子供時代の学び方 Liを見つけたJ・A・アルフェドソンさん なんと11才で大学に入学!?

25才のとき、知人の研究室で鉱石を分析していた時にLiを発見。18世紀末のスウェーデンの上流階級の子弟は11才から「大学」に入れた。好きな鉱物の知識を大学で学んだのが発見の元になった。

ヨアン・オーガスト・アルフェドソン Johan August Arfwedson 1792-1841

▼スウェーデンで卸売業と工場のオーナーのブルジョア家庭に生まれた。
1803年(11才)スウェーデンで最古のUppsala大学に入学。当時、貴族や裕福な家庭の子息は11才でも大学に入学できた。
1809年(19才)法学で、第一の学位degreeを取得。
1812年(22才)第二の学位として鉱物学を選び学位を取得。
1814年(24才)王立鉱山委員会の無給職員として社会に出る。じき無給公証人に昇格。地元のストックホルムで有名な化学者Jöns Jakob Berzeliusさんと知り合いになり、プライベート研究室に通い始める。
1817年(25才)Berzelius研究室でペタル石(またの名を葉長石=ようちょうせき)を分析中にリチウム元素Liを発見する。当時、鉱物から初めて発見された元素だったので、ギリシア語の「石」LithosにちなんでLithiumと命名。
1818-19年(26-27才)ヨーロッパを旅行。一部はBerzeliusさんの人脈を頼った。帰国後、自分の地所に研究室を設置。
1821年(29才)スウェーデン王立科学アカデミーの会員になる。
残りの人生は、父親から相続した遺産の管理と増加に時間を費やした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Johan_August_Arfwedson
/part-3/ Geometric representation & atomic properties of lithium/

子供時代の学び方 Heを見つけたN・ロッキヤーさん 父の影響プラス論理志向

太陽の観測でヘリウムHeを発見した天文学者。英国電信のパイオニアである父の影響で幼いころから科学に興味を持つ。明快で論理的な説明が必要な科学的手法はロッキヤーさんの気質に合っていた。

ノーマン・ロッキャー Sir Joseph Norman Lockyer 1836-1920
昔ながらの学校教育を受けたあと、フランスとスイス旅行で見聞を広げる。1857年(21才)陸軍省の役人になる。数年で軍勤務を辞め、太陽観測を専門とする天体観測者になる。
1868年(32才)分光技術を用いて太陽光を分析。すると見慣れない黄色のスペクトル線を発見。これがヘリウムによるものだった。ギリシャ語で太陽を意味するheliosからヘリウムと命名。
同じタイミングでフランスのJanssenさんがヘリウムを発見。二人の報告が同時にFrench academyに届いたので、ヘリウムの発見者はこの二人とされた。
1869年(33才)総合学術雑誌「Nature」を創刊、その後50年にわたって編集に携わる。
1885年(49才)王立科学大学で世界最初の天文学教授に就任。

https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_Lockyer
http://adsabs.harvard.edu/full/1920Obs….43..358R
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%BC
https://www2.hao.ucar.edu/Education/FamousSolarPhysicists/joseph-norman-lockyer

