子供時代の学び方 フレデリック・H・ロイス 小2で生活のために働く

フレデリック・ヘンリー・ロイスさんは、イギリスの高級車メーカーロールス・ロイスの共同設立者。1863年、イングランド生まれ。父親が事業に失敗して病死したため、ロイスさんは1年で小学校を辞め9才から新聞売りや電報配達の仕事を始めざるを得なかった。15才から仕事をしながら学べる制度 apprenticeship を利用し鉄道会社に見習いとして入る。しかし、3年で資金が尽きたので辞め、ロンドンの電灯・電力会社で働いたり、リバプールで道路や劇場の照明を手掛ける。
▼1884年、21才のとき友人とF.H.Royce and Companyを起業。会社を設立して10年すると自社製品の発電機やクレーンが売れるようになる。1899年にRoyce Ltd に改組。しかし、発電機もクレーンもドイツ製やアメリカ製の優れたものが登場しはじめた。そこで新事業として車を手掛けることにした。▼車を購入したものの不満だったので、エンジンを自分で改造して販売した。その車を買った客がロールスの友達だった。その人が1904年にロールスとロイスが出会う機会を設けた。そのときロールス27才、ロイス41才。販売に才能があるロールスはロイスの作るエンジンの良さを認め手を組むことになった。これがロールス・ロイスの始まり。

https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Royce https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9

子供時代の学び方 チャールズ・S・ロールズ 恵まれた環境で才能発揮

チャールズ・スチュアート・ロールズさんは、イギリスの高級車メーカーロールス・ロイスの共同設立者。1877年、ロンドン生まれ。男爵の三男。13才までプレップスクール、卒業してイートン・カレッジ。この時代にエンジンに目覚め(いつもエンジンをいじって汚れていたため)dirty Rolls と呼ばれる。進学塾に通い、ケンブリッジ大学に合格。▼18才のときパリにプジョーを購入するため旅行。同じ年に自転車レースで、全英優勝。翌年、ケンブリッジ大自転車部のキャプテンになる。▼20才で卒業し、就職するものの5年で辞め、お父さんの出資でイギリス初の自動車販売会社 C. S. Rolls & Co.を設立。フランスとベルギーの車を販売した。▼優れた英国車が必要と考えていたとき、1904年に、優れた車を作っていたロイスと出会う。その出会いが Rolls-Royce Limited になる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Rolls https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA

子供時代の学び方 ウォルター・クライスラー 通信教育

ウォルター・クライスラーさんは、アメリカの自動車メーカー・クライスラー(現在、フィアットの傘下)の創業者。1875年、アメリカのカンサス州生まれ。父はフリーメイソン。International Correspondence Schools (通信教育)で機械工学の学位を取る。▼22才で機械工、鉄道技術者として働き始める。性格は落ち着きがなく、超短気。それが鉄道技術を短期間でバランスよく学びたいという意欲に結び付き、学べることがあれば転居をいとわなかった。機関車が花形だった時代、American Locomotive Company で頭角を現す。▼自動車産業に係るのは1911年、36才のとき、クライスラー社を創業するのは1925年、50才。

https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Chrysler https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC

子供時代の学び方 GMのウィリアム・デュラント 学業は並み、販売は天才

ウィリアム・デュラントさんは、ゼネラル・モーターの共同設立者。1861年、ボストン生まれ。6才のとき父を亡くす。公立の小学校では友達付き合いが上手で皆に好かれた。成績は人並み。▼16才で学校をやめ、親戚が経営する製材所で働く。しかし、すぐにたばこ販売に転じる。驚くほど売れる。このときから販売の才能が際立つ。25才で始めた馬車製造販売業を大成功させて財を成す。▼その後、販売の天才的才能を自動車に応用。馬車製造販売の手法と販路をうまく使って販売に強い会社として成長させる。▼アメリカでは「自動車を作ったのはフォード、自動車販売システムを作ったのはデュラント」と言われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88 https://en.wikipedia.org/wiki/William_C._Durant

子供時代の学び方 フェルディナント・ポルシェ とことん学ぶ

フェルディナント・ポルシェさんは自動車メーカーポルシェの創業者。1875年、チェコ生まれ。幼少から機械技術に強い適性を見せていた。昼は父親の板金工場の手伝いをし、夜、地元の帝国技術学校に通った。18才でウィーンに出てベラ・イーガー電気会社 Béla Egger Electrical company に入る。仕事が終わると近所の大学に忍び込んで聴講していた。これ以降、ポルシェさんは高等教育機関で教育を受けていない。▼1898年、宮廷用馬車を製造するJakob Lohner & Companyに入った。静かに走る宮廷用電気自動車を製造するため、ポルシェさんの力が必要だった。ここでポルシェ設計第1号車を完成させる。23才。▼その後、1906年にDMGの子会社Austro-Daimlerにチーフデザイナーとして移籍し大活躍が始まる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Porsche https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7

