子供時代の学び方 ヘンリー・モーズリー 経験に学び工作の礎と向き合う

ヘンリー・モーズリー Henry Maudslay 1771–1831 イギリスの工作機械の改革者。機械工作技術の父。産業革命の技術基盤を作った人。▼学校や読み書きをどこで習ったか不明。12才から18才の間に王立造兵廠Royal Arsenalで働きながら身に着けた技術がその後の基盤になっている。
▼1780年(9才)王立造兵廠で武器職人(1776年に引退)をしていた父が死去。
1783年(12才)王立造兵廠で薬莢に火薬を詰める少年工powder monkeyの一人として仕事に就く。
1785年(14才)2年後、大工の工房に異動。
1786年(15才)鍛冶blacksmithに戻り、修業を開始。軽くて複雑なものを作る才能が目立った。王立造兵廠だけでなく王立鋳造所でも働いた。
▼1789年(18才)複雑な鍵を安く製造できる職人として、ジョセフ・ブラマーさんの工房に引き抜かれる。
プラマーさんの下で、ピッキングに強いプラマー錠を完成させた後、水圧機のシーリング、旋盤加工の精度を上げる治具などの開発で貢献、工房の主任になる。
▼1797年(26才)貢献しても給料が上がらないためプラマー工房から独立し、Henry Maudslay and Companyを設立。最初の仕事は海軍の帆船で使用する帆の滑車製造機械。
この機械を使いライン生産を行った結果、110人かかっていた仕事が10人でできるようになった。
1800年(29才)産業用として初のねじ切り旋盤を開発。
1815年(44才)船舶用エンジンの製造。
1825年(54才)テムズトンネル用の掘削装置、排水ポンプを製造。
没後の1833年、息子らがMaudslay, Sons and Fieldを設立。

http://wikipedia.nd.ax/wiki/Henry_Maudslay
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E6%8A%80%E8%A1%93%E8%80%85)
History of Lathes | The Henry Ford’s Innovation Nation

子供時代の学び方 サミュエル・クロンプトン 糸紡ぎで一家を支えた

Samuel Crompton 1753-1827 イギリスの紡績工、ミュール紡績機の開発者。▼1753年、ランチェスター生まれ。父は荘園領主の館の管理人。
サミュエルさんには二人の妹がいた。子供のとき父を亡くしたので、一家の生活のためハーグリーブスのジェニー紡績機で糸紡ぎをした。
ジェニー紡績機には欠点があったので、改善するために人知れず5、6年かけて間頑張った。改善のため時間だけでなく、劇場でバイオリンを弾いて稼いだギャラも費やした。
1779年(26才)mule-jennyの製作に成功。これが後のミュール紡績機 spinning muleになる。ミュールmuleはラバの意味。モスリン生地を織る糸を紡ぐのに適した機械。地元にはこの織機の需要があったものの、サミュエルさんには特許を取る知識がなかった。
▼おせっかいな人間が現れ、mule-jennyを壊すか、皆のために作るかサミュエルさんに選択を迫った。サミュエルさんは後者を選び、mule-jennyを使う職工から使用料を貰うことにした。しかし払う人は多くなく、大した収入にはならなかった。▼ミュール紡績機の糸は、手で行ったものより細く丈夫に仕上げることができ、買取価格も高かった。
ミュール紡績機にはサミュエルさんに特許料を支払わず自由に製造できたため、改良と普及が進んだ。当然、サミュエルさんには一銭にもならなかった。
▼1812年(59才)サミュエルさんは議会にミュール紡績機の貢献を訴え、賞金を獲得した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Crompton
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3
spinning mule

子供時代の学び方 ジョン・ケイ ツボを押さえ行動する

John Kay 1704-1780 イングランド生まれ、産業革命の扉を開く「飛び杼(とびひ)」flying shuttleの発明者。注意:リチャード・アークライトが織機開発を共にした時計職人のジョン・ケイとは別人。▼父親はランチェスターに農地を持つ自作農yeoman。ジョンさんが生まれる前に死去。農地は長男が相続、5男だったジョンさんは14才まで教育を受け、21才で40ポンドを相続する話になっていた。▼学校を出た後、ジョンさんは織機用のリードという部品を製造する工房に見習いに入る。技術をマスターしたといって出てから1か月で家に戻り、自分で金属製のリードを作ってイングランド中を営業して回った。▼1725年(21才)で結婚、織機用のワイヤ・リードを作るなど、織機の改良につとめる。1733年(29才)最大の発明となる手動織機用flying shuttleを発明(自分ではwheeled shuttleと呼び、周りの人はfly-shuttleと呼んでいた)、特許を取得。▼これで、横糸を通す時間が短縮され、二人必要だった作業が一人で行えるようになった。生産性の向上は職人のこれまでの仕事がなくなるという反作用も生んだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Kay_(flying_shuttle)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4_(%E9%A3%9B%E3%81%B3%E6%9D%BC)
Weaving with a flying shuttle.

