態を発見。「有限量子多体系としての原子核」概念を提唱。
1959年(33才)カリフォルニア大学バークレー校で客員教授(春学期)。
1969年(43才)オーアさんと共著でNuclear Structure Vol.1を発表。核構造物理学の教科書。
1971年(45才)デンマークに帰化。
1975年(49才)オーアさんと共著でNuclear Structure Vol.2を発表。
ノーベル物理学賞をオーアさん、レインウォーターさんと共同で受賞(集団運動模型の提唱)。
1983年(57才)再婚。
1993年(67才)European Centre for Theoretical Studies in Nuclear Physics and Related Areas (ECT)で所長(1997年まで)。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ジュリアン・シュウィンガー Julian Schwinger 1918-1994 アメリカの理論物理学者。1965年、ノーベル物理学賞を朝永振一郎さん、ファインマンさんと共同受賞。
関係筋
□ ジェームス・レインウォーター James Rainwater 1917-1986
■ リチャード・ファインマン Richard Feynman 1918-1988
■ オーア・ボーア Aage Bohr 1922-2009

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Roy_Mottelson
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1975/mottelson/biographical/

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(59)親子でノーベル物理学賞を受賞:A・ボーアさん

▼原子核の姿を追求していたニールス・ボーアさんは「原子核は水滴に似ている」(p.226)とした。次に原子核の殻モデルがこれまで数回にわたって紹介した物理学者に提唱された。「それでも液滴モデルが死んだ訳ではない。優雅にダンスを踊っているような核子ではなく、ひしめき合う群衆のように振る舞う核子を伴っている。(中略)それを『集団モデル(ゆらゆらと回転する水滴の軌道を回る核子の量子力学的な記述)』として完成させたのは、ニールス・ボーアの息子で後継者でもあるオーアとベン・モッテルソンであった」(p.227)
▼名前の読み方について、「Aageと綴るが、Saw aと同じ音である。gの音は聞こえない」(p.227)とある。Wikipediaでは「オーゲ」と表記されている。

オーア・ボーア Aage Bohr 1922-2009
1922年、コペンハーゲン生まれ。父はニールス・ボーアさん。
教育
一家の住まいは理論物理学研究所(後のニールス・ボーア研究所)。父の元に集まる著名な学者の中で育つ。オーアさんにとっては「パウリおじさん」「ハイゼンベルクおじさん」。
1932年(10才)一家でカールスブルグの屋敷に転居。
1934年(12才)ギムナジウムに入学。父の仕事の手伝いを始める。
1939年(17才)WWII
1940年(18才)コペンハーゲン大学に入学。物理学を学ぶ。ドイツ軍がデンマーク侵攻。
活動
1943年(21才)父がナチスに逮捕されかけたためスウェーデン経由でイギリスに脱出、続いて合流。イギリスの原爆計画Tube Alloysに参加。
1944年(22才)父の原子力エネルギーの研究の手伝いのためロンドン、ワシントン、ロスアラモス研究所に同行。アメリカではマンハッタン計画に参加。
1945年(23才)WWII終戦。デンマークに戻る。
1946年(24才)デンマーク大学でMS。
1948年(26才)プリンストン高等研究所IASのメンバーになって訪米。コロンビア大学でイジドール・ラービさんと知り合う。
1949年(27才)コロンビア大学物理学科長のラービさんの下で共同研究(1950年まで)。レインウォーターさんと原子の液滴モデルについてディスカッション。
1950年(28才)NYで結婚。ニールスボーア研究所に戻りベン・ロイ・モッテルソンさんと原子核の集団運動について共同研究開始。
1954年(32才)コペンハーゲン大学でPh.D. 研究助手。
1956年(34才)コペンハーゲン大学で教授(物理学)。
1962年(40才)父が死去。ニールスボーア研究所の後任所長(1970年まで)。
1969年(47才)原子核の集団運動の研究成果をVolume I (Single-Particle Motion)として発表。
1972年(50才)ラザフォードメダル賞を受賞。
1975年(53才)原子核の集団運動の研究成果のVolume II (Nuclear Deformations) を発表。
1975年(53才)ノーベル物理学賞をモッテルソンさん、レインウォーターさんと共同で受賞(集団運動模型の提唱)。
2009年(87才)コペンハーゲンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ ニールス・ボーア Niels Bohr 1885-1962
関係筋
□ 仁科 芳雄 Yoshio Nishina 1890–1951 日本の物理学者。オーアさんの子供時代「Nishinaおじさん」
□ ハンス・クラマース Hans Kramers 1894–1952 オランダの物理学者。オーアさんの子供時代「クラマースおじさん」
□ オスカー・クライン Oskar Klein 1894–1977 スウェーデンの理論物理学者。オーアさんの子供時代「クラインおじさん」
■ イジドール・ラービ Isidor Rabi 1898-1988 1944年にノーベル物理学賞(共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見)を受賞した物理学者。
□ ベン・ロイ・モッテルソン Ben Roy Mottelson 1926- アメリカの理論物理学者。
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958 オーアさんの子供時代「パウリおじさん」
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976 オーアさんの子供時代「ハイゼンベルクおじさん」
□ ジェームス・レインウォーター James Rainwater 1917–1986 アメリカの物理学者。1975年にノーベル物理学賞を受賞。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2
https://en.wikipedia.org/wiki/Aage_Bohr
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1975/bohr/biographical/

