リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(53)リーゼ・マイトナーさんのベルリン脱出に協力:P・デバイさん

▼デバイさんは人育て名人ゾンマーフェルトさんの弟子でノーベル賞を受賞した4人のうちの一人。
▼デバイさんは、1938年にフリッシュさんの叔母リーゼ・マイトナーさんがベルリンを脱出するときの協力者のひとり。しかし、フリッシュさんの自伝にはそのことは触れていない。
▼自伝には原子核の姿の謎を解き明かそうとする科学者のひとりとしてデバイさんの紹介がある。「1930年代の当時、科学者たちは、原子核が電子を放出して電荷を変えるベータ崩壊の解釈について悩まされていた。ペーター・デバイはこれを『新しい税金のように、考えないのが最善の課題である』と語っていた」(p.224)。

ピーター・デバイ Peter Debye 1884-1966
1884年、オランダのマーストリヒト生まれ。
教育
1901年(17才)ドイツのアーヘン工科大学に入学。
1905年(21才)アーヘン工科大学で電気工学の学位取得。
1908年(24才)ミュンヘン大学でPh.D.(指導教員はゾンマーフェルトさん)。ゾンマーフェルトさんの助手。
活動
1911年(27才)チューリッヒ大学で教授(1912年まで)。
1912年(28才)ユトレヒト大学で教授(1914年まで)。デバイ模型を考案。デバイの比熱式を考案。
1913年(29才)ゲッティンゲン大学で教授(1920年まで)。ニールス・ボーアの原子構造の理論を拡張
1914年(30才)WWI。オランダ王立芸術科学アカデミー会員。X線散乱による構造解析法デバイ-シェラー法を開発(1915年まで)。
1918年(34才)WWI終戦
1920年(36才)チューリッヒ工科大学で教授(1927年まで)。
1923年(39才)電解液の中のイオンの相互作用を統計力学的に解析する「デバイ-ヒュッケルの式」発表。「コンプトン効果」を説明。
1927年(43才)ライプツィヒ大学で教授(1934年まで)。
1934年(50才)ベルリン大学教授とカイザー・ウィルヘルム物理学研究所所長(1938年まで)。
1935年(51才)ローレンツメダル受賞。
1936年(52才)ノーベル化学賞受賞(双極子モーメントおよびX線、電子線回折による分子構造の研究)
1937年(53才)ドイツ物理学会会長(1939年まで)。
1938年(54才)リーゼ・マイトナーさんのベルリン脱出に協力。
1939年(55才)渡米。WWII
1940年(56才)コーネル大学で教授(1950年まで)。
1945年(61才)WWII終戦
1946年(62才)アメリカ合衆国の市民になる。
1950年(66才)マックス・プランク・メダル受賞。
1952年(68才)リタイア。研究は継続。
1965年(81才)アメリカ国家科学賞受賞。
1966年(82才)ニューヨーク州のイサカで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ アルノルト・ゾンマーフェルト Arnold Sommerfeld 1868-1951
弟子
□ ラルス・オンサーガー Lars Onsager 1903-1976 ノルウェー出身アメリカの物理学者。チューリッヒ工科大学で指導を受ける。1968年、ノーベル化学賞を受賞。
□ パウル・シェラー Paul Scherrer 1890-1969 スイスの物理学者。ゲッチンゲン大学でデバイ-シェラー法)を開発。
関係筋
□ Paul Rosbaud 1896–1963 オーストリア生まれの冶金学者。ナチス体制下でユダヤ人の脱出を助けた。
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958 ゾンマーフェルトさんの弟子
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976 ゾンマーフェルトさんの弟子
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005 ゾンマーフェルトさんの弟子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%90%E3%82%A4
https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Debye
※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(52)水爆の父:E・テラーさん

▼共産主義やアメリカの敵国に対抗するためマンハッタン計画に参加し、原爆以上に破壊力を持つ水爆の研究開発を促進した理論物理学者。
▼フリッシュさんの自伝のテラーさんは昨日のノイマンさんとほぼ同量の記述がある。「テラーはいつも、難しい問題、議論、目隠しチェスゲームなど、何か挑戦するものを探すタイプの頭脳を持っていた」(p.217)
「私は、技術の欠けているところを天性の音楽性と、純粋な意志の力で置き代えたテラーのピアノ演奏も好きで、称賛していた」(p.218)
▼「テラーは故郷のハンガリーが共産主義者に占領されるのを見て以来、狂信的な反共主義者となり、(中略)アメリカはそのために武装すべきだと強く信じていた」ので、ウラムさんと研究を続けて完成させる。「水素爆弾はいまや、広島を壊滅させた原子爆弾の一千倍の爆発力を持つようになっている」(p.218)

