4-5月 もくじ

【産業革命の人々】
ジョン・ハリソン 時計作り 5月18日
アブラアム=ルイ・ブレゲ 義父の誘導 5月19日
トーマス・ニューコメン 問題を仕方がないで見過ごさない 5月20日
ジェームズ・ハーグリーブス 手と目を生かす 5月21日
ジェームス・ワット 数学と手先の器用さ 5月22日
マシュー・ボールトン 現実を見る 5月23日
リチャード・アークライト 学校に行けず読み書きを従妹に習う 5月24日
ジョン・ケイ ツボを押さえ行動する 5月25日
サミュエル・クロンプトン 糸紡ぎで一家を支えた 5月26日
ヘンリー・モーズリー 経験に学び工作の礎と向き合う 5月27日
エドモンド・カートライト オックスフォード大の奨学生になる力量 5月28日
ロバート・フルトン 絵を描く力を起点に 5月29日
ジョージ・スチーブンソン 貧しく17才まで読み書きできず 5月30日
イーライ・ホイットニー氏 継母の反対しても自力で進学 5月31日

【電気の人々】
トマス・エジソン 自学自習 4月24日
グラハム・ベル 自分でやるタイプ 4月25日
ジョン・フレミング すべてはエンジニアになるため 5月13日
リー・ド・フォレスト 友達不要 独学で十分 5月14日
グリエルモ・マルコーニ 自分の興味+一流のメンター+家族の応援 5月15日
マイケル・ファラデー 多くの読書と実験 5月16日
二コラ・テスラ 実験で見た電気に魅了 5月17日

【楽器の人々】
ヘンリー・スタインウェイ 悲運逆境、才能開花は23才 5月10日
C・F・マーティン 才能を磨き食べて行く力をつける 5月11日
レオ・フェンダー 勉強と趣味を区別、最後は趣味が仕事に 5月12日

【自動車の人々】
ヘンリー・フォード 観察・思考・実行 4月26日
カール・ベンツ 理系の神童 4月27日
ベルタ・ベンツ 実行+改善 4月28日
ゴットリープ・ダイムラー 頭と手そして判断 4月30日
ヴィルヘルム・マイバッハ 背水の陣 5月1日
エミル・ジェリネク 学校になじめず 5月2日
ロベルト・ボッシュ 手に職をつける 5月3日
フェルディナント・ポルシェ とことん学ぶ 5月4日
GMのウィリアム・デュラント 学業は並み、販売は天才 5月5日
ウォルター・クライスラー 通信教育 5月6日
チャールズ・S・ロールズ 恵まれた環境で才能発揮 5月7日
フレデリック・H・ロイス 小2で生活のために働く 5月8日
W・O・ベントレー やりたいことに忠実 5月9日

子供時代の学び方 イーライ・ホイットニー 継母が反対しても自力で進学

アメリカでホイットニーが綿繰機を発明したことにより、南部のプランテーションで収穫する木綿の加工が進んだ。1800年代中期のアメリカの輸出品の半分を木綿が占めた。同時に労働力としての黒人奴隷が不可欠となった。

▼Eli Whitney 1765–1825 アメリカ 綿繰り機を発明

▼1765年マサチューセッツ州で豊かな農家の長男として生まれる。
1777年(12才)母親が死去。
1779年(14才)アメリカ独立戦争(1775-83)の間、父の作業場で釘を作って販売し収益を上げる。アメリカが戦争に勝ち、大学進学を希望。しかし継母が反対。農場で農夫として働きながら、進学資金を貯めるため教師の仕事も行った
Yale大学進学のため、Leicester Academyで学ぶ。
1789年(24才)Yale大学入学。
1792年(27才)Yale大学卒業。大学でもっと法律を学びたかったがお金がない。そこで人生を開くためGeorgia行きを決意。行きの船中で知り合った木綿農場のオーナー女性の婚約者がYale大学の卒業生という縁で、二人の木綿農場を訪ねる。▼木綿農場では黒人奴隷が木綿のタネを手作業で取り除いていた。効率の悪さを見たホイットニーは機械化を思いつく。そして作ったのが綿繰り機cotton gin(engine)で、1台で1日25Kgのきれいな木綿を仕上げることができた。▼1794年に特許取得。結果的に事業として成功させることはできなかった。しかし発明家としての認知は浸透した。
▼cotton ginがもたらす高生産性と黒人奴隷の労働力のおかげで米国南部の木綿プランテーションは収益事業になった。南部で生産された木綿はイギリスに輸出され、イギリスの木綿織物の生産量は羊毛織物を追い抜いた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Eli_Whitney
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC
Cotton Gin – Machine in Action

