子供時代の学び方 アブラアム=ルイ・ブレゲ 義父の誘導

前回、ジョン・ハリソンさんを紹介したので、その流れでルイ・ブレゲさんを紹介する。ブレゲさんは高級腕時計メーカーBreguet companyの創業者。1747年、スイス生まれ。1758年(10才)に父を亡くす。その後、母親は時計職人のTattetさんと再婚。Tattetさんはパリにショウルームを持っていた。学校を卒業したプレゲさんに時計の世界に入ることを期待して誘導したものの、本人はなかなかその気にならなかった。▼しかし、なぜか時計に興味を持つようになったので、両親は1762年(15才)、ヴェルサイユの時計作りの親方の元に弟子入りさせる。すると親方は、プレゲさんが時計職人として驚くほどの適性と知性を持っていることに驚き、もっと教育を受けさせるためマザリン大学の夜間数学クラスに通わせた。このクラスで指導者のAbbé Marieさんはプレゲさんのよきメンターになる。この時代、ヴェルサイユの宮廷は時計職人に絶大な影響力を持っていた。Marieさんはルイ16世にプレゲさんを紹介する。王はプレゲさんが作る自動巻き時計をはじめとする新しい技術の入った時計をことのほか喜び、料金をはずんでくれた。▼1775年(28才)で徒弟奉公の年季が明けたのを機に、妻をめとりパリでthe Breguet watchmaking companyを創業した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham-Louis_Breguet https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B2

Long Version: BREGUET – Tourbillon watches explained by Jeff Kingston

子供時代の学び方 ジョン・ハリソン 時計作り

1760年代~1830年代にかけて、イギリスでは産業のあり方が変わった。産業革命と言われるこの時期、いろんな新しい機械が登場して人の生活を大きく変える。これから数回連続で産業革命の時代の発明家や作り手の子供時代の学び方をみる。▼まず、時計製作者のジョン・ハリソン John Harrison さん。独学の大工・時計製作家。マリン・クロノメーターmarine chronometerという船舶用時計を発明した人。それまで外海を航行する船が経度を正確に測定できない、という長年の問題を解決した。クロノメーターのおかげで長距離航行の安全性が飛躍的に高まった。▼子供時代:1693年ヨークシャーの生まれ。5人兄弟の長男。6才のとき天然痘にかかる。療養中に気を紛らわせるために時計をプレゼントされる。音を聞いたり、動く部品を観察して時を過ごした。音楽が好きでBarrow教区教会で合唱団長を務めていた。20才のとき、木製で最初の時計を作る。以来、時計作りで生計を立てていく。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Harrison#cite_note-4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3_(%E6%99%82%E8%A8%88%E8%81%B7%E4%BA%BA)

The Clock That Changed the World (BBC History of the World)

子供時代の学び方 二コラ・テスラ 実験で見た電気に魅了

1856年クロアチア生まれの発明家、電気技術者。交流発電機を発明。記憶力と創造性は母親譲り。父親は教会の司祭。1861年(5才)小学校入り、続けて中学に進む。高校は4年かかるところを3年で卒業。授業で物理の先生が行った実験で電気が起こす不思議な現象を見て「もっとこの素晴らしい力について知りたい」と興味を持つ。▼1875年(19才)、Austrian Polytechnicに入学。授業は欠かさず受け成績もきわめて優秀。毎日午前3時から夜11時まで、土日なしで猛勉強。様子を見た指導教員が父親に大学を辞めさせないとテスラは死んでしまうと心配する手紙を書いていた。しかし、3年生でギャンブルにはまってしまい、卒業できないまま大学を退学する。▼1882年(26才)、フランスのエジソン社で働いているとき、交流発電機を発明する。1884年にアメリカに移民してエジソン社に入るものの、直流至上主義のエジソンとそりが合わずに退社。▼1887年(31才)、テスラの特許のビジネス化を押す出資者が現れTesla Electric Companyを設立。

子供時代の学び方 マイケル・ファラデー 多くの読書と実験

イギリスの化学者・物理学者。1791年、ロンドンで生まれる。一家の暮らしは楽ではなく、マイケルは学校ではほんの基礎しか習ってない。14歳で製本兼書店George Riebau の見習いになる。ここに7年間勤めている間に、多くの本を読んだ。中でも「The Improvement of the Mind(心の修養)」には大きな影響を受けた。科学が好きで特に電気の分野に興味を持つようになり、「Conversations on Chemistry(化学対話)」から刺激を得る。▼20才からCity Philosophical Society(ロンドン市哲学協会)に参加して勉強し始める。有名な学者のもとで助手に採用されるものの、マイケルの出身階級の低さで差別を受けた。「ロウソクの科学」を出版したのは1861年、70才のとき。

https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Faraday https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%BC