エドワード・テラー Edward Teller 1908-2003 ハンガリー出身、アメリカの理論物理学者。
1908年、ハンガリーのブダペスト生まれ。父は弁護士、母はピアニスト。共にユダヤ人。
教育
幼年時代、(アインシュタインさんやファインマンさんと同様)話し始めるのに時間がかかった。数字に興味があり計算が早かった。
1914年(6才)WWI
1918年(10才)WWI終戦
1919年(11才)オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊。反ユダヤ主義が盛んになる。ブダペストのFasori Lutheranギムナジウム、Mintaギムナジウムで学ぶ。
1926年(18才)ユダヤ人への圧迫が強まったので一家でハンガリーからドイツへ移住。Karlsruhe大学に入学。数学と化学を学ぶ。ハーマン・マークさんからド・ブロイさんの量子物理の話を聞く。
1928年(20才)電車事故で右足先端を切断。Karlsruhe大学で学士(化学工学)。専門を物理に変えてミュンヘン大学に入学、ゾンマーフェルトさんに学ぶ。
1929年(21才)ミュンヘン大学からライプツィヒ大学に転学。
1930年(22才)ライプチヒ大学で Ph.D. in physics。指導教員はハイゼンベルクさん。ガモフさん、ランダウさん、プラチェックさんと友達になる。ゲッティンゲン大学でボルンさんとフランクさんに学ぶ。
活動
1932年(24才)プラチェックさんの計画で、夏をローマのフェルミさんのもとで原子核物理学を研究して過ごす。
1934年(26才)ユダヤ人救出委員会の助けでドイツを脱出。コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で研究。結婚。
1935年(27才)アメリカ合衆国に移住。
1937年(29才)ハーマン・ヤーンさんとJahn–Teller effectを発見。
1939年(31才)WWII
1941年(33才)ガモフさんの紹介でジョージ・ワシントン大学で教授(物理学)(1941年まで)。アメリカ市民になる。
1942年(34才)オッペンハイマーさんがカリフォルニア大学バークレー校で開いた原子爆弾製造法のセミナーに参加。マンハッタン計画に参加、ロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属。水素爆弾の開発を主張。
1943年(35才)友人のレフ・ランダウの運命(スターリン批判して投獄)を知り共産主義反対の立場。
1945年(37才)トリニティ実験に立ち会う。WWII終戦
1946年(38才)シカゴ大学で教授。
1949年(41才)ソビエト連邦が核爆発に成功。アメリカを刺激。
1950年(42才)ロスアラモス国立研究所で水爆計画に携わる。
1952年(44才)水爆実験に成功。ロスアラモス研究所を辞め、カリフォルニア大学放射線研究所ローレンス・リバモア支部に入る。
1954年(46才)身上調査審問でオッペンハイマーさんを非難。その後、二人の関係が悪化。
1958年(50才)ローレンスリバモア国立研究所の所長(60年まで)。カリフォルニア大学バークレー校で教員。
1975年(67才)カリフォルニア大学バークレー校を引退。ローレンスリバモア国立研究所の名誉所長。フーバー研究所のシニア研究員。
1982年(74才)アメリカ国家科学賞を受賞。
2003年(95才)カリフォルニア州スタンフォードで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ アルノルト・ゾンマーフェルト Arnold Sommerfeld 1868-1951 ミュンヘン大学で師事。
■ マックス・ボルン Max Born 1882-1970
■ ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964
■ ニールス・ボーア Niels Bohr 1885-1962
□ ハーマン・マーク Herman Mark 1895-1992
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976 指導教員。
関係筋
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955
□ セオドア・フォン・カルマン Theodore von Kármán 1881–1963
■ アーサー・コンプトン Arthur Compton 1892-1962
■ レオ・シラード Leo Szilard 1898–1964
■ イジドール・ラービ Isidor Rabi 1898-1988
□ Paul Hugh Emmett 1900–1985 Brunauer–Emmett–Teller isotherm
■ アーネスト・ローレンス Ernest Lawrence 1901-1958
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995
■ ジョン・フォン・ノイマン John von Neumann 1903-1957
□ Stephen Brunauer 1903–1986 Brunauer–Emmett–Teller isotherm
■ ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer 1904-1967
□ ジョージ・ガモフ George Gamow 1904-1968 友人。
□ ジョージ・プラツェック George Placzek 1905–1955 友人。
■ エミリオ・セグレ Emilio Segrè 1905-1989
□ マリア・ゲッパート=メイヤー Maria Goeppert-Mayer 1906-1972
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005
□ Hermann Arthur Jahn 1907-1979 Jahn–Teller effect
■ ルドルフ・パイエルス Rudolf Peierls 1907-1995
■ レフ・ランダウ Lev Landau 1908-1968 友人。
■ スタニスワフ・ウラム Stanisław Ulam 1909-1984
□ クラウス・フックス Klaus Fuchs 1911-1988 理論物理学者。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Teller
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(51)電子計算機の精神的な父:フォン・ノイマンさん