子供時代の学び方 ジョージ・スチーブンソン 貧しく17才まで読み書きできず

ジョージ・スチーブンソン George Stephenson 1781-1848 鉄道技術者
▼スチーブンソンさんは、イングランド生まれの機械技術者。世界で初めて蒸気機関車による貨客運搬に成功した「鉄道の父」。
鉄道軌間の1,435mmは世界の標準で「スチーブンソンゲージ」とも言われる。
▼1781年、低賃金の炭鉱機関夫の父のもとに生まれる。
貧乏のため学校に行けなかったので、子供時代は父の助手をして炭鉱機関夫の技術を学んだ。
1788年(17才)炭鉱機関夫になる。
読み書きができない父母のもとで育ち学校にも行ってなかったので、自分も読み書きできなかった。
しかし、それではダメだと思い、自費で夜間学校に入り読み書き計算を学んだ。

▼1801年(20才)別の炭鉱で制動手brakesmanになる。
1802年(21才)結婚して別の炭鉱の制動手をしながら、靴や時計の修理の収入で生活を支えた。
(この年、リチャード・トレビシック氏が世界初の実動蒸気機関車を発明)
▼1803年(22才)息子ロバート誕生。自分が教育を受けられなかった分、息子には十分な教育が受けられるようにした。
1804年(23才)キリングワース炭鉱の制動手になる
1811年(30才)キリングワースの別の炭鉱のポンプが故障、スチーブンソンに修理依頼が来る。この修理に成功し、技師に昇進。キリングワース周辺の全ての炭鉱の機械のメンテを担当。蒸気機関のエキスパートになる。
▼1814年(33才)キリングワース炭鉱の石炭を輸送するための蒸気機関車「ブリュヘル号」を設計。自宅裏の作業場で製作し初走行に成功。
1820年(39才)13kmの鉄道建設を任され、世界初の畜力を全く使わない鉄道として成功させる
▼1821年(40才)エドワード・ピアーズ社長が推進するストックトン・アンド・ダーリントン鉄道(S&DR)建設計画に参加。
1821年(41才)線路敷設予定地の調査で息子ロバート(18才)が助手として活躍。
S&DR用の蒸気機関車製造のため、ピーズとスチーブンソンはロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー Robert Stephenson and Companyを共同創業。息子ロバートは常務取締役managing directorに就任。この会社が当時の蒸気機関車の大半を製造した。
▼1825年(45才)蒸気機関車ロコモーション1号が完成。初走行ではスチーブンソンさんが運転士を担当し、80トンの石炭を最高時速は39kmで運送。
このとき旅客専用車Experimentを連結。世界初の蒸気機関車による旅客輸送となった。

https://en.wikipedia.org/wiki/George_Stephenson
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
GEORGE STEVENSON INVENTOR- a crazy mix of Animation/Archive Footage

子供時代の学び方 ロバート・フルトン 絵を描く力を起点に

ロバート・フルトン Robert Fulton 1765-1815 アメリカの技術者
▼ペンシルベニア州で豊かな農場を営む家庭に生まれる。兄弟は3人の姉妹と弟が1人。▼ペンシルベニア州フィラデルフィアで画家として活躍。肖像や風景画を描いて、6年間実家に送金した。
【10代までの情報は以上。学校に行ったのか家庭内で教育を受けたのか、10代のうちから販売できるほどの絵の技術をどこで身に着けたのか、不明。
売れる絵を描けるだけの観察力、描画力を持っていたこと。絵の技術を磨くためイギリスに渡る行動力。絵で暮らしを立てながら発明と新技術が世の中を変える産業革命に参加するため画家から発明家に方針転換する柔軟性。恐るべき若者。】

▼1783年(18才)アメリカがイギリスからの独立戦争で勝利。
▼1785年(20才)ペンシルベニア州ピッツバーグにある農場を購入。一家が引っ越してくる。
▼1786年(21才)イギリスに渡り、父親同士が友人の画家ベンジャミン・ウェストBenjamin Westの弟子となった。
ウェストの家に住み込み、絵の技術を磨きながら、肖像画や風景画で稼いだ。この収入で新しい機械の試作を行った。
▼1797年(32才)フランス政府に世界初の手動式潜水艦ノーティラスや兵員輸送用蒸気船の企画を売り込む。失敗。
▼1803年(38才)駐仏米国公使R.Livingstonの援助を得てフランスで外輪船を造船。フランス政府に売り込む。また失敗。
▼1804年(39才)外輪船をイギリスに売り込む。失敗。
▼1806年(41才)アメリカへ戻る。再びリビングストンさんの援助を得て蒸気船クラーモント丸Clermontを建造。全長43m、排水量80t。
▼1807年(41才)イギリスのボールトン・アンド・ワット社から蒸気機関が届き、Clermontに設置。8月にハドソン川で240Kmの初航行を行い、成功。

https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Fulton
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
Robert Fulton Invents the Steamboat