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(58)原子核の殻構造モデルの「魔法の数」を発展させた:O・ハクセルさん

▼フリッシュさんの自伝では、原子核の殻構造モデルを考案した研究者の一人としてH・ジャンセンさん、H・スエスさんと共に紹介されている科学者。
▼ハクセルさんを調べて印象に残ったのは、師匠がガイガーカウンターで有名なガイガーさんだったこと、WWIIの時期、ドイツ海軍で働いたとき上司が元Uボートの艦長だったこと、戦後はハイゼンベルクさんの助手につけたことから、ハクセルさんも豊かな人間関係の中でWWIIの前後を生き延びた科学者の一人だったこと。

オットー・ハクセル Otto Haxel 1909–1998
1909年、ドイツのババリア生まれ。
教育
1914年(5才)WWI
1918年(9才)WWI終戦
1927年(18才)ミュンヘン工科大学とテュービンゲン大学で学ぶ(1933年まで)
1933年(24才)テュービンゲン大学で博士(指導教員はハンス・ガイガーさん)。ガイガーさんの助手。
1936年(27才)教授資格を取得。
活動
1936年(27才)ガイガ@さんがベルリン工科大学でグスタフ・ヘルツさんの後任教授、学部長に就任。同行しベルリン工科大学でTA(1939年まで)。
1939年(30才)WWII。ベルリン工科大学で講師。
1940年(31才)ドイツの核エネルギー研究(ウラニウム・クラブ)に従事。
1942年(33才)徴兵されUボートの元艦長Admiral Rheinさんの下でドイツ海軍の原子力研究に従事。
1945年(36才)WWII終戦
1946年(37才)マックスプランク物理学研究所でハイゼンベルクさんの助手。フリッツ・アウターマンさんと共同研究。ハンス・ジャンセンさんと原子核の殻理論について共同研究。
1949年(40才)ゲッチンゲン大学で員外教授。
1950年(41才)ハイデルベルク大学で教授(物理学)(1974年まで)。
1956年(47才)ドイツ原子力委員会で原子核物理学ワーキンググループのメンバー(1957年まで)。
1970年(61才)カールスルーエ研究所で科学技術マネージングディレクター(1974年まで)。
1998年(89才)ハイデルベルクで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ハンス・ガイガー Hans Geiger 1882–1945 ドイツの物理学者。
関係筋
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
□ フリッツ・アウターマン Fritz Houtermans 1903–1966 ウィーン育ちの原子物理学者。
■ ハンス・イェンゼン Hans Jensen 1907-1973

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Haxel

Otto Haxel

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(57)原子核の殻モデルを考案した:H・スエスさん

▼スエスさんはオーストリア生まれの物理化学者。WWII後はアメリカで活躍した。
▼フリッシュさんの自伝では、原子核の殻構造モデルを考案した研究者の一人として紹介されている。