子供時代の学び方 リチャード・アークライト 学校に行けず読み書きを従妹に習う

Sir Richard Arkwright 1732–1792 イギリスの発明家、産業革命初期の起業家、近代工場システムの父。▼仕立て屋の父の七番目の子として生まれる。両親にはリチャードさんを学校にやるな余裕がなかったので、いとこに読み書きを教えさせた。リチャードさんは働ける年ごろになると、近所の町の理容店に弟子入りする。▼1760年(28才)の始め、かつらwigsの製造も行う理容店を開業。ファッショナブルな男性用かつらperiwigs用の防水染料を発明し、儲ける。▼紡糸に関心を持つようになり、生の木綿の繊維の方向を揃えcarding、糸に紡ぐspinning工程の機械化に挑む。▼1768年(36才)時計職人だった John Kayと共同して紡糸機を開発し、翌年特許を取得。馬の力で動かす紡糸機の効率は、人の手で行うより良く、コストダウン効果を発揮。織物工業を変革するきっかけとなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Arkwright
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
Richard Arkwright , 59 (1732-1792) UK Inventor

子供時代の学び方 マシュー・ボールトン 現実を見る

マシュー・ボールトン(Matthew Boulton、1728-1809)さんはイングランドの工場経営者、実業家。▼ジェームズ・ワットさんが発明した蒸気機関を工場や製粉所・製糸場に販売し、イギリスの産業革命を推進した。▼バックル製造業者の父親のもとに生まれる。生まれるとすぐ父の事業が順調になったので富裕層の住む地区に引っ越し。地元の grammar school が荒廃していたので、academyに越境通学。▼15才で学校を卒業すると、すぐバックル作りを始める。17才でバックルにホウロウで象嵌を施す技術を発明し、地元で人気商品になる。そこでフランスに輸出したところ大人気となる。こんどはフランスの最新流行バックルという触れ込みで逆輸入。▼81才でボールトンさんが亡くなったとき、友人は次のように語った。
「ボールトン氏は、科学的な知識は、学校教育がなくても、ものごとに気を使い、現実に応用し、仕組みに関心を持つことで獲得できることを身をもって証明した。Mr. [Boulton] is proof of how much scientific knowledge may be acquired without much regular study, by means of a quick & just apprehension, much practical application, and nice mechanical feelings.」▼1765年(37才)金属加工を行うソーホー製作所を設立。資金は借入と投資でまかなえたものの、動力がまかなえなかった。そこでワットさんの蒸気機関に着目。粘り強い交渉力を見せる。
1766年(38才)手紙でワットの説得を開始。
1788年(40才)面談にこぎつける。
1769年(41才)ワットさんが熱交換式復水器を発明して特許を取得。
1774年(46才)ワットさんをバーミンガムに呼び寄せる。
1775年(47才)Boulton & Watt を立ち上げる。
1776年(48才)蒸気エンジン2基を完成。順調に動いて宣伝効果発揮。
鉱山で排水用に使う蒸気エンジンがヒット。
1775年から1800年の間にBoulton & Wattが設置したエンジンは450基。

https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_Boulton
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
Matthew Boulton – Selling what all the world desires…

子供時代の学び方 ジェームス・ワット 数学と手先の器用さ

1736年、スコットランド生まれ。蒸気機関の発明家。父親は船大工、船のオーナーで請負人、スコットランド地方政府の役人。母親は名家の生まれで教養があり強い性格の人。▼ワットさんは最初に教育を母親から受けた後、Greenock Grammar Schoolに入った。学校では数学がよくできた。しかしラテン語やギリシア語といった古典はダメ。子供の頃から頭痛持ちで一生続いた。学校を出た後は、少しの間、父親の工房で機械工作を手伝い、器用さを見せた。▼18才で母親が亡くなり、父の健康も優れなくなったので、ロンドンに出て4年かかる器具製作の修行を1年で終えてグラスゴーに戻る。グラスゴーのギルドに工房開設の許可を申請するも、修行年数が短いことを理由に却下。▼困っているとグラスゴー大学から専門家じゃないとできない機器修理の仕事をもらい、上手に仕上げた。これ教授たち評価され、1757年(21才)大学内に工房を持った。大学が所有していたニューコメンの蒸気機関の模型の修理を教授と行いながら、仕事の効率を上げる方策を考えるようになった。▼工作技術力、学問的考察力、人と付き合う力が相まってイギリス産業に革命をもたらす蒸気機関の特許化と産業化を果たす。▼単位ワットは、ワットさんの名前が由来。

https://en.wikipedia.org/wiki/James_Watt
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88

The Steam Engine ~ James Watt

子供時代の学び方 ジェームズ・ハーグリーブス 手と目を生かす

James Hargreaves 1720–1778 イングランドのランカシャーの小さな町生まれた織物師、大工、発明家。文字が読めなかった illiterate。身長5フィート10インチ(177センチ)、がっちりした体格で、生涯、働きづめの勤勉な男だった。▼1764年(44才)、8本の糸を同時に紡ぐ多軸紡績機を発明、ジェニー紡績機(Spinning Jenny)と名付ける。Jennyは妻の名とも娘の名前ともいわれる。しかし妻も娘もJennyという名前ではない。そこでengineの略称ではないか、という説もある。▼糸の生産性が上がると、価格が下がる。地元で貧しい者たちの食い扶持を取り上げるとハーグリーブスは見られ、居心地が悪くなった。そこで木綿の靴下の生産が盛んなノッティンガムに移住。同地の靴下製造業界は、製造に適した糸の供給が増大するとハーグリーブスを歓迎した。

https://en.wikipedia.org/wiki/James_Hargreaves
https://en.wikipedia.org/wiki/Spinning_jenny https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%82%B9

Spinning Jenny

 

子供時代の学び方 トーマス・ニューコメン 問題を仕方がないで見過ごさない

Thomas Newcomen 1664-1729 イングランドのダートマス生まれ。金物屋の息子。1678年(14才)、別の町の金物商で見習いとして働く。この金物商の客先に鉱山があった。当時、石炭鉱山やスズ鉱山では、雨や浸水で内部が水浸しになるのでいかに排水を行うかが大きな問題だった。▼同じダートマス生まれで1才年上のガラス職人と知り合い、二人で鉱山の排水方法の改善に取り組み始める。▼27年後の1705年(41才)に結婚。さらに時が経った1712年(48才)に、イギリスで最初の実用的な蒸気エンジン排水ポンプ「ニューコメン機関」を完成させる。この蒸気機関はイギリスとヨーロッパで普及し、75年の間に1500~2000台が設置された。▼14才で社会に出て鉱山の排水問題を知り、解決方法を模索すること34年間。生まれた家が金物屋で幼いころから金属加工に親しんで身についたものづくりの感覚と、働き始めて知った社会の問題がニューコメンの中で結合し、34年間の試行錯誤を経て蒸気機関に結実した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Newcomen https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3

Newcomen Watt Steam Engines

子供時代の学び方 アブラアム=ルイ・ブレゲ 義父の誘導

前回、ジョン・ハリソンさんを紹介したので、その流れでルイ・ブレゲさんを紹介する。ブレゲさんは高級腕時計メーカーBreguet companyの創業者。1747年、スイス生まれ。1758年(10才)に父を亡くす。その後、母親は時計職人のTattetさんと再婚。Tattetさんはパリにショウルームを持っていた。学校を卒業したプレゲさんに時計の世界に入ることを期待して誘導したものの、本人はなかなかその気にならなかった。▼しかし、なぜか時計に興味を持つようになったので、両親は1762年(15才)、ヴェルサイユの時計作りの親方の元に弟子入りさせる。すると親方は、プレゲさんが時計職人として驚くほどの適性と知性を持っていることに驚き、もっと教育を受けさせるためマザリン大学の夜間数学クラスに通わせた。このクラスで指導者のAbbé Marieさんはプレゲさんのよきメンターになる。この時代、ヴェルサイユの宮廷は時計職人に絶大な影響力を持っていた。Marieさんはルイ16世にプレゲさんを紹介する。王はプレゲさんが作る自動巻き時計をはじめとする新しい技術の入った時計をことのほか喜び、料金をはずんでくれた。▼1775年(28才)で徒弟奉公の年季が明けたのを機に、妻をめとりパリでthe Breguet watchmaking companyを創業した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham-Louis_Breguet https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B2

Long Version: BREGUET – Tourbillon watches explained by Jeff Kingston

子供時代の学び方 ジョン・ハリソン 時計作り

1760年代~1830年代にかけて、イギリスでは産業のあり方が変わった。産業革命と言われるこの時期、いろんな新しい機械が登場して人の生活を大きく変える。これから数回連続で産業革命の時代の発明家や作り手の子供時代の学び方をみる。▼まず、時計製作者のジョン・ハリソン John Harrison さん。独学の大工・時計製作家。マリン・クロノメーターmarine chronometerという船舶用時計を発明した人。それまで外海を航行する船が経度を正確に測定できない、という長年の問題を解決した。クロノメーターのおかげで長距離航行の安全性が飛躍的に高まった。▼子供時代:1693年ヨークシャーの生まれ。5人兄弟の長男。6才のとき天然痘にかかる。療養中に気を紛らわせるために時計をプレゼントされる。音を聞いたり、動く部品を観察して時を過ごした。音楽が好きでBarrow教区教会で合唱団長を務めていた。20才のとき、木製で最初の時計を作る。以来、時計作りで生計を立てていく。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Harrison#cite_note-4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3_(%E6%99%82%E8%A8%88%E8%81%B7%E4%BA%BA)

The Clock That Changed the World (BBC History of the World)