子供時代の学び方 Hを見つけたキャヴェンディッシュさん 寡黙で孤独を友に物理や化学の実験を好む

水素Hを発見した人物。極端な内気で他人と会話をしない人。大学を3年で中退、以降は論文を見て実験し発見を重ねる。学会(王立協会)を大事にした。

ヘンリー・キャヴェンディッシュ Henry Cavendish 1731–1810 イギリスの化学者・物理学者

▼父は貴族デヴォンシャー公で物理の研究家。貴族の母のもとに生まれる。母は2才のとき亡くなる。
1742年(11才)ロンドンにある私立ニューカム学校に入る。
1748年(17才)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。物理学と数学で優れた成績を収める。
▼1751年(21才)学位を取らずに3年で退学(当時は珍しくなかった)。ロンドンの父親の住居に研究室を作る。父から生活費を貰いつつましい生活を送る。
1760年(29才)王立協会の会員になる。死去するまで会員。発表論文は18本、大部分が未発表。
協会の会合には毎週欠かさず出席。極端に内気な正確。人が話しかけても返事がない。興味のある話の時は別。
▼1766年(35才)亜鉛・鉄・スズに硫酸あるいは塩酸を加えると、可燃性の気体(水素)が発生すると論文発表。
▼1781年(50才)ジョセフ・プリーストリーが水素と空気を混ぜて爆発させると水が得られる実験結果を報告。
1783年(52才)父が死去。財産を相続しても生活ぶりには変化なし。「科学者の中で一番の金持ち、金持ちの中で最も偉大な科学者」と言われる。
1784年(53才)ジョセフ・プリーストリーの実験を追試した結果、酸素と水素が化合して水になり体積は5分の1になると報告。
▼1810年(79才)死去。「ニュートンの死以来、キャヴェンディッシュの死ほどイギリスが大きな損失を被ったことはない」と言われた。
▼1839年(死去後29年)遺産を引き継いだデヴォンシャー公が未発表の実験記録と論文を公表。
1874年(死去後64年)デヴォンシャー公がキャヴェンディッシュ研究所を設立。ジェームズ・クラーク・マクスウェルさんが所長に就任、キャベンディッシュさんの原稿から実験を再現。
1879年(死去後69年)『ヘンリー・キャヴェンディシュ電気学論文集』として刊行。キャヴェンディッシュさんの電気に関する研究の全体像と先進性が明らかになった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Cavendish
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

When Did We Discover that Hydrogen Produces Water when Burned? | Earth Lab

子供時代の学び方 W・C・レントゲン 高校運は最悪、大学で運が拓ける

レントゲンさんはレントゲン写真を発明した人物。高校退学の憂き目にあう。大学では認めてくれる先生と出会い頑張れた。50才のときX線を発見。X線写真の初の被写体は奥さんの手。本人はレントゲン写真と言われるのが嫌で、そのたびにX線写真!と訂正していた。ノーベル賞の第一回受賞者。

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン Wilhelm Conrad Röntgen  1845–1923
ドイツの物理学者

1845年、裕福な商人のドイツ人の父とオランダ人の母の一人息子としてドイツで生まれる。3才で母の実家があるオランダに移住、成長。
1862-65年(17-19才)オランダ・ユトレヒト工業高等学校2年の途中、トラブルのため本人は悪くないのに不当退学させられる。
1865年(19才)高校卒業資格がないままNetherlandsの大学の聴講生。通常であれば必要な資格証明書がないままユトレヒト大学に入学を申し込む。面接の結果、チューリッヒ工科大学の受験資格ありと認められる。入試の結果、見事合格、入学して機械工学を学ぶ。評価してくれるアウグスト・クント先生に師事。
1869年(24才)チューリッヒ大学でPhDを取得
1870年(25才)クント先生がヴュルツブルク大学の教授になり助手となる
1872年(27才)クント先生がストラスブール大学に転任、助手を続ける。独立して実験を始める。
1874年(29才)大学教授資格を得る。ストラスブール大で助教授になり実験を重ねる。気体や液体の圧縮率、旋光度などに関して15本の論文を発表。
1879年(34才)実績が評価されギーセン大学の物理学の正教授に就任、光学や電磁気学に関する研究を継続。
1888年(43才)ヴュルツブルク大学に戻り教授に就任。
1894年(49才)学長に就任。
1895年(50才)放電管の実験を10月に始め、11月にX線を発見。X線と名付けたのは正体不明だったから。7週間昼夜を分かたず実験を重ねて活用方法を探求した後、奥さんの手をX線撮影した。焦点がボケた写真を見て、奥さんは「I have seen my death!」と叫んだ(無理もない) 後日、友人の手で焦点が合ったX線写真を撮り直した。
1900-20年(55-75才)ミュンヘン大学の実験物理学主任教授に就任。
1912年(57才)同僚のマックス・フォン・ラウエさんがX線の回折像を撮影しX線が電磁波であると証明。
1901年(56才)第1回ノーベル物理学賞受賞。賞金はヴュルツブルク大学に全額寄付