▼ノイマンさんはマンハッタン計画、コンピュータに関わったエピソード豊富な数学者。
▼フリッシュさんはロスアラモスでノイマンさんに出会い、コンピュータの話を直接教えてもらう。5時から始めて途中でパブでビールを飲んだ後、深夜まで。「終わったとき、私の頭は蜂が飛んでいるようにぶんぶん言っていたが、電子計算機の新しい世界を本当に理解できたように感じられた」(p.215)
▼「私のコンピュータに魅せられる気持ちは、それ以来、止むことがなく、創造主自身からこのように素晴らしい手ほどきをうけたことは特別の恩恵であったと感じている」(p.216)
▼活躍が多岐に渡り関係者がとても多い。

ジョン・フォン・ノイマン John von Neumann 1903-1957
1903年、ブダペスト生まれ。ユダヤ人。父は銀行の弁護士で博士(経済学)。
教育
英才教育を受ける。
1914年(11才)WWI。ブダペストの名門ルーテル・ギムナジウムに入学。ユージン・ウィグナーさんと友達。
1915年(12才)ブダペスト大学の数学者から数学を学ぶ。
1918年(15才)WWI終戦
1920年(17才)最初の数学論文を書く(1922年の学会誌に掲載)。
1921年(18才)ギムナジウムを首席で卒業。ブダペスト大学大学院で数学を学ぶ(1926年まで)。ベルリン大学とチューリッヒ工科大学で化学工学を学ぶ。
1926年(23才)3大学で博士号(数学、物理、化学)。ロックフェラー奨学金を得てゲッチンゲン大学でヒルベルトさんのもとで研究。
1927年(24才)教授資格を取得。12本の数学論文を発表。
活動
1928年(25才)ベルリン大学で私講師。
1929年(26才)ハンブルグ大学で私講師。
1930年(27才)結婚(1937年に離婚)。プリンストン大学に招かれる。ナチスから逃れ一家で渡米。プリンストン高等研究所IASで所員。
1932年(29才)『量子力学の数学的基礎』発表。
1933年(30才)IASで終身教授(数学)。爆発物の専門家になりアメリカ合衆国海軍コンサルタント。
1937年(34才)アメリカ市民になる。
1938年(35才)再婚。
1939年(36才)WWII
1941年(38才)国防研究協議会(NDRC)で顧問(後に委員)。
1944年(41才)ゴールドスタインさんからENIACの話を聞き、開発会議に参加。マンハッタン計画では原子爆弾に使う爆縮レンズの開発を担当、膨大な計算が必要だった。
1945年(42才)WWII終戦。IASで気象予測を目的とするコンピュータIASマシンの建造を開始。マージソートを考案。
1951年(48才)IASマシン完成。低気圧発達の再現に成功。国立環境予報センターの元になる。
1957年(54才)ワシントンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ ダフィット・ヒルベルト David Hilbert 1862-1943 ドイツの数学者。現代数学の父。ノイマンさんを高く評価、ゲッチンゲン大学で指導。
□ フェイェール・リポート Fejér Lipót 1880-1959 ハンガリーの数学者。ブダペスト大学でノイマンさんの指導教員。
弟子
□ ドナルド・ギリース Donald Gillies 1928-1975 カナダの数学者、計算機科学者。1953年、「Contributions to the theory of games」で学位取得。
関係筋
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955 IASで同僚だった。
□ セオドア・フォン・カルマン 1881–1963 ハンガリーの航空工学者。航空工学の父。父が教育相談をした相手。結果、ベルリン大学とチューリッヒ工科大学の両方で化学工学を学ぶことになった。WWII前後はアメリカ陸軍の弾道研究所の責任者。
□ ルイス・フライ・リチャードソン Lewis Fry Richardson 1881-1953 イギリスの数学者・気象学者。数値解析による天気予報のパイオニア。ノイマンさんがIASマシンで気象予測を行うさいヒントにする。
■ ヘルマン・ワイル Hermann Weyl 1885-1955 ドイツの数学者。IASで同僚。
□ カール=グスタフ・ロスビー Carl-Gustaf Arvid Rossby 1898-1957 気象学者。近代気象学の父。ノイマンさんがIASマシンのテーマに気象予報を選ぶ手引きをした。
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995 同じギムナジウムで1つ年上の友達。
□ オスカー・モルゲンシュテルン Oskar Morgenstern 1902-1977 ノイマンさんと共にゲーム理論を経済学に導入し現在のミクロ経済学の基礎を作った経済学者。
■ ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer 1904-1967
■ エミリオ・セグレ Emilio Segrè 1905-1989
■ クルト・ゲーデル Kurt Gödel 1906-1978 数学者。
■ ジョン・モークリー John Mauchly 1907-1980 ENIACの設計・製造。
■ スタニスワフ・ウラム Stanisław Ulam 1909-1984 親友。セル・オートマトンの分野を共に開拓。
□ クラウス・フックス Klaus Fuchs 1911-1988 理論物理学者。共に水素爆弾を開発した。
□ Cuthbert Hurd 1911–1996 ノイマンさんをIBMのコンサルタントにした計算機科学者。
■ アラン・チューリング Alan Turing 1912-1954 IASで友達になる。
■ ハーマン・ゴールドスタイン Herman Goldstine 1913-2004 アメリカ陸軍とプリンストン大学のリエゾン。数学者。ノイマンさんをENIACプロジェクトに引き入れた。
■ クロード・シャノン Claude Shannon 1916-2001 IASで知り合う。
□ ジュール・チャーニー Jule Charney 1917-1981 アメリカの気象学者・海洋学者。IASマシンプロジェクトの協力者。気象学と気象予報にコンピュータを活用した数値予報を導入。地球温暖化も予測。
■ ジョン・プレスパー・エッカート John Presper Eckert 1919-1995 ENIACの設計・製造。
□ ノーマン・フィリップス Norman A. Phillips 1923–2019 シカゴ大学の気象学者。ノーマンさんが大気大循環モデルで計算実験を行い、これを見たノイマンさんが発展のために尽力。
■ ジョン・マッカーシー John McCarthy 1927-2011 ノイマンさんが「人工知能」研究の助言をする。
■ ドナルド・クヌース Donald Knuth 1938- 「ノイマンさんがマージソートの発明者」と指摘。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/John_von_Neumann