ハンス・スエス Hans Suess 1909–1993
1909年、ウィーン生まれ。
教育
1914年(5才)WWI
1918年(9才)WWI終戦
1935年(26才)ウィーン大学でPh.D.(化学。指導教員は Philipp Grossさん)。
活動
1939年(30才)WWII。ノルウェーの重水プラントで製造アドバイザー。
1945年(36才)WWII終戦。ハンス・イェンゼンさんと原子核の殻モデルについて共同研究。
1950年(41才)渡米。シカゴ大学でHarold Ureyさんと宇宙化学を研究。
1955年(46才)スクリップス海洋研究所で研究。
1958年(49才)カリフォルニア大学サンディエゴ校UCSDの設立に参加。教授(1977年まで)。放射性炭素C14を使った年代測定ラボを立ち上げ研究を進める。
1977年(68才)UCSD名誉教授。
1982年(73才)隕石から新発見されたケイ素化合物がSuessiteと命名される。
1993年(84才)カリフォルニア州サンディエゴで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Philipp Gross 1899–1974 ウィーンの物理化学者。
弟子
□ Ellen R.M. Druffel
関係筋
□ ハロルド・ユーリー Harold Urey 1893–1981 アメリカの物理化学者。1934年に重水素発見の功績でノーベル化学賞を受賞。
■ ハンス・イェンゼン Hans Jensen 1907-1973

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Suess

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(56)原子核の殻モデルでノーベル物理学賞を受賞:H・イェンゼンさん

▼フリッシュさんの自伝でイェンセン(自伝ではジャンセンと表記)さんは原子の姿を追求する話の流れの中で原子核の殻モデルの考案者として紹介されている。
▼「古くから、8、20、28、50、82、126個の中性子か陽子を含む原子核は極めて安定であることが知られており、魔法の数と呼ばれていた」「原子核の殻モデルは、ドイツ生まれのマリア・ゲッペルト-メイヤーによりアメリカで、あmた、ハイデルベルクのオットー・ハクセル、ハンス・ジャンセン、ハンス・スエスにより、それぞれ独立に考案され、ゲッペルト-メイヤーとジャンセンは1963年のノーベル賞を半分ずつ分け合っている」(p.226)
▼原子核の周りを電子が回転している分かりやすいモデルから、だいぶ離れたところに到達した。正確な説明ができるようになった反面、原子はどんな姿をしているのかイメージしにくくなっている。

ハンス・イェンゼン Hans Jensen 1907-1973
1907年、ハンブルク生まれ。
教育
1914年(7才)WWI
1918年(11才)WWI終戦
1926年(19才)フライブルク大学、ハンブルグ大学で物理、数学、物理化学、哲学を学ぶ。
1932年(25才)ハンブルク大学で博士(指導教員は Wilhelm Lenzさん)
1936年(29才)ハンブルク大学で教授資格を取得。
活動
1937年(30才)ハンブルク大学で私講師。
1939年(32才)WWII。ドイツ原子力プロジェクト(ウラニウム・クラブ)で仕事。
1941年(34才)ハノーファー大学で臨時教授。
1945年(38才)WWII終戦
1946年(39才)ハノーファー大学で教授。
1947年(40才)ハンブルグ大学で名誉教授。
1949年(42才)ハイデルベルク大学で特任教授。ゲッパート=メイヤーさんとは独立して原子核の殻モデルを提案。
1951年(44才)ウィスコンシン・マディソン大学で客員教授。
1952年(45才)IAS(プリンストン高等研究所)とカリフォルニア大学バークレー校で特任教授。
1953年(46才)インディアナ大学とカリフォルニア工科大学で客員教授。
1956年(49才)ミネソタ大学で客員教授。
1961年(54才)カリフォルニア大学サンディエゴ校で客員教授。
1963年(56才)ノーベル物理学賞を受賞(原子核の殻構造に関する研究)。マリア・ゲッパート=メイヤーさんと同時受賞。
1964年(57才)ハノーファー大学で名誉博士。
1969年(62才)ハイデルベルク大学で名誉教授。
1973年(66才)ハイデルベルクで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Wilhelm Lenz 1888–1957 ドイツの物理学者。
関係筋
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995
□ Paul Harteck 1902–1985 オーストリアの物理化学者。
□ Wilhelm Groth 1904–1977 ドイツの物理化学者。ウラニウム・クラブのメンバー。
■ マリア・ゲッパート=メイヤー Maria Göppert-Mayer 1906-1972
□ ハンス・スエス Hans Suess 1909–1993
□ オットー・ハクセル Otto Haxel 1909–1998