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_R%C3%B6ntgen

The Cure – Medical Pioneer: Wilhelm Roentgen

子供時代の学び方 E・フォン・ジーメンス 経済的事情で入った技術学校で才能が開花

電機・通信企業シーメンスの創業者であるエルンスト・ジーメンスは子供時代、家庭の経済的事情で希望の技術学校に進学できなかった。代わりに軍の技術将校養成学校に入る。ここですぐ能力を発揮、色んな優秀メダルを獲得。ドイツ電気工学の父になる道を歩み始める。

Ernst Werner von Siemens エルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンス 1816–1892
▼ドイツのハノーバーで1384年以来小作農を営むジーメンス家の14人兄弟の4番目として誕生。学校卒業後はベルリンのバウアカデミーへ進学を希望していた。しかし、経済的理由のため断念。
1835-1838年(19-22才)プロシア陸軍の砲兵技術アカデミーに入り技術将校になる教育を受ける。優れた学生に授与される色んなメダルを獲得している。そのひとつに電気式水雷があり、デンマーク・キール海上封鎖戦に使われた。除隊後、家に戻って以前から着想していた技術の具体化に取り組む。
1843年(27才)初めての発明はイングランドの実業家に売却。次にモールス信号の代わりになる電信=文字の列から該当の文字を針が示す電信=を発明。
1847年(31才)電信読み取り機でTelegraphen-Bauanstalt von Siemens & Halskeを技術者のハルスケ氏と共同創業。現在のジーメンスの始まり。
1866年(50才)ダイナモを発明。
1877年(61才)電流を振動に変換するコイルの特許を取得。1920年代になってベル電話会社の関連会社がこの発明を使ってダイナミック・スピーカーを発明。
1879年(63才、電気機関車を実用化。
1880年(64才)世界初の電気式エレベーターを開発。
1882年(66才) トロリーバスを発明。

https://en.wikipedia.org/wiki/Werner_von_Siemens
https://en.wikipedia.org/wiki/Siemens
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9
PIONIERE DER INDUSTRIE : WERNER v. SIEMENS

子供時代の学び方 R・ディーゼル 家庭は貧しくとも学業でメダル獲得

ディーゼルエンジンのディーゼルは人の名前。燃料の安さ、効率の良さで世界中に普及し、現在も車・船・機関車ほかの動力源として使用されている。学校で技術科目に興味を持つと、自ら発明したディーゼルエンジンのように堅実に学び実力を高め続けた。

Rudolf Diesel 1858–1913 ディーゼルエンジンを発明

▼1858年、バイエルンからパリに移民した貧しい革製品製造の家庭に生まれる。幼い頃から父の仕事場で手伝い、出来上がった品物を手押し車でお客様に届けていた。学校に入学すると技術科目に関心を持った。
▼1870年(12才)成績優秀者が貰えるメダルを獲得して卒業。母親がわが子にはドイツ語ができるようになって欲しいと考え、パリではなくドイツのAugsburgで叔父が数学を教えているRoyal County Vocational Collegeに入学させる。
▼1872年(14才)ディーゼルさんは技術者になると決め両親に伝える。
▼1873年(15才)基礎教育をトップの成績で終えた後、同地のAugsburg産業学校に入学。
▼1875年(17才)ミュンヘンにある王立バイエルン技術専門学校から奨学金を受けられることになり進学を決意。ただし両親は働き始めて欲しいという気持ちだった。
▼1880年(22才)腸チフスのため留年した後、学校をトップの成績で卒業。パリに戻り、学校で指導を受けた教授カール・フォン・リンデ先生が創立したリンデ製氷機会社に入社。リンデ社長の助手として工場で設計や建設を担当。
▼1881年(23才)1年で工場長になる。
▼1883年(25才)結婚。リンデ製氷機会社のために数多の特許をフランス及びドイツで取得。
▼1890年(32才)一家でベルリンに転居。特許はリンデ会社のもので自分では使えないため、重複しない分野の研究を行う。
▼1893年(35才)ディーゼルエンジンの特許を取り、論文でも発表。
▼1893-97年(35-39才)MAN SEの重役Heinrich von Buzさんが、同社のエンジニアと一緒にディーゼルにエンジンを改良し完成させる機会を提供。
▼1897年(39才)MAN SEでディーゼルエンジンが完成。普及が始まる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Diesel
https://en.wikipedia.org/wiki/MAN_SE

The tragic story of the man who invented diesel – and why he would turn in his grave | BBC Ideas

