子供時代の学び方 ゴットリープ・ダイムラー 頭と手そして判断

ガソリンエンジンを発明し、自動車の開拓者、ゴットリープ・ダイムラーは1844年、ドイツ生まれ。小学校を出た頃から技術に興味を持ち、14才から銃職人のもとで修業。4年後、自分の進む道ではないと判断し、機械加工を学ぶため専門学校に入学。そこは工場学校 the factory college と言われる実践的教育の学校。日曜午前に行われる特別授業にも出て猛勉強。指導教員の助手になり、働きが認められ、22才にして蒸気機関車製造主任に指名される。▼さらに技術を磨くため大学に入って2年間学んだあと、蒸気機関には見切りをつける。どんな移動体にも取り付けられる小型・高性能エンジン作りを目指し、最新技術を学びにイギリスに渡る。▼この軌跡から、ダイムラーには作りたいもののイメージを持っていて、その実現に向かって理論と技術を学び、現物を作り続けるタイプであることが伺える。

https://en.wikipedia.org/wiki/Gottlieb_Daimler

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC

子供時代の学び方 ベルタ・ベンツ 実行+改善

カール・ベンツさんの妻。39才のとき、夫が発明した車に子供2人を乗せ、実家までの106kmの未舗装道路をドライブした。これが世界で初めての長距離ドライブになり、ベルタ・ベンツ・メモリアル・ルートとして有名。カールは自分が開発した車を販売するのが上手ではなかった。そこでビジネスパートナーでもあったベルタが夫の車がどれだけ「使えるもの」か、子供連れで世間にアピールした。結婚してからカールが作る車のテスト・ドライバーを担当していたのでメカには詳しく、長距離ドライブ中の故障・修理、燃料補給、改善箇所の発見を一人でカバーした。▼1849年生まれ。裕福な家庭で育ち、カールさんとの結婚の持参金をカールの会社に投資した。結婚のときベルタ23才、カール27才。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bertha_Benz

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84

子供時代の学び方 カール・ベンツ 理系の神童

ガソリン自動車を発明したカール・ベンツは1844年、ドイツ生まれ。2才で蒸気機関車の運転士だった父親を肺炎で亡くす。生活が貧乏になったけれども母親はカールに良い教育を受けさせようと頑張った。カールは学校(Grammar School)で並外れた生徒(a prodigious student)だった。15才で大学に入り機械工学を学び19才で卒業、就職。▼いくつかの工場で働いたものの、勤めが肌に合わない。学校や工場で身に着けた技術は、錠を作ったり破ったりするlocksmithing 、蒸気機関、機械工学、設計、鋳鉄ほか。▼27才のときエンジンの製造会社を設立。翌年、妻ベルタさんと結婚。それから会社の運命が好転。世界のベンツへの歩みが始まる。

子供時代の学び方 ヘンリー・フォード 観察・思考・実行

自動車のヘンリー・フォードは1863年米国ミシガン生まれ。実家が農場経営。お父さんはヘンリーに継がせたいと思っていた。しかし本人は「農場なんて好きなことは一つもなかった、好きなのは農場にいる母だった(I never had any particular love for the farm—it was the mother on the farm I loved.)。▼子供時代のフォードさんは、どんな勉強方法だったか。観察・思考・実行。15才のとき、近所の時計の修理を数十回行い、時計修理人としての評判を得ている。農場の作業場で蒸気で動く荷車やトラクターを作ったりしていた。▼16才で故郷を出て機械工として腕を磨く。エンジンは蒸気じゃダメ、ガソリンだという意識で観察眼を働かせ、良い方法を考え、車を試作。28才でエジソン電灯会社に入り、30才でチーフに昇格。金と時間にゆとりができたので車の試作を加速。33才のときエジソンに会って車の話をしたところ、大絶賛された。

出所 https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Ford

子供時代の学び方 グラハム・ベル 自分でやるタイプ

発明王トーマス・エジソン(電球の発明)がアメリカで生まれたのは1847年。同じ年にグラハム・ベル(電話の発明)がイングランドで生まれている。▼この年の日本は江戸時代。ペリーが来て開国を要求したりする時期。教育は藩校、塾、寺子屋で盛んに行われていた。▼さて、ベルさんはどんな勉強していたたのだろうか。もともとが好奇心旺盛な子だった。教育熱心な家庭に育ち、母や父親から学んでいる。学校には通ったものの休みが多く、科学(生物が好きだった)以外に関心がなかった。お父さんはがっかりしたらしい。▼お母さんが聴覚障害になったので、ベルさんは力になろうと会話を助けたり聴覚の研究に集中する。結果、電話の発明につながった。

出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB

https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Graham_Bell

子供時代の学び方 トマス・エジソン 自学自習

エジソンは、子供のころ公教育をほどんど受けていない。学校には数か月通ったくらい。読み書きそろばんは母親に習った。好奇心旺盛だったので後は自分で本を読んで学んだ。この自学自習の姿勢は一生続いた。

Edison had very little formal education as a child, attending school only for a few months. He was taught reading, writing, and arithmetic by his mother, but was always a very curious child and taught himself much by reading on his own. This belief in self-improvement remained throughout his life.

1+1=2に納得できなかったエジソン

▼発明王のトーマス・エジソンさんは、学校で先生から1+1=2を習ったとき、2つの粘土をくっつけたら一つの大きな粘土になる、と言って納得できなかった、というエピソードがあります。▼その後、エジソンはどうやってこの問題を理解したのでしょう。数に着目するのか、量に着目するのか、どの視点で対象をとらえるのかによって答えが違う、と考えたのでしょうか。

エピソードの出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3

7+8 に苦労して克服した話

▼筆者が小学校の時、7+8 の計算が苦手だった。8+7 は逆になっている分、もっと苦手だった。▼なぜか。7は5に2を上乗せしている、8は5に3を上乗せしている、だから5+5 で10、それに2+3 で5を足せば良い、と考えようとした。しかし10と5を保存するメモリ不足を起こして、何と何を足すのだったか忘れた。▼どう克服したか。「ななたすはちはじゅうご」と暗唱した。「はちたすななはじゅうご」は覚える必要がなかった。単に逆なだけだから。▼計算するのではなく、覚えたものを当てはめるだけ。7+8 の計算はけっこうな頻度で出てくるので、そのうち得意になりました。今でも、即、答えを言えます。

BN(Before 入試)とAN(After入試)で科目の「見え方」が違う説

BN(Before 入試)とAN(After入試)では、英数国社理、音楽・美術の見え方が違う説。BNでは、生徒は、大学入試に必要な科目を選んで、点を取るのがミッション。ANになったら劇的に変わるか、というと・・・大学の前半あたりまでは、それほどでもなかったりする。なかったりするけど、多少心を落ち着けて科目を見る余裕は出てくる。余裕を持ってみたとき、なんだか良いもんだね、と感じるものはおそらく本当に良いものだろう。上の科目もそんな性質のものと思う。