子供時代の学び方 エドモンド・カートライト オックスフォード大の奨学生になる力量

エドモンド・カートライト Edmund Cartwright 1743-1823 ▼旧家に生まれる。イギリスの牧師、実業家。力織機の開発でイギリスの産業革命に貢献。▼Queen Elizabeth Grammar Schoolを卒業。オクスフォードUniversity Collegeに進学。▼1766年(23才)オクスフォードMagdalen Collegeの特待給付金学生、修士。フェロー。卒業後、英国教会の牧師になる。
1779年(33才)Goadby Marwoodの教区牧師になる。
1783年(37才)Lincoln聖堂の司教になる。
1784年(41才)カートライトの織機の特許が切れることを知る。そうなると将来、繊維工業が発展すると予想し、織機の開発に挑戦。▼1785年(45才)最初の特許を取得。しかし、あまり実用性がなかった。ドンカスターに織物工場を設立し改善を重ねる。▼1789年(49才)羊毛も編める織機の特許を取得。世界初の機械式織機(力織機)power loom を設計。動力源は家畜・水力・蒸気機関。力織機は商業的に成功した。▼1790年(50才)Robert Grimshawさんによってカートライトの力織機500台を導入して工場を作る計画があった。しかし、工場に30台設置した段階で火事が発生。計画は頓挫。
1792年(52才)ロープ製造機を発明。
1793年(53才)借金がかさみドンカスターの織物工場を手放す。
1806年(63才)すでに発明者として知られた存在になっていた。DD:Doctor of Divinityの称号を受ける。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Cartwright
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88

Edmund Cartwright

子供時代の学び方 ヘンリー・モーズリー 経験に学び工作の礎と向き合う

ヘンリー・モーズリー Henry Maudslay 1771–1831 イギリスの工作機械の改革者。機械工作技術の父。産業革命の技術基盤を作った人。▼学校や読み書きをどこで習ったか不明。12才から18才の間に王立造兵廠Royal Arsenalで働きながら身に着けた技術がその後の基盤になっている。
▼1780年(9才)王立造兵廠で武器職人(1776年に引退)をしていた父が死去。
1783年(12才)王立造兵廠で薬莢に火薬を詰める少年工powder monkeyの一人として仕事に就く。
1785年(14才)2年後、大工の工房に異動。
1786年(15才)鍛冶blacksmithに戻り、修業を開始。軽くて複雑なものを作る才能が目立った。王立造兵廠だけでなく王立鋳造所でも働いた。
▼1789年(18才)複雑な鍵を安く製造できる職人として、ジョセフ・ブラマーさんの工房に引き抜かれる。
プラマーさんの下で、ピッキングに強いプラマー錠を完成させた後、水圧機のシーリング、旋盤加工の精度を上げる治具などの開発で貢献、工房の主任になる。
▼1797年(26才)貢献しても給料が上がらないためプラマー工房から独立し、Henry Maudslay and Companyを設立。最初の仕事は海軍の帆船で使用する帆の滑車製造機械。
この機械を使いライン生産を行った結果、110人かかっていた仕事が10人でできるようになった。
1800年(29才)産業用として初のねじ切り旋盤を開発。
1815年(44才)船舶用エンジンの製造。
1825年(54才)テムズトンネル用の掘削装置、排水ポンプを製造。
没後の1833年、息子らがMaudslay, Sons and Fieldを設立。

http://wikipedia.nd.ax/wiki/Henry_Maudslay
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E6%8A%80%E8%A1%93%E8%80%85)
History of Lathes | The Henry Ford’s Innovation Nation

子供時代の学び方 サミュエル・クロンプトン 糸紡ぎで一家を支えた

Samuel Crompton 1753-1827 イギリスの紡績工、ミュール紡績機の開発者。▼1753年、ランチェスター生まれ。父は荘園領主の館の管理人。
サミュエルさんには二人の妹がいた。子供のとき父を亡くしたので、一家の生活のためハーグリーブスのジェニー紡績機で糸紡ぎをした。
ジェニー紡績機には欠点があったので、改善するために人知れず5、6年かけて間頑張った。改善のため時間だけでなく、劇場でバイオリンを弾いて稼いだギャラも費やした。
1779年(26才)mule-jennyの製作に成功。これが後のミュール紡績機 spinning muleになる。ミュールmuleはラバの意味。モスリン生地を織る糸を紡ぐのに適した機械。地元にはこの織機の需要があったものの、サミュエルさんには特許を取る知識がなかった。
▼おせっかいな人間が現れ、mule-jennyを壊すか、皆のために作るかサミュエルさんに選択を迫った。サミュエルさんは後者を選び、mule-jennyを使う職工から使用料を貰うことにした。しかし払う人は多くなく、大した収入にはならなかった。▼ミュール紡績機の糸は、手で行ったものより細く丈夫に仕上げることができ、買取価格も高かった。
ミュール紡績機にはサミュエルさんに特許料を支払わず自由に製造できたため、改良と普及が進んだ。当然、サミュエルさんには一銭にもならなかった。
▼1812年(59才)サミュエルさんは議会にミュール紡績機の貢献を訴え、賞金を獲得した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Crompton
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3
spinning mule

