▼フリッシュさんはシュテルンさんのことを自伝で「私が1930年にオットー・シュテルンのもとで仕事を得られたことはたいへん幸運であり、シュテルンと働いた三年間は私の人生の中で最も幸せで実り多いものだった」(p.31)と表現している。
▼1922年の「シュテルン=ゲルラッハの実験」は「電子は単に負の電荷をもつ小さい球のようにではなく、回転する球のように、従って磁石のように振る舞う、という発見に導いた」(p.31)。私が学校で習った記憶では電子は負の電荷を持つ小さい球だった(ような気がする)。回転する球?磁石のように振る舞う?
原子モデルが更新されるに伴い、イメージするのが難しくなる。
オットー・シュテルン Otto Stern 1888—1969
1888年、プロイセン王国のゾーラウ(現在、ポーランドのジョルィ)生まれ。ユダヤ人。
教育
1912年(24才)ブレスラウ大学(現ポーランドのヴロツワフ大学)を卒業。
1914年(26才)WWI。フランクフルト大学(1921年まで)。教授資格を取得。
活動
1918年(30才)WWI終戦。
1919年(31才)実験物理学にシフト。原子線、分子線の実験方法を開発。
1921年(33才)ロストック大学で教授。
1922年(34才)シュテルン=ゲルラッハの実験。電子にスピンがあることを示す実験。加熱・蒸発した銀粒子のビームが磁界中を通過すると2点に分かれる。
1923年(35才)ハンブルク大学で教授(物理化学)。
1930年(42才)オットー・フリッシュさん(26才)を助手に採用。
1933年(45才)ナチス政権にハンブルク大学を追われて渡米、カーネギー工科大学で教授。フリッシュさんが渡英できるよう手配。
1939年(51才)WWII
1943年(55才)ノーベル物理学賞受賞(原子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見)。
1945年(57才)WWII終戦。カーネギー大学の研究所を引退。
カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。
1969年(81才)カリフォルニア州バークレーで死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3#:~:text=%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%EF%BC%88%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC,%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%82
※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。