子供時代の学び方 R・トレヴィシック 先生の評価は最悪、だが数学に才能あり

トレヴィシックさんはイングランドの鉱山地帯コーンウェルで鉱山の排水や、製鉄所用に高圧蒸気機関を製作。鉄道馬車にその蒸気機関を搭載して鉄や人を運ぶ蒸気機関車を世界で初めて作った人。

リチャード・トレヴィシック Richard Trevithick 1771–1833

▼鉱員の「キャプテン」の父のもとに8人の子のうちの唯一にして末っ子男児として誕生。豊富な鉱物資源に恵まれたコーンウェルで採掘フィーバーが起きていた時期。
▼村の学校に上がると勉強より体を動かす遊びやスポーツに熱中した。当然、成績は振るわない。担任から「従順なところがない、愚図で頑固。甘やかされて育っている。欠席が多い。可愛げがない」と酷評されている。しかし、数学には適性があり、独自のやり方で正解を導き出していた。
▼1790年(19才)学校を卒業しイースト・ストレイ・パーク鉱山で初めての仕事に就く。子供の時からコーンウェルのスズ・銅山の深い坑道から蒸気エンジンのポンプが水を汲みだす様子を見て育っているので勝手は承知。熱心に働き、すぐに年齢には不釣り合いの「コンサルタント」の肩書を得る。
▼鉱員たちはキャプテンの父を慕っていたので、その息子ということで人気もあった。身長が1.88 mあった。

▼1799年(28才)イングランド初の小型軽量な高圧蒸気機関を稼働させた。
▼1802年(31才)ペナダレン製鉄所でハンマーを駆動する高圧蒸気機関を製作。その蒸気機関を台車に設置して蒸気機関車にした。
▼1804年(33才)トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄と5両の客車に乗った70人の乗客の輸送に成功。乗客を乗せて走った世界初の蒸気機関車になる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Trevithick https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF#%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%88%9D%E3%81%AE%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%8A%E3%83%80%E3%83%AC%E3%83%B3%E5%8F%B7

Trevithick – The World’s First Locomotive

子供時代の学び方 H・ベッセマー 父の金属工場を学校・遊び場にして育つ

金属工場を営む父の元に生まれ、幼少から工場に出入りして金属への愛を育みながら育つ。問題を見つけ自学自習で解決する創造性に富む性質。鉄鋼の大量・安価な生産法を確立し第二次産業革命の基盤を作る。

▼ヘンリー・ベッセマー Sir Henry Bessemer 1813-1898
イングランドの技術者。鋼の精錬法を発明。安価な鋼の量産方法を最初に開発した人物。

▼父親はパリで活躍した発明家。フランス革命のためにイギリスに帰国。
金鎖製造工程を改善する発明がヒット、経済にゆとりを得て地所を購入。
▼1813年その地所でヘンリーさんが誕生。子供時代から父の工場で遊び、金鎖作りを手伝った。こうして金属愛が身に着いた。
▼ヘンリーさんは子供時代から自学自習型で創造性に富むタイプ。
一方、父はロンドンで印刷と組版工場の経営者になっていた。
▼1830年(17才)ロンドンで父の工場に入る。ここで権利証書に使う「エンボス(浮き出し)・スタンプ」を考案。続けて、日付を変えるたびに新しい権利証書を作るのではなく、古い日付の上にスタンプで新しい日付を押す方法を考案した。このスタンプ・サービスは工場に相当の収入をもたらした。次に装飾用の金色塗料を安価に作る方法を考案。自分が発明した材料を自動的にミックスする専用装置と製造工程に秘密があったので、それが人に盗まれないよう、製造工程をトップシークレットにした。この塗料事業も大成功。
▼1850-55年(37-42才)兵器用の鋼を低コストで製造する課題に取り組み、ベッセマー製鋼法を発明。特許化。ヘンリーさんは特許をライセンスすると同時に自分でシェフィールドに製鉄工場を作り安価な鉄鋼を供給してみせた。
▼ベッセマー製鋼法が普及するまで鉄鋼は量産できず値段も高かったため、鉄道の線路や橋梁には鋳鉄が使われていた。しかし鋳鉄は脆いため、破壊事故が続いていた。安価な鉄鋼の普及と共に鋳鉄の置き換えが進み事故もなくなった。

https://lemelson.mit.edu/resources/henry-bessemer
https://study.com/academy/lesson/henry-bessemer-biography-inventions-importance.html#:~:text=Henry%20Bessemer%20was%20born%20on,a%20career%20as%20an%20inventor.

