マックス・プランクさんの関係者(13)プランクさんが人として信頼した:H・ローレンツさん

▼ローレンツさんは、オランダが誇る大科学者。「放射現象に対する磁性の影響の研究」でノーベル物理学賞を受賞。
▼ローレンツさんはプランクさんより5才年上。プランクさんはWWIが始まったときドイツの戦争を支持するマニフェストに署名した。これを後悔したプランクさんはローレンツさんの助言を受け入れて謝罪している。プランクさんとナチス政権は常に緊張感をはらむ関係になる。
▼ナチス政権から逃れたアインシュタインさんはローレンツさんを自分にとって最重要な人物と考えていた。ローレンツさんの理論的な土台の上にアインシュタインさんは特殊相対性理論を立てたから。Wikipediaによるともともとは「ローレンツ-アインシュタイン理論」と言われていたそうだ。
▼オランダが国を挙げて行った干拓事業「締切大堤防」の影響のシミュレーションを行う委員会の長を務めて正確な予測を出した。工事が完成した1933年はすでにローレンスさんは亡くなっていたが、関門の一つに名前が付けらている。

ヘンドリック・ローレンツ Hendrik Lorentz 1853-1928
1853年、オランダのヘルダーラント州アーネム生まれ。父は裕福な園芸家。
教育
1861年(8才)母親が死去。
1866年(13才)地元アーネムのHogere Burger Schoolに入学。
1869年(16才)Hogere Burger Schoolを卒業。大学入学資格試験の準備。
1870年(17才)ライデン大学入学。物理学と数学を学ぶ。天文学者のフレデリク・カイセル先生に出会い物理に興味。
1872年(19才)ライデン大学で学士。アーネムの夜間学校で教師(数学)を務めながら博士課程学生。
1875年(22才)ライデン大学で博士(指導教員はピーター・レーケ先生)。「光の反射と屈折の理論について」
活動
1878年(25才)ライデン大学で教授(理論物理学)。
1881年(28才)F・カイセル先生の姪と結婚。
1895年(42才)フィッツジェラルド-ローレンツ収縮。
1896年(43才)ピーター・ゼーマンさんが「ゼーマン効果」を発見。これに理論的解釈を行う。
1899年(46才)「局所時間」
1900年(47才)アンリ・ポアンカレさんが局所時間を高評価。
1902年(49才)ノーベル物理学賞(放射現象に対する磁性の影響の研究)。ピーター・ゼーマンさん(12月26日)と同時受賞
1904年(51才)「時間の遅れ」
1905年(52才)ポアンカレさんが「時間の遅れ」をローレンツ変換と命名。アインシュタインさんが特殊相対性理論を発表。王立協会外国人会員。
1909年(56才)数理物理学の論集 “Theory of Electrons” を出版。
1911年(58才)第1回ソルベー会議で議長。
1912年(59才)ライデン大学を引退、客員教授。
1914年(61才)WWI。プランクさん(56才)がドイツの戦争を支援する「93人のマニフェスト」に署名。
1915年(62才)ローレンツさんの助言に従い戦争に対する考え方を改めたプランクさんがマニュフェストに署名したことを非公式ながら謝罪。
1918年(65才)WWI終戦。コプリ・メダル受賞。オランダのアイセル湖と北海を仕切る世界最大の「締め切り大堤防」計画の影響予測委員会の委員長(1926年まで)。同堤防は1933年に完成、予測の正確さが確認された。
1928年(75才)ハールレムで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ フレデリク・カイセル Frederik Kaiser 1808–1872 オランダの天文学者。
□ ピーター・レーケ Pieter Rijke 1812–1899 指導教員。オランダの物理学者。
弟子
■ ピーター・ゼーマン Pieter Zeeman 1865-1943 オランダの物理学者。ノーベル賞を共同受賞。
関係筋
□ アンリ・ポアンカレ Jules-Henri Poincaré 1854–1912 フランスの数学者。
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955
□ ポール・エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880-1933 ライデン大学の後任教授。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84
https://en.wikipedia.org/wiki/Hendrik_Lorentz

マックス・プランクさんの関係者(12)原子論の開祖のひとり:L・ボルツマンさん

▼ボルツマンさんは世界は原子からできている、といち早く考えた物理学者・哲学者。
原子論の考え方が新しかっただけに反対者もいた。当初は、プランクさんもボルツマンさんの原子論を受け入れたものかどうなのか、という立場だった。
▼反対の立場の急先鋒だったのは、E・マッハさん、ヴィルヘルム・オストヴァルトさんである。激しい論争が続く。研究が進むにしたがって、プランクさんとオストヴァルトさんは原子論を受け入れる。
▼ウィーン大学でのマッハさんとボルツマンさんの対立が激化したため、原子論の理解者となったオストヴァルトさんが助け船としてライプツィヒ大学にボルツマンさんを教授として迎える。そうこうしていると1,2年のうちにマッハさんがウィーン大学を辞めたので、ボルツマンさんはまたウィーン大学に戻る。そんな事態が起こったこともある。
▼原子VSエネルギー論争が10年くらい続いたこともあって、ボルツマンさんは精神を病み、自殺してしまう。マッハさんも体調を崩すし、ボルツマンさんも悲しい結果になる。このような結果になる論争はよくない。
▼ボルツマンさんに師事する予定だったリーゼ・マイトナーさんはウィーン大学を諦め、プランク先生の元を訪ねベルリンでの生活が始まる。

ルートヴィッヒ・ボルツマン Ludwig Boltzmann 1844-1906
1844年、オーストリアのウィーン生まれ。父は税務官。
教育
父と母から教育を受ける。
ピアノの先生はアントン・ブルックナーさん。
1859年(15才)リンツの高校に入学。父が死去。
1863年(19才)ウィーン大学入学。数学と物理を学ぶ。
1866年(22才)ウィーン大学で博士(指導教員はヨーゼフ・シュテファン先生)。
1867年(23才)ウィーン大学でシュテファン先生の助手。マクスウェルさんの研究を紹介される。
1869年(25才)教授資格取得。
活動
1869年(25才)シュテファン先生の紹介でグラーツ大学で助教授(数理物理学)。ハイデルベルグでブンゼン先生と数か月共同研究。
1871年(27才)ベルリンでキルヒホッフ先生、ヘルムホルツ先生と共同研究。
1872年(28才)原子論。熱現象の不可逆性(エントロピーの増大)を証明。H定理。統計力学。
1873年(29才)ウィーン大学で教授(数学)。
1876年(32才)グラーツ大学で教授(実験物理学)。ヴァルター・ネルンストさん(1864-1941)の研究を指導。
1877年(33才)「熱平衡法則に関する力学的熱理論の第2主法則と確率計算の関係について」を発表。
1884年(40才)シュテファン=ボルツマンの法則。結婚。
1887年(43才)グラーツ大学で学長。
1890年(46才)ミュンヘン大学で教授(理論物理学)。
1894年(50才)ウィーン大学でシュテファン先生の後任の教授(理論物理学)。
1895年(51才)E・マッハ先生(1838-1916)が教授(哲学と科学史)になる。原子論に対してエネルギー論を唱えるマッハ先生およびその仲間と意見が対立。M・プランクさんは黒体放射の研究を進めるにつれて原子論の立場に。
1900年(56才)ヴィルヘルム・オストヴァルトさん(1853-1932、当初はエネルギー論の立場。しかし、原子論を理解)の招きを受けてライプツィヒ大学で教授。
1902年(58才)マッハ先生が退任、ウィーン大学に戻り教授(理論物理学)。物理学と哲学を講義。人気講義でリーゼ・マイトナーさんも欠かさず受講
1903年(59才)オーストリア数学協会を設立。
1904年(60才)ポール・エーレンフェストさん(1880-1933)の博士論文指導。
1906年(62才)休暇先のイタリアで自殺。リーゼ・マイトナーさんはウィーンを出てベルリン大学のプランク先生を訪ね同地で研究活動を始める。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ ロベルト・ブンゼン Robert Bunsen 1811–1899
■ ヘルマン・ヘルムホルツ Hermann Helmholtz 1821-1894
■ グスタフ・キルヒホフ Gustav Kirchhoff 1824-1887
□ ヨーゼフ・シュテファン Joseph Stefan 1835-1893 指導教員。
弟子
■ ヴァルター・ネルンスト Walther Nernst 1864–1941
■ リーゼ・マイトナー Lise Meitner 1878-1968
□ ポール・エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880-1933
関係筋
■ エルンスト・マッハ Ernst Mach 1838-1916
□ ヴィルヘルム・オストヴァルト Wilhelm Ostwald 1853–1932

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Ludwig_Boltzmann

マックス・プランクさんの関係者(11)音速のマッハ:E・マッハさん

▼プランクさんは最初マッハさんの影響を受けていた。しかし後、物理学上の見解でマッハさんの考え方を批判する立場をとった。年齢はプランクさんがマッハさんより20才年下。
▼マッハさんは、音速の単位マッハの由来になった人物。砲弾が音速を超えて飛んでいる有名な写真を撮影し発表した(1887年)。いったいどうやって撮影したのだろう。

エルンスト・マッハ Ernst Mach 1838-1916
1838年、オーストリア帝国モラヴィア州(現チェコのモラヴィア)生まれ。父は教育者。
教育
1852年(14才)家庭で両親から教育を受けたあとギムナジウムに入学。
1855年(17才)ウィーン大学入学。物理学を学ぶ。
1860年(22才)ウィーン大学で博士(物理学)。指導教員はAndreas von Ettingshausen先生。
1861年(23才)教授資格を取得。光や音を対象にしたドップラー効果を研究。
活動
1864年(26才)グラーツ大学で教授(数学と物理学)。
1867年(29才)プラハ大学で教授(実験物理学)。
1877年(39才)超音速に関する論文を発表。
1883年(45才)科学史三部作その1『力学の発達』発表。
1886年(48才)認識論の著作『感覚の分析』発表。
1887年(49才)物体が音速を超えたときに起きる衝撃波の写真を発表、世界初
1895年(57才)ウィーン大学で教授(帰納論理学)。「機能的科学の歴史と理論」を講義。
1896年(58才)科学史三部作その2『熱学の諸原理』発表。
1901年(63才)オーストリア貴族院議員。大学退職。
1905年(67才)認識論の著作『認識と誤謬』出版
1914年(76才)WWI
1916年(78才)ミュンヘン郊外で死去。
1921年、死後、科学史三部作その3『物理光学の諸原理』発表。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Andreas von Ettingshausen
弟子
□ Heinrich Gomperz
□ Ottokar Tumlirz
関係筋
■ ルートヴィッヒ・ボルツマン Ludwig Boltzmann
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Mach

マックス・プランクさんの関係者(10)単位の名前で今に伝わる:W・ヴェーバーさん

▼プランクさんとヴェーバーさんの関係は、論文がらみの話。プランクさんがキール大学でassociate professorをしていた27才のとき、ゲッティンゲン大学主催の論文コンクールに応募した。結果は1等なしの2等。その理由は、プランクさんの論文の内容がヴェーバーさん(81才)の理論と対立するものだったから。
▼こんな短いエピソードからも、新旧の対立を穏やかに収める知恵、ドイツの大学や学問の伝統などが想像できて楽しい。
▼ヴェーバーさんは新しい王が憲法を停止したことに抗議して大学の職を失う。「ゲッティンゲン七教授事件」という。この中にグリム兄弟もいた。
▼ガウス先生との通信用に電信装置を作り、これが世界初の電信の実用になった。

ヴィルヘルム・ヴェーバー Wilhelm Weber 1804-1891
1804年、神聖ローマ帝国 ヴィッテンベルク生まれ。父は神学教授。
教育
1814年(10才)家族でハレに転居。
1822年(18才)ハレ大学入学。シュワイガー先生の下で音響学を学ぶ。
1826年(22才)ハレ大学で博士。リードオルガンの音響に関する研究。
1827年(23才)教授資格を取得。
活動
1828年(24才)ハレ大学員外教授。ベルリンで開かれた学会でガウスさん(51才)と知り合う。ガウスさんはゲッチンゲン大学の教授で天文台長。
1831年(27才)ガウスさんの推薦を得てゲッティンゲン大学で教授(物理学)。ガウスさんと地磁気や電磁気の単位系の共同研究。
1833年(29才)ゲッチンゲン地磁気観測所を設立。電信装置を製作し観測所と天文台の間に回線を引く。世界初の実用的電信装置
1836年(32才)地磁気観測を開始。
1837年(33才)新しい王による憲法停止に抗議したため失職(ゲッティンゲン七教授事件)。
1840年(36才)ヘルムホルツさんの検流計をもとに交流の電流や電圧が測定できる電流力計(ダイナモメーター)を製作。ガウスさんが磁気の単位を定義している一方で電流の単位の定義に挑戦。
1841年(37才)地磁気観測の結果をまとめ、世界初の磁気地図として発表。
1843年(39才)ライプツィヒ大学で教授(物理学)。
1846年(42才)ダイナモメーターで2本の導線間に働く力を正確に測定。導線中の荷電粒子に働く力を方程式で表現(ヴェーバーの法則)。
1849年(45才)ゲッティンゲン大学で教授(物理学)に復職。天文台長兼任。
1852年(48才)ガウスさんと共同で電磁単位系を発表。ファラデーさんが発見していた反磁性をアンペールさんの分子電流モデルで説明。
1856年(52才)論文でヴェーバー定数Weber’s constantを発表。「c」が光速の記号の元になる。
1871年(67才)電気は荷電した粒子の流れと発表。電子論のさきがけとなる。
1881年(77才)国際電気会議でW・トムソンさんがヴェーバーの単位系の採用を提案、承認。
1891年(87才)ゲッティンゲンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ヨハン・シュワイガー Johann Schweigger 1779–1857 化学者・物理学者・数学者。
弟子
□ Ernst Abbe
□ Friedrich Kohlrausch
□ Eduard Riecke
□ Gottlob Frege
□ Arthur Schuster
関係筋
■ フリードリヒ・フンボルト Friedrich Humboldt 1769-1859 関係:ベルリンの学会でガウスさんを紹介してくれた。
■ カール・フリードリヒ・ガウス Carl Friedrich Gauß 1777-1855 関係:同僚、共同研究者。
□ グリム兄弟 Brüder Grimm 関係:ゲッティンゲン七教授事件で一緒にクビになった。
■ ヘルマン・ヘルムホルツ Hermann