子供時代の学び方 ロベルト・ボッシュ 手に職をつける

1900年、メルセデスの父親エリム・ジェネリクさんがマイバッハさんに新型のメルセデスを発注する。その仕様が、(1)安定性を確保するためロングホイールベースとゆったりした車幅を持たせる。(2)エンジンはシャーシに取り付ける。(3)重心を車の中心で低くする。(4)電気イグニッションはボッシュのシステムを使用する、だった。この仕様を実現したメルセデスは大ヒットする。▼今回取り上げるのは、(4)に出てくるボッシュである。そのロベルト・ボッシュは1861年、ドイツ生まれの技術者、発明家、そしてBOSHの創業者。農業を営むフリーメイソンの父のもとで育つ。子供の教育を重視する家庭。8才から7年間、技術を学びながら精密機械の実地教育が受けられる中等学校に通う。その後、さらに7年間、ドイツ国内、アメリカ(エジソンの会社)、イギリスで武者修行。25才になった1886年に自分の会社、Workshop for Precision Mechanics and Electrical Engineeringを立ち上げる。その一年後、会社の運命を決定づけるマグネット式のイグニッションシステムを完成させる。▼エリム・ジェネリクさんが仕様の(4)にボッシュのイグニッションを使うようにと記載するのはそれから13年後のこと。

https://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Jellinek https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Bosch

子供時代の学び方 エミル・ジェリネク 学校になじめず

エミル・ジェリネクさんはメルセデス(ベンツ)の名付け親で高級自動車産業を興した事業家。1853年、ドイツ生まれ。▼学校の勉強は苦手で集中できず、いくつかの学校を中退している。悪ふざけばかりのエミルに親はがっかり。鉄道会社に仕事があるのを見つけて、17才になったエミルを就職させる。しかし、2年後、列車の夜間レースをやっているところを経営者に見つかって首。▼1881年、保険会社で働いていたエミルさんは結婚。1889年に生まれた娘にメルセデスと名付ける。車のディーラーとしてDMGのマイバッハに製造してもらった車の商品名にした。その車がレースで勝ち、販売が大成功しメルセデスは世界的なブランドになった。▼メルセデスMercédès には、好意 favor、親切 kindness、慈悲 mercy の意味がある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Jellinek

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84

子供時代の学び方 ヴィルヘルム・マイバッハ 背水の陣

1846年、ドイツ生まれのエンジン設計者。17才のとき12才年上のダイムラーさんと出会い、ダイムラーさんを助けながら共に夢を追い続けた。▼母親を10才のとき、大工だった父親を13才のときに亡くす。孤児になり慈善施設に入る。その施設の創始者がマイバッハが技術に興味を持っていることを見抜き、学校の工学工房に入れて才能を刺激する。結果、15才で産業デザインを志し、公立高校で物理と数学の特別クラスで勉強、19才のときには据え置き型エンジンの設計者資格を持つまでになった。▼ダイムラーはマイバッハの能力を認めてメインアシスタントにして以来、1900年にダイムラーが死ぬまで二人はビジネスパートナーとして行動を共にした。マイバッハの名はいまもベンツ社の最高級車のブランドとして名前が残っている。

子供時代の学び方 ゴットリープ・ダイムラー 頭と手そして判断

ガソリンエンジンを発明し、自動車の開拓者、ゴットリープ・ダイムラーは1844年、ドイツ生まれ。小学校を出た頃から技術に興味を持ち、14才から銃職人のもとで修業。4年後、自分の進む道ではないと判断し、機械加工を学ぶため専門学校に入学。そこは工場学校 the factory college と言われる実践的教育の学校。日曜午前に行われる特別授業にも出て猛勉強。指導教員の助手になり、働きが認められ、22才にして蒸気機関車製造主任に指名される。▼さらに技術を磨くため大学に入って2年間学んだあと、蒸気機関には見切りをつける。どんな移動体にも取り付けられる小型・高性能エンジン作りを目指し、最新技術を学びにイギリスに渡る。▼この軌跡から、ダイムラーには作りたいもののイメージを持っていて、その実現に向かって理論と技術を学び、現物を作り続けるタイプであることが伺える。

https://en.wikipedia.org/wiki/Gottlieb_Daimler

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC

子供時代の学び方 ベルタ・ベンツ 実行+改善

カール・ベンツさんの妻。39才のとき、夫が発明した車に子供2人を乗せ、実家までの106kmの未舗装道路をドライブした。これが世界で初めての長距離ドライブになり、ベルタ・ベンツ・メモリアル・ルートとして有名。カールは自分が開発した車を販売するのが上手ではなかった。そこでビジネスパートナーでもあったベルタが夫の車がどれだけ「使えるもの」か、子供連れで世間にアピールした。結婚してからカールが作る車のテスト・ドライバーを担当していたのでメカには詳しく、長距離ドライブ中の故障・修理、燃料補給、改善箇所の発見を一人でカバーした。▼1849年生まれ。裕福な家庭で育ち、カールさんとの結婚の持参金をカールの会社に投資した。結婚のときベルタ23才、カール27才。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bertha_Benz

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84