L・マイトナーさんと同時代の科学者(21) A・ゾンマーフェルトさん

▼原子物理学、量子力学のパイオニア。ミュンヘン大学の物理学教授としてハイゼンベルクさんとパウリさんの研究を指導して学位取得に導いた。若い才能を集め、開花させる才能を持つ学者である。
▼無名時代のアインシュタインの理論を高く評価し、数学的基礎を提供する研究を行ったり、ボーア・ゾンマーフェルトの量子条件など量子力学の基盤的研究を手掛けた。
▼ハイゼンベルクさんとパウリさんもノーベル賞を受賞したのに対しゾンマーフェルトさん自身はノーベル物理学賞のノミネート回数が84という記録を保持。ノミネート回数の最高記録らしい。そして、受賞していない。それもすごい。弟子入りするなら、こういう先生が良い。

アルノルト・ヨハネス・ゾンマーフェルト Arnold Johannes Sommerfeld 1868-1951 物理学者

1868年、ケーニヒスベルク(現、ロシア西部のカリーニングラード)生まれ。
教育
1891年(23才)ケーニヒスベルクにあるアルベルティーナ大学でPh.D. (指導教員は Ferdinand von Lindemann先生)。
1892年(24才)ケーニヒスベルクの予備連隊に入り兵役につく(93年まで)。
1893年(25才)除隊後は年8週間の軍務につく(1901年まで)。口ひげ、威厳のある体躯、頬の傷などオスマン軍人らしい雰囲気を身に着ける。
1893年(25才)数学の中心地であるドイツのゲッチンゲン大学鉱物研究所の T・Liebisch教授の助手になる。Liebisch教授は以前ケーニヒスベルク大学の教授でゾンマーフェルトさんの顔見知り。
1894年(26才)同大学F・Klein教授の助手になる。
1895年(27才)ゴッチンゲン大学で教授資格を取得。指導教員はKlein先生。数学教員としてのキャリアをスタート。
活動
1896年(28才)Klein先生と論文の共同執筆を開始(1910年まで)。4部作として完成。最初の2冊は理論、後の2冊は地理学、天文学、工学を扱う。この仕事で関心が応用数学と教育の技術に向かう。
1906年(38才)ミュンヘン大学で教授(物理学)。
1900年(32才)RWTH アーヘン大学で臨時教授。流体力学を研究。トライボロジーの源となる「ゾンマーフェルト数」を提唱。後にハイゼンベルクさんの指導に活きる。
1914年(46才)WWI。量子力学の開祖の一人になる。
1918年(50才)WWI終戦
1920年(52才)新入生のハイゼンベルクさん(9月30日)と出会う。
1921年(53才)パウリさん(9月30日)の博士号取得の指導教員。
1922年(54才)原子物理学に関心を持つハイゼンベルクさんをゴッチンゲンで開催されたニールス・ボーアの講演に参加させる。
1923年(55才)ハイゼンベルクさんの博士号取得の指導教員。
1928年(60才)世界旅行に出て日本にも立ち寄る(29年まで)。
1931年(63才)マックスプランク(9月9日)メダルを授与。
1939年(71才)WWII
1945年(77才)WWII終戦
1951年(83才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Arnold_Sommerfeld
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88