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(50)学者としても管理者としても超一流:A・コンプトンさん

▼アーサー・コンプトンさんは光が波動性と粒子性の両方を持つ発見によりノーベル賞物理学賞を受賞したアメリカの物理学者。WWIIの時期、アメリカが本格的に原爆製造に乗り出す時期のキーパーソンの一人。
▼フリッシュさんの自伝でコンプトンさんはフェルミさんの支援者としての記述がある。「フェルミは敵側の外国人であったが、有名なアメリカの物理学者のアーサー・H・コンプトンがフェルミにあらゆる支援を与えた」(p.207)

アーサー・コンプトン Arthur Compton 1892-1962
1892年、オハイオ州ウースター生まれ。父は大学教授。
教育
1914年(22才)WWI
1916年(24才)プリンストン大学でPhD(物理学)。
活動
1918年(26才)WWI終戦
1919年(27才)ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に留学。
1920年(28才)ワシントン大学で教授(物理学)。光が波動と粒子の性質を持つ「コンプトン効果」発見。
1923年(31才)シカゴ大学で教授(物理学)。
1927年(35才)ノーベル物理学賞を受賞(コンプトン効果の発見)。
1939年(47才)WWII
1941年(49才)ブッシュさんがNDRCのウラン計画を大統領に報告する特別委員会を設立、コンプトンさんが委員長。
シカゴ大学冶金研究所に科学者を集める。マンハッタン計画を促進。
1945年(53才)WWII終戦
1946年(54才)シカゴ大学を退任。ワシントン大学で第9代学長(1954年まで)。
1961年(69才)ワシントン大学を退任。
1962年(70才)カリフォルニア州バークレーで死去。
※より詳しい年表は2020年10月8日のブログを参照(下記にURL)。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Hereward Cooke 1916–1973 アメリカの画家。 プリンストン大学Ph.D.。
弟子
□ ルイス・アルヴァレズ Luis Alvarez 1911-1988 物理学者。1968年にノーベル物理学賞を受賞(水素泡箱による素粒子の共鳴状態に関する研究)。
関係筋
□ ウィリアム・ジェームズ William James 1842-1910 アメリカの哲学者、心理学者。
□ アンリ・ポアンカレ Henri Poincaré 1854–1912 フランスの数学者、理論物理学者。
■ アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherford 1871-1937 イギリスの物理学者。キャベンディッシュ研究所時代に出会い、尊敬した人物。
アーサー・エディントン Arthur Eddington 1882-1944 イギリスの天体物理学者。キャベンディッシュ研究所時代に出会い、尊敬した人物。
□ カール・コンプトン Karl Compton 1887-1954 実験物理学者。プリンストン大学PhD。MIT学長(1930-1948) アーサー・コンプトンさんの兄。
□ ウィルソン・コンプトン Wilson Compton 1890–1967 経済学。製紙製材業界の専門。プリンストン大学PhD。ワシントン州立大学学長(1944-1951) アーサー・コンプトンさんの兄。
■ ヴァネヴァー・ブッシュ Vannevar Bush 1890-1974
■ ジョージ・パジェット・トムソン George Paget Thomson 1892–1975 イギリスの物理学者。キャベンディッシュ研究所時代の共同研究相手。1937年にノーベル物理学賞を受賞(結晶による電子線回折現象の発見)。
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
■ アーネスト・ローレンス Ernest Lawrence 1901-1958
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
□ カール・ポパー Karl Popper 1902-1994 イギリスの哲学者。
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995
■ ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer 1904-1967
■ エミリオ・セグレ Emilio Segrè 1905-1989
□ ダニエル・デネット Daniel Dennett 1942- アメリカの哲学者。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
2020年10月8日のブログ