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/J._Hans_D._Jensen
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3#:~:text=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3,%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(55)原子核の核モデルでジョーベル物理学賞:M・ゲッパート=メイヤーさん

▼ゲッパート=メイヤーさんは、マリー・キュリーさんに続く2人目の女性ノーベル物理学賞受賞者(3人目は2018年のドナ・ストリックランドさん)。
▼昨日紹介したライネスさんの実験により、1920年代に原子の核構造と対比できるような構造が原子核にも存在することが明確になる。フリッシュさんの自伝では「原子核の核モデルはドイツ生まれのマリア・ゲッペルト-メイヤーによりアメリカで、また、ハイデルベルクのオットー・ハクセル、ハンス・ジャンセン、ハンス・スエスにより、それぞれ独立に考案され、ゲッペルト-メイヤーとジャンセンは1963年のノーベル賞を半分ずつ分け合っている」(p.226)

マリア・ゲッパート=メイヤー Maria Göppert-Mayer 1906-1972
1906年、ポーランドのカトヴィッツ生まれ。父はゴッチンゲン大学の教授(小児科)。
教育
1910年(4才)父がゴッチンゲン大学の教授になるので家族でゴッチンゲンに転居。
1914年(8才)WWI
進学希望の女子生徒を対象にした Höhere Technische で学ぶ。
1918年(12才)WWI終戦
1921年(15才)大学進学する女子のための私立高校Frauenstudiumで学ぶ。
1923年(17才)大学入学試験に合格。
1924年(18才)ゴッチンゲン大学入学。最初、数学を学び、後に物理学。
1930年(24才)ゴッチンゲン大学で Ph.D.(指導教員はボルン先生)。1929年からJ・フランクさんの助手としてアメリカから来ていた化学者ジョセフ・メイヤーさんと結婚。夫がジョンズホプキンズ大学の准教授(化学)になったので渡米。
活動
1931年(25才)ジョンズホプキンズ大学のKarl Herzfeld さんと共同研究。夏はゴッチンゲン大学でボルン先生と研究を進める(1933年まで)。
1937年(31才)夫がジョンズホプキンズ大学を辞める。メイヤーさんはコロンビア大学で研究を開始。
1939年(33才)WWII。イタリアから逃れてきたフェルミさんと知り合い、共同研究開始。
1941年(35才)アメリカ物理学会会員。サラローレンスカレッジで教授。
1942年(36才)マンハッタン計画に参加。テラーさんの依頼でコロンビア大学で研究。
1945年(39才)夫が太平洋戦争に参加(すぐ戻る)。ロスアンゼルス研究所でテラーさんに協力。WWII終戦。ニューヨークに戻る。
1946年(40才)夫がシカゴ大学の教授になったので、ボランティアの教授。新設のアルゴンヌ国立研究所理論物理部門でパートタイムのシニア物理学研究者。アバディーン性能試験場のENIACで臨界問題を解くためモンテカルロ法を使った計算プログラムを開発。
1950年(44才)ハンス・イェンセンさんと研究成果を「Elementary Theory of Nuclear Shell Structure」として発表。
1960年(54才)カリフォルニア大学サンディエゴ校で教授(物理学)。夫も同大学で教授(化学)。
1963年(57才)ノーベル物理学賞受賞(原子核の殻構造に関する研究)。イェンセンさん、ウィグナーさんと共同受賞。
1972年(66才)サンディエゴで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Emmy Noether 1882–1935 ドイツの数学者。ゴッチンゲン大学の数学教授。
■ マックス・ボルン Max Born 1882-1970
関係筋
□ George Pegram 1876–1958 アメリカの物理学者。メイヤーさんのためにコロンビア大学に籍を用意。
□ Adolf Otto Reinhold Windaus 1876–1959 ドイツの化学者。
■ ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964
□ Karl Herzfeld 1892–1978 オーストラリア出身のアメリカの物理学者。
□ Harold Urey 1893–1981 アメリカの物理化学者。コロンビア大学で友達。1934年にノーベル化学賞を受賞。
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954 コロンビア大学で友達。
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
■ ポール・ディラック Paul Dirac 1902-1984
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995 1963年ノーベル物理学賞を共同で受賞。
□ ジョセフ・エドワード・メイヤー Joseph Edward Mayer 1904–1983 アメリカの化学者。夫。
□ ハンス・イェンセン Hans Jensen 1907–1973 ドイツの核物理学者。1963年ノーベル物理学賞の共同受賞者。
■ エドワード・テラー Edward Teller 1908-2003
□ ハンス・スエス Hans Suess 1909–1993 オーストリア出身のアメリカの原子核物理学者。
□ オットー・ハクセル Otto Haxel 1909–1998 ドイツの原子核物理学者。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Goeppert_Mayer
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(54)ニュートリノの存在を証明した:F・ライネスさん