Henry Bessemer

子供時代の学び方 S・モールス よき指導者について力を伸ばす

父は「アメリカ地理学の父」と言われる地理学者・カルヴァン派の説教師・(政治と宗教を密接に捉える)アメリカ連邦党の支持者。その父から、連邦主義思想で知識を、カルヴァン派思想で倫理や信仰を教え込まれた。

▼サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス Samuel Finley Breese Morse 1791-1872 アメリカの画家。モールス電信機とモールス符号を発明。

▼マサチューセッツ州チャールストン生まれ。州にあるPhillips Academyを経てYale Collegeに入学。宗教哲学、数学、馬の科学等を学ぶ。電気の講座も受講。在学中から絵画で収入を得た。
▼1810年(19才)Yaleを優秀な成績で卒業(Phi Beta Kappa honors)。
▼1811年(20才)絵画修行のため渡英。
▼1815年(24才)帰国。画業に専念。
▼1820年(29才)当時の大統領ジェームズ・モンローの肖像画を描く。
▼1825年(34才)ワシントンD.C.で肖像画を描いているときニューヘイブンから馬で妻危篤の知らせが入る。500キロの道のりを急ぐも埋葬が終わった後。これがきっかけで高速な長距離通信の研究を開始。
▼1840年(49才)電信と符号の特許を取得。
▼1845年(54才)電信会社Magnetic Telegraph Company を創業。

https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Morse
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9

How Does Morse Code Work?

子供時代の学び方 G・ウェスチングハウス 才能ある分野で行動しすぐ成果を出す

子供の頃、父親の機械工場に出入りした経験がいちばんの教育。南北戦争が起きると15才で志願兵になり、それを知った両親が慌てて軍に引き取に行く行動派少年。

▼ジョージ・ウェスチングハウス・ジュニア George Westinghouse Jr. 1846–1914
▼ニューヨークで機械工場を経営する両親のもとで生まれる。父の仕事場で遊ぶうち、機械の発明と事業化の知識を身に着ける。
▼1861年(15才)南北戦争が起こる。ウエスチングハウスさんはニューヨーク国家警備隊 (北軍)に参加、慌てた両親が連れ戻しに来た。
1863年(17才)両親を説得して軍隊に志願し、第16ニューヨーク騎兵隊M部隊に入り、伍長になる。
1864年(18才)海軍に入るため第16ニューヨーク騎兵隊を除隊。合衆国砲艦Muscootaの第三補助工兵となり、終戦まで乗り組む。
▼1865年(19才)除隊してSchenectadyの実家に戻りUnion Collegeに入学。しかし、大学の授業に興味が持てず、最初の学期で退学。ロータリースチームエンジンを発明。
▼1867年(21才)列車復線機を発明。これは脱線した車両を軌道に戻す装置。また、鉄道路線のポイント切り替え部に設置して列車を軌道に誘導する装置reversible frogも発明。
▼1869年(23才)車両ごとにブレーキが利く空気ブレーキを発明。万一ブレーキが作動しない車両があっても他の車両のブレーキが利いて止まる仕組みになっていた。
▼1873年(27才)空気ブレーキの特許が取れたのでWestinghouse Air Brake Company (WABCO)を設立。
▼1880年代から電気システムに関心を持つ。直流と交流のうち、社会システムとして普及するのは交流と判断する。
▼1886年(40才)Westinghouse Electric and Manufacturing Companyを設立。直流を信じるエジソンと決別したテスラを1年契約でコンサルタントに雇い、交流の発電システムを構築に着手。エジソンとの直流・交流対決となる。結果的にはウェスチングハウスさんの方式がアメリカの電力システムとなる。電気産業のパイオニア。

https://en.wikipedia.org/wiki/George_Westinghouse
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B5%81%E6%88%A6%E4%BA%89
America’s Forgotten Titan: George Westinghouse