L・マイトナーさんと同時代の科学者(28) A・コンプトンさん


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(49)原子炉の運転を世界で初めて成功させた:E・フェルミさん

▼フリッシュさんの自伝でのフェルミさんの説明量は最大クラス。「エンリコ・フェルミがロスアラモスにやってきたのはかなり遅く、1944年のことだったが、そのときの私たちの喜びは大きかった。フェルミの評判はすごいものだった」(p.206)。
▼「フェルミは決して、せかせかしているようには見えなかったが、たいへん系統的に仕事をしたので、実に多くのことを成し遂げた」「若者たちは完全にフェルミに打ち解けていた。このようにリラックスした飾らないやり方が完璧に身に着いた人物に、私はいままで会ったことがなかった」(p.208)
▼理論と実践の両方に優れた珍しいタイプの科学者。2月10日に紹介したワイスコフさんの言葉を引用すると「知識と思いやり」の人物。イタリア時代に作った若手研究者のチームは、ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ(パニスペルナ通りの少年達)と言われ核物理をけん引した。このような呼び方をされることからもチームとして認識されていたことが分かる。

エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
1901年、ローマ生まれ。父は公務員、母は教師。
教育
1914年(13才)WWI
1918年(17才)WWI終戦
1922年(21才)ピサ大学で博士(物理学)。
活動
●1920年代:「理論物理学の基本的な概念のいくつかを創り上げる」(p.206)
1926年(25才)「フェルミ統計(電子の振る舞いにパウリさんの排他原理を導入した統計力学)」を発表。ローマ・ラ・サピエンツァ大学で新設教授。ラゼッティさんと研究チームを組成。
1928年(27才)ユダヤ人女性と結婚。「フェルミのベータ崩壊の理論」を完成。自然の元素に中性子を照射し人工放射性同位元素を生成。
●1930年代:「ローマで中性子に関する実験研究を開始。世間をあっと言わせる結果を得た」(p.206)
1932年(31才)「中性子が発見されるやいなや、フェルミは彼の戦略的なセンスで、この新たな物質のかけらを使う実に第一の優先度があると気づく」(p.108)
「フェルミはラ・リセルカ・サイエンティフィカと取決めを結び、遅滞なく印刷することという条件をつけて、最新の結果を送った」(p.109)ニールス・ボーアの研究所にいるフリッシュさんはイタリア語を翻訳して仲間に伝えていた。「リセルカの新しい号が届く度に、私はフェルミの細心の発見の翻訳をすぐに聞きたがっている群衆の中心に立っていた。それは何と興奮に満ちた時間であったことか」(p.109)
1938年(37才)ファシスト政権によるユダヤ人排斥が始まる。ノーベル物理学賞(中性子衝撃による新放射性元素の発見と熱中性子による原子核反応の発見)。受賞式の後アメリカに脱出。「アメリカ到着とほぼ同時に、ニールス・ボーアから核分裂の発見を聞く」(p.206)
1939年(38才)WWII。コロンビア大学で教授(物理学)。「個々の核分裂の過程で解放される、中性子の平均の数を測定する目的の仕事を始める。この数によって、原子核の連鎖反応が可能となるかどうかが決まる」(p.206)
1942年(41才)シカゴ大学で世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成させ、核分裂の連鎖反応の制御に成功。マンハッタン計画に参加。
1944年(43才)ロスアラモス国立研究所でアドバイザー。
1945年(44才)WWII終戦。水素爆弾には反対の立場。シカゴ大学で教授。
1954年(53才)マックス・プランク・メダル受賞。シカゴで死去。
※より詳しい年表は2020年9月14日のブログを参照(下記にURL)。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ルイージ・プッチアンティ Luigi Puccianti 1875-1952 イタリアの物理学者。高感度分光器の発明者。
■ ポール・エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880-1933
■ マックス・ボルン Max Born 1882-1970
弟子
□ エドアルド・アマルディ Edoardo Amaldi 1908–1989 イタリアの物理学者。「ニュートリノneutrino」の命名者。
■エミリオ・セグレ Emilio Segrè 1905-1989
関係筋
□ フランコ・ラゼッティ Franco Rasetti 1901-2001 イタリアの物理学者。フェルミさんの親友で同級生。核分裂を共同研究。1930年、ローマ大学で教授。1939年、ユダヤ人追放のためイタリア脱出。1947年、ジョンズ・ホプキンス大学で教授。1952年、アメリカ市民になる。WWII戦後は古生物の研究に携わる。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
2020年9月14日のブログ