子供時代の学び方 ジョン・ケイ ツボを押さえ行動する

John Kay 1704-1780 イングランド生まれ、産業革命の扉を開く「飛び杼(とびひ)」flying shuttleの発明者。注意:リチャード・アークライトが織機開発を共にした時計職人のジョン・ケイとは別人。▼父親はランチェスターに農地を持つ自作農yeoman。ジョンさんが生まれる前に死去。農地は長男が相続、5男だったジョンさんは14才まで教育を受け、21才で40ポンドを相続する話になっていた。▼学校を出た後、ジョンさんは織機用のリードという部品を製造する工房に見習いに入る。技術をマスターしたといって出てから1か月で家に戻り、自分で金属製のリードを作ってイングランド中を営業して回った。▼1725年(21才)で結婚、織機用のワイヤ・リードを作るなど、織機の改良につとめる。1733年(29才)最大の発明となる手動織機用flying shuttleを発明(自分ではwheeled shuttleと呼び、周りの人はfly-shuttleと呼んでいた)、特許を取得。▼これで、横糸を通す時間が短縮され、二人必要だった作業が一人で行えるようになった。生産性の向上は職人のこれまでの仕事がなくなるという反作用も生んだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Kay_(flying_shuttle)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4_(%E9%A3%9B%E3%81%B3%E6%9D%BC)
Weaving with a flying shuttle.

子供時代の学び方 リチャード・アークライト 学校に行けず読み書きを従妹に習う

Sir Richard Arkwright 1732–1792 イギリスの発明家、産業革命初期の起業家、近代工場システムの父。▼仕立て屋の父の七番目の子として生まれる。両親にはリチャードさんを学校にやるな余裕がなかったので、いとこに読み書きを教えさせた。リチャードさんは働ける年ごろになると、近所の町の理容店に弟子入りする。▼1760年(28才)の始め、かつらwigsの製造も行う理容店を開業。ファッショナブルな男性用かつらperiwigs用の防水染料を発明し、儲ける。▼紡糸に関心を持つようになり、生の木綿の繊維の方向を揃えcarding、糸に紡ぐspinning工程の機械化に挑む。▼1768年(36才)時計職人だった John Kayと共同して紡糸機を開発し、翌年特許を取得。馬の力で動かす紡糸機の効率は、人の手で行うより良く、コストダウン効果を発揮。織物工業を変革するきっかけとなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Arkwright
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
Richard Arkwright , 59 (1732-1792) UK Inventor

子供時代の学び方 マシュー・ボールトン 現実を見る

マシュー・ボールトン(Matthew Boulton、1728-1809)さんはイングランドの工場経営者、実業家。▼ジェームズ・ワットさんが発明した蒸気機関を工場や製粉所・製糸場に販売し、イギリスの産業革命を推進した。▼バックル製造業者の父親のもとに生まれる。生まれるとすぐ父の事業が順調になったので富裕層の住む地区に引っ越し。地元の grammar school が荒廃していたので、academyに越境通学。▼15才で学校を卒業すると、すぐバックル作りを始める。17才でバックルにホウロウで象嵌を施す技術を発明し、地元で人気商品になる。そこでフランスに輸出したところ大人気となる。こんどはフランスの最新流行バックルという触れ込みで逆輸入。▼81才でボールトンさんが亡くなったとき、友人は次のように語った。
「ボールトン氏は、科学的な知識は、学校教育がなくても、ものごとに気を使い、現実に応用し、仕組みに関心を持つことで獲得できることを身をもって証明した。Mr. [Boulton] is proof of how much scientific knowledge may be acquired without much regular study, by means of a quick & just apprehension, much practical application, and nice mechanical feelings.」▼1765年(37才)金属加工を行うソーホー製作所を設立。資金は借入と投資でまかなえたものの、動力がまかなえなかった。そこでワットさんの蒸気機関に着目。粘り強い交渉力を見せる。
1766年(38才)手紙でワットの説得を開始。
1788年(40才)面談にこぎつける。
1769年(41才)ワットさんが熱交換式復水器を発明して特許を取得。
1774年(46才)ワットさんをバーミンガムに呼び寄せる。
1775年(47才)Boulton & Watt を立ち上げる。
1776年(48才)蒸気エンジン2基を完成。順調に動いて宣伝効果発揮。
鉱山で排水用に使う蒸気エンジンがヒット。
1775年から1800年の間にBoulton & Wattが設置したエンジンは450基。

https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_Boulton
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
Matthew Boulton – Selling what all the world desires…