How Michael Faraday Changed the World with a Magnet | Great Minds

子供時代の学び方 グリエルモ・マルコーニ 自分の興味+一流のメンター+家族の応援

無線電信システムを完成・発展・事業化して世界に普及させた、事業家・発明家。1874年、イタリアのボローニャの貴族の家に生まれる。▼幼いころから電気や電波に興味を持っていた。学校には行かず、公式の高等教育も受けていない。しかし、教育は、自宅で両親が雇った家庭教師に化学、数学、物理を習った。▼18才になると、ボローニャ大学物理学者のアウグスト・リーギさんに師事する。聴講や大学の実験室や図書館の出入りを許された。リーギさんは、電磁波を発出や検出ができることを示したハインリヒ・ヘルツの研究をしていた。▼無線通信に関する当時の技術は、次のように個別に存在しているけれど、システムにはなっていなかった。電磁波を発生できる・電鍵で作った信号を電磁波に乗せられる・アンテナで送り出せる・電磁波を検出できる・受信した信号を紙テープに記録できる、など。▼マルコーニさんが手掛けたのは、これらの技術を、新結合させて社会の役に立つ無線電信システムにまとめあげることだった。特許を申請すると、新規性がないとして認められないこともあった。▼1897年、23才でマルコーニ無線電信会社を創立
1909年、35才でノーベル物理学賞を受賞
1912年、マルコーニ国際海洋通信会社がタイタニック号内に船舶無線局を設置、社員が乗り込んでいた

https://en.wikipedia.org/wiki/Guglielmo_Marconi https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8B

Guglielmo Marconi Wireless Telegraphy

子供時代の学び方 リー・ド・フォレスト 友達不要 独学で十分

交流を直流に変える二極真空管を発明したのはジョン・フレミングさんなら、電気信号を増幅する三極真空管を発明したのはリー・ド・フォレストさん。エレクトロニクス時代の父と言われる。▼1873年、米国アイオワ州生まれ。同じ年の子供とは付き合わず、図書室で特許庁の報告書を読む子。中高も一人で過ごす。1893年にイェール大学の科学学部機械工学科に入学。成績はきわめて優秀。機械やゲームを発明して得た収入を授業料に充てた。▼大学院に進み、1899年に電波の研究で博士号を取得。大学院を終えた後、Armour Institute of Technology の研究員になる。1908年、三極真空管を発明し特許が確定。電話、ラジオ、レーダーに欠かせない重要なデバイスになった。無線通信を wireless と呼ぶのが嫌で radio という新語を作った。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lee_de_Forest
https://en.wikipedia.org/wiki/Radio#History https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88

子供時代の学び方 ジョン・フレミング すべてはエンジニアになるため

レオ・フェンダーさんがアンプを作るときに必要なのが真空管。整流のための二極真空管を発明したのがフレミングさん。フレミング右手の法則や左手の法則で有名。▼小学校に上がる前から、母が買ってくれた「Child’s Guide to Knowledge」を愛読。10才から通い始めた学校では、幾何(図形)が得意科目。ロンドンのUniversity College Schoolに進学。数学の成績はかった。しかし、古典(Latin)はクラス最下位。▼将来はエンジニアになると決めていた。11才で自分の工作室を持ち、エンジン付きボードやカメラなどを自作。潤沢に材料を買えるほど家が経済的に裕福ではなかった。そこで、先生として学校で教えてお金をためると、学生として知識を蓄え、お金が足らなくなるとまた先生をするというスタイルでスキルアップし続ける。▼University College, Londonではド・モルガンの指導を受ける。(エイダ・ラブレスさんとは弟子仲間ということになる)Cambridge Universityではマクスウェルに師事する。(教え方は難解だったらしい)▼1899年、グリエルモ・マルコーニの創業したマルコーニ社の科学アドバイザーとして、大西洋横断無線電信を行うための発電所を設計。▼エジソン電灯会社のelectricianとして照明システムのアドバイスを行ったりした。1904年、熱電子放出(エジソン効果)の研究を行い、整流器として機能する二極真空管を発明。この発明が世界初の真空管。ここから電子工学が始まる。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Ambrose_Fleming https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

About the ‘father’ of electronics, Professor Sir John Ambrose Fleming

子供時代の学び方 レオ・フェンダー 勉強と趣味を区別、最後は趣味が仕事に

レオ・フェンダーさんは、1909年生まれのエレキ・ギター、アンプ製作者。ギターメーカーFender社の設立者。カリフォルニア州フルートンでオレンジ果樹園を営む両親のもとに生まれる。▼子供のころから電気製品をいじるのが好きだった。カーラジオ販売店を経営していた叔父さんが箱いっぱいの中古部品やバッテリーを送ってくれた。レオさんが叔父さんを訪ねると、店の前に叔父さんが中古部品で組み立てたラジオとスピーカーが展示されていた。そのサウンドに魅了される。▼家に帰ったレオさんは、自宅に作業場を作りラジオいじりを始める。19才で地元の高校を卒業した後、Fullerton Junior College に進学。
大学では電子工学ではなく、会計士のコースを選択。電子工学やラジオは独学で、専門コースには行かなかった。卒業して会計士として会社に就職する。▼すると地元バンドのリーダーが、広い会場でもサウンドが届くアンプを作ってくれと頼み来たりした。結局、会社に雇われる会計士ではうまくいかなかったため、1938年、29才でFender Radio Serviceを開く。すぐにミュージシャンやバンドのリーダーらが店に来て、アンプ作りを依頼したり持っているギターの不満を言うようになる。▼音楽の楽しみ方が変化して大きな音が求められるようになっていた。ナマ楽器では音量が足らず、電気で増幅するギターやアンプが求められる時代になろうとしていた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Fender https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

A #Guitar Story 🎸 Leo #Fender (上の英語版のwikipediaを見ながら動画を見るとよろしいかと存じます)

子供時代の学び方 C・F・マーティン 才能を磨き食べて行く力をつける

1796年、ドイツ生まれのギター製作者。アメリカのギターメーカーC. F. Martin & Companyの設立者。ザクセン選帝侯領 Markneukirchen という町で長年家具製造を営む工房の息子。家業の手伝いをして育ち、木工技術を身につける。▼15才で修行のためにオーストリアのウィーンに行き、高名なギター制作者 Johann Stauffer の工房に見習いとして入る。すぐ才能を認められStauffer工房のチーフに抜擢される。同地で結婚し、子供をもうけたあと、故郷に戻り工房を開設する。▼マーチンさんが所属するのは家具製造のギルドだったので、バイオリン製作ギルドから、楽器製造に手を出すな、とクレームがつき、紛争が起きた。▼この地では展望が開けないと判断したC. F. Martinは一家でアメリカに移住しNYでギター制作工房兼ショップを開設する。それが1833年。ロゴにもEST.1833とある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_Frederick_Martin https://www.martinguitar.com/about/martin-story/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC)

Lift Your Spirits at C.F. Martin & Co.

子供時代の学び方 ヘンリー・スタインウェイ 悲運逆境、才能開花は23才

ヘンリー・スタインウェイさんは、世界最高のピアノメーカーSteinway & Sonsの創業者。1797年、ドイツに生まれ。8才で父親の戦死で孤児になり、飢饉で家族が死去。戦死したと思われていた父親と兄弟が無事帰還したものの事故で亡くすなど、子供時代は many tragedies and twists of fate だった。15才で天涯孤独になったのでドイツ軍に入隊、ナポレオン戦争に参加する。▼戦争後、23才で大工やオルガン製作者見習いになる。すぐ音楽が好きだと自覚し(!)、教会のオルガン奏者になる(!!)。自宅で楽器の自作を始める。当時、ギルド以外の人間が楽器を作るなど許可されない厳しい規則があったので自宅の台所でこっそりと行った。最初はギターやチターそして小型のピアノへと進んだ。38才のとき、最初のグランドピアノをキッチンで完成。42才のとき、ピアノをドイツの展覧会で発表して金賞を取る。▼53才のとき、ドイツにいては食べていけないと判断して5人の息子とニューヨークに渡る。3年間、NYの他人のピアノ会社で働いたあと、56才のとき息子たちと Steinway & Sons のピアノ工場を創業。
スタインウェイのピアノは数々の賞を受賞し、大物ピアニストも魅了して欧米で比類のない地位を獲得した。▼ドイツのDaimlerは、エンジンを世界中にライセンスするようになった。ライセンス先に「United States of America, 1891, Steinway」がある。ヘンリーさんが1871年に亡くなってから20年後だ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_E._Steinway https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4

Steinway & Sons – The Steinway Piano Through the Years