▼ライネスさんはそれまでパウリさんが理論で予想したニュートリノの実在を実験で証明したノーベル物理学者。
▼フリッシュさんの自伝によると「ニュートリノは、地球を貫通して対極に出現し、その通り道にある原子核に阻止されるチャンスは殆どないと計算された。明らかに、このつかみどころのない来客を捕まえるには、非常に強力なニュートリノの発生源と、非常に大きい計測器が必要であった」(p.225)
▼「原子炉がその一方を、そしてシンチレーションカウンターが他方を提供した。1953年に、フレデリック・ライネスの指導のもと、アメリカで最も大きい原子炉に隣接して、液体シンチレーター(中略)タンクが置かれ、90台の光電子増倍管で監視」し、さらに1956年の改良実験で最終的な確信を得、「パウリを喜ばせるのに間に合った」(p.225)

フレデリック・ライネス Frederick Reines 1918–1998
1918年、ニュージャージー州のパターソン生まれ。ユダヤ人。父は雑貨店経営。
教育
1935年(17才)ニュージャージーのユニオンヒル高校を卒業。
1939年(21才)WWII。スティーブンス工科大学でB.S.(機械工学)。
1940年(22才)結婚。
1941年(23才)スティーブンス工科大学でM.S.(数理物理学)。
1944年(26才)ニューヨーク大学でPh.D.(指導教員は Richard D. Presentさん)。 D論は”Nuclear fission and the liquid drop model of the nucleus”
活動
1944年(26才)マンハッタン計画に参加。ファインマンさんの理論物理学チームに所属(1946年にグループリーダー)。
1945年(27才)WWII終戦
1946年(28才)ビキニ環礁での原爆実験クロスロード作戦に参加。
1948年(30才)エニウェトク環礁での原爆実験サンドストーン作戦、ネバダ核実験場でのレンジャー作戦、バスタージャングル作戦に参加。
1951年(33才)太平洋で実施した5回にわたる原爆実験グリーンハウス作戦でディレクタ。核汚染の防止策として地下核実験に切り替える。
1953年(35才)原子炉で発生したニュートリノを検出する実験。共同研究者はクライド・カワンさん。
1954年(36才)装置を大型化。ニュートリノの発生頻度を計測しパウリさんが予想していたニュートリノの存在を証明。
1957年(39才)ロスアラモス国立研究所を退任、ジョージ・ワシントン大学で教授。
1959年(41才)ケース・ウェスタン・リザーブ大学で教授(1966年まで)。
1966年(48才)カリフォルニア大学アーバイン校で教授。
1995年(77才)ノーベル物理学賞受賞(ニュートリノを検出したレプトン物理学の先駆的実験)
2003年(85才)カリフォルニア州オレンジで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Serge A. Korff
□ Richard D. Present
関係筋
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005
■ ルドルフ・パイエルス Rudolf Peierls 1907-1995
□ Norris Bradbury 1909–1997 アメリカの物理学者。ロスアラモス研究所所長。
□ John Wheeler 1911–2008 アメリカの理論物理学者。
□ Jordan Mark 1913–1997 アメリカの数学者。ロスアラモス研究所でベーテさんのチームメンバー。
■ リチャード・ファインマン Richard Feynman 1918-1988
□ クライド・カワン Clyde Cowan 1919-1974 アメリカの物理学者。1956年にライネスさんと共にニュートリノを発見した功績で1995年にノーベル物理学賞を受賞。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Reines
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%82%B9