L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(6) エンリコ・フェルミさん

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F
https://en.wikipedia.org/wiki/Enrico_Fermi

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(48)フリッシュさんのドラゴン実験の後任:L・スローティンさん

▼ロスアラモス国立研究所でフリッシュさんは「ドラゴン実験」を行っていた。「経験もあり慎重な物理学者」(p.200)のスローティンさんはフリッシュさんと一緒に働き、WWII終戦後はフリッシュさんの後任になった。
▼「ウラン235の塊を集めることがどういうことなのか、私たちは完全に理解していた。臨界量(連鎖反応が自発的に成長し始める時点)に到達しない限り、集合体は完全に無害であった。しかし、小さなミスの結果として、非常に突然に臨界条件が達成されることがあった」(p.199)
▼スローティンさんは作業中に「小さなミス」を犯した結果、事故が起き、その9日後に亡くなる。

ルイス・スローティン Louis Slotin 1910-1946
1910年、カナダのマニトバ州ウィニペグ生まれ。ユダヤ人。
教育
1914年(4才)WWI。
1918年(8才)WWI終戦。
小学校から高校まで成績抜群。
1926年(16才)マニトバ大学入学。
1932年(22才)マニトバ大学で学士(地質学)。
1933年(23才)マニトバ大学で修士(地質学)。
1933年(23才)ロンドン大学キングス・カレッジでフェロー。電気化学と光化学を学ぶ。大学生ボクシングのバンタム級チャンピオン。イギリス空軍の戦闘機パイロットになりスペイン内戦に参加。
1936年(26才)ロンドン大学キングス・カレッジで博士(物理化学)。
活動
1937年(27才)シカゴ大学で研究員。シンクロトロンの建設に参加、核化学に出会う。
1939年(29才)WWII。シンクロトロンで放射性炭素のC14とC11を作成(1940年まで)。
1942年(32才)フェルミさんの原子炉シカゴ・パイル1号の建設に参加。フェルミさんはスローティンさんの無謀さに悩まされる。マンハッタン計画に参加。
オークリッジ国立研究所のユージン・ウィグナーさんの下でプルトニウムを製造。
1944年(34才)ロスアラモス国立研究所でフリッシュさんの下でウランを用いたドラゴン実験に参加
1945年(35才)フリッシュさんの助手で同僚のハリー・ダリアンさんが臨界実験中の事故で中性子線を浴び1カ月後に死去。WWII終戦。フリッシュさんの後任になる。
1946年(36才)作業中、事故で即発臨界が生じ中性子線を浴び9日後に死去。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(47)思いやりと知識の物理学者:V・ワイスコフさん

▼フリッシュさんとワイスコフさんは古い知り合いだ。ワイスコフさんの兄から「弟のビッキーが自分には答えられない物理学の質問をたくさんするので」といってお茶に誘われる。フリッシュさんは弟より2才年上だったので応じる。「私は、その当時、いくつかのビッキーの質問に答えられた。そのときが、ビッキーより私の方が物理学を知っていると感じられた最後の時だった」(p.193)
▼フリッシュさんはワイスコフさんについて「ビッキーは物理学のさまざまな問題に関する深い洞察だけでなく、政治的な能力についても広く賞賛されていた」(p.193)という。
▼英語版のWikipediaには次のようなワイスコフさんの言葉が紹介されている:「人には2つの柱がある。思いやりと知識だ。知識のない思いやりは効果がない、思いやりのない知識は非人間的だ。」

ヴィクター・ワイスコフ Victor Weisskopf 1908-2002
1908年、ウィーン生まれ。ユダヤ人。
教育
1914年(6才)WWI
1918年(10才)WWI終戦
1931年(23才)ゲッティンゲン大学で博士(物理学)。指導教員はボルンさん。
ライプツィヒ大学でハイゼンベルクさんの助手。ウィーン大学でシュレディンガーの助手。ニールスボーア研究所でボーアさんの助手。ケンブリッジ大学でディラックさんの助手。チューリッヒ工科大学でパウリさんの助手。
活動
1937年(29才)ナチスの勢いが増したため渡米。ロチェスター大学で教授(1943年まで)
1939年(31才)WWII
1943年(35才)アメリカ合衆国の市民になる。マンハッタン計画に参加。
1945年(37才)WWII終戦
1946年(38才)MITで教授(物理学、1961年まで)。
1956年(48才)マックス・プランクメダル受賞。
1960年(52才)アメリカ物理学会会長(1961年まで)。
1961年(53才)欧州原子核研究機構CERNで事務局長(1966年まで)。
1965年(57才)MITで教授(物理学、1974年まで)。
1976年(68才)アメリカ芸術科学アカデミー会長(1979年まで)。
1980年(72才)アメリカ国家科学賞受賞。
2002年(94才)マサチューセッツ州ニュートンで死去。

▼師匠・関係筋
師匠
■ マックス・ボルン Max Born 1882-1970
関係筋
■ ニールス・ボーア Niels Bohr 1885-1962
■ エルヴィン・シュレーディンガー Erwin Schrödinger 1887-1961
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
■ ポール・ディラック Paul Dirac 1902-1984

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%95
https://en.wikipedia.org/wiki/Victor_Weisskopf

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(46)水爆の機構を考えた数学者:S・ウラムさん

▼ウラムさんはポーランド生まれの数学者。マンハッタン計画に参加し、終了後は水爆研究に携わり、水爆を推力に使う宇宙船計画を発案する。数学を道具にするとどんな仕事でも可能、と思わせる。
▼フォン・ノイマンさんとウマが合ったようで研究面でも仕事の面でも力を借りた。
▼フリッシュさんの自伝では「ウラムは私に対して、かつて自分は抽象的な記号だけで仕事をする純粋な数学者だったが、今では低いレベルに落ち込んでしまい、最近の自分のレポートは小数点付きの数字を含んでいる、何という不名誉なことだ」と言っていた。しかし「実際には、原子爆弾の挙動を予測するために、最も難解で抽象的な数学の手法を使う神秘的な技術を持っていた」(p.192)人物。

スタニスワフ・ウラム Stanisław Ulam 1909-1984
1909年、現ウクライナのリヴィウLwów生まれ。ユダヤ人。父は建築家。
教育
1914年(5才)WWI
1916年(7才)一家でウィーンに住む(1918年まで)。
1918年(9才)WWI終戦
1919年(10才)リヴィヴLwówの第7ギムナジウムに入学(1927年卒業)。
1927年(18才)リヴィウ工科大学入学。カジミェシュ・クラトフスキさんとステファン・バナフさんに数学を学ぶ。
1929年(20才)最初の論文「Concerning Function of Sets」を発表。
1931年(22才)リアオアにア、ウィーン、チューリッヒ、パリ、ケンブリッジで修業(1935年まで)。
1932年(23才)リヴィウ工科大学でMA。
1933年(24才)リヴィウ工科大学で Doctor of Science。
活動
1935年(26才)ノイマンさんの招きでプリンストン高等研究所。人脈を拡げる。
1936年(27才)夏はポーランドで過ごし、後はハーバード大学(1939年まで)。
1939年(30才)ポーランドに戻るもWWIIのため兄弟と脱出。残りの家族はホロコーストの犠牲。
1940年(31才)ウィスコンシン大学で助教授。
1941年(32才)アメリカ市民になる。結婚。
1943年(34才)ノイマンさんに仕事を打診、ベーテさんからマンハッタン計画に招待。フリッシュさんがロスアラモス研究所に到着。
1944年(35才)ロスアラモス研究所。
1945年(36才)WWII終戦。ロスアラモス国立研究所でテラーさんと水爆を爆発させる機構「テラー=ウラム配置」を発明。
1949年(40才)モンテカルロ法を考案。
1951年(42才)ハーバード大学で客員教授(1952年まで)。
1955年(46才)核爆発を推力にする宇宙船構想「オリオン計画」を提案。
1956年(47才)MITで客員教授(1957年まで)。
1961年(52才)コロラド大学で客員教授(1962年まで)。
1963年(54才)カリフォルニア大学で客員教授。
1965年(56才)コロラド大学で教授(1975年まで)。
1984年(75才)ニューメキシコ州サンタフェで死去。

▼師匠・関係筋
師匠
□ カジミェシュ・クラトフスキ Kazimierz Kuratowski 1896-1980
□ ステファン・バナフ Stefan Banach 1892-1945
関係筋
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005
■ フォン・ノイマン John von Neumann 1903-1957
■ エドワード・テラー Edward Teller 1908-2003

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stanislaw_Ulam
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%A0

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(45)恒星では核融合反応が起こっていると説明した:H・ベーテさん

▼ベーテさんはナチスのユダヤ人政策を受けて故国を去り、アメリカ市民になってマンハッタン計画に参加した物理学者である。
▼フリッシュさんの自伝では「あるパーティで、私は数学のパズルを出すことになり、自分のシャツをファインマンに賭ける用意をしたが、ベーテの方が最初に答を出した」(p.192)というエピソードを取り上げ、その「恐るべき速度と底知れぬ力を持つ精神」を持つ人物像を描いている。
▼師匠はゾンマーフェルト先生。良い先生、良い人物であることが、弟子の世話ぶりから伝わってくる。

ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005
1906年、ドイツ領だったストラスブルグ生まれ。父はストラスブルグ大学の私講師(生理学)。ユダヤ系。
教育
1912年(6才)父がキール大学の教授になったので一家で転居。
1914年(8才)WWI
1915年(9才)父がフランクフルトアンマイン大学の教授になったので一家で転居。ゲーテ・ギムナジウムで学ぶ。
1918年(12才)WWI終戦
1924年(18才)フランクフルト大学入学。化学を志す。
1926年(20才)ミュンヘン大学でゾンマーフェルトさんの下で研究。
1927年(21才)ミュンヘン大学で PhD。指導教員はゾンマーフェルトさん。
活動
1928年(22才)フランクフルト大学で助手。
1929年(23才)シュトゥットガルト工科大学で研究。
1930年(24才)教授資格を得る。ロックフェラー奨学金を得てケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所でポスドク研究。
1931年(25才)ローマのフェルミさんの研究所で研究。
1932年(26才)チュービンゲン大学で助教授の話。国家社会主義が勢いを増したため頓挫。ゾンマーフェルトさんの助けでミュンヘン大学でポスドク研究。
1933年(27才)ゾンマーフェルトさんとブラッグさんのつてでパイエルスさん夫妻(ユダヤ人)と共にイギリスに渡りマンチェスター大学で研究。チャドウィックさんの研究も応援。
1934年(28才)ニールス・ボーア研究所で研究。
1935年(29才)コーネル大学で助教授。
1939年(33才)結婚。WWII
1941年(35才)アメリカ市民になる。 MIT Radiation Laboratoryに参加。原爆研究。マンハッタン計画に参加、ロスアラモス研究所理論物理学チームのリーダー。
1945年(39才)WWII終戦
1947年(41才)コーネル大学に復帰。
1967年(61才)ノーベル物理学賞(原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見)。
1975年(69才)アメリカ国家科学賞受賞。
2005年(99才)NYで死去。

▼師匠・関係筋
師匠
■ アルノルト・ゾンマーフェルト Arnold Sommerfeld 1868-1951
関係筋
■ ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964
■ ニールス・ボーア Niels Bohr 1885-1962
■ ジェームズ・チャドウィック James Chadwick 1891-1974
■ パトリック・ブラケット Patrick Blackett 1897–1974
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958
■ エンリコ・フェルミ Enrico Fermi 1901–1954
■ ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer 1904-1967
■ ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls 1907-1995
■ リチャード・ファインマン Richard Feynman 1918-1988

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Bethe
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%86

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(44)理論物理学者:R・ファインマンさん

▼ファイマンさんは、「ファインマン物理学」「ご冗談でしょう、ファインマンさん」で超有名な物理学者。
▼フリッシュさんの自伝では「なかでも最高に面白かったのは、まだたいへん若い男で誰もが芽を出しつつある天才と認めるリチャード・ファインマンだった」と紹介し、エピソードを披露している。
▼しかし、次の話のほうがファインマンさんがロスアラモスにいた意味が伝わる。フリッシュさんが書いた核爆発実験の提案書が上級の物理学者の評議会に認められる。「リチャード・ファインマン(彼は年少にもかかわらず、その評議会の一員だった)は微笑みながら「眠っている竜の尻尾をくすぐるようなものだね」といってそれを受理したので、私の実験は「ドラゴン実験」とあだ名がついた」(p.198)。

リチャード・ファインマン Richard Feynman 1918-1988
1918年、NY生まれ。ユダヤ人。父は制服販売業。
教育
地元のファーロッカウェイ高校。
1935年(17才)MIT入学。
1939年(21才)MITで学士。WWII。プリンストン大学入学。
1942年(24才)結婚(1945年まで)。
1943年(25才)プリンストン大学でPh.D. 指導教員はジョン・ホイーラーさん。オッペンハイマーさんの勧誘でマンハッタン計画に参加。ロスアラモス国立研究所。フリッシュさんらが研究所に参加
活動
1945年(27才)トリニティ実験WWII終戦
1946年(28才)コーネル大学で教授(1951年まで)。
1951年(33才)サバティカルでブラジル滞在(1952年まで)。サンバ音楽に出会う。
1952年(34才)再婚(1956年まで)。カリフォルニア工科大学で教授。
1960年(42才)再婚。
1965年(47才)ノーベル物理学賞受賞(量子電磁力学の分野における基礎研究)。
1979年(61才)アメリカ国家科学賞受賞。
1988年(70才)ロサンゼルスで死去。

▼師匠・関係筋
師匠
□ ジョン・ホイーラー John Wheeler 1911-2008
弟子
□ ジョージ・ツワイク George Zweig 1937-
関係筋
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958
■ ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer 1904-1967
■ ポール・ディラック Paul Dirac 1902-1984
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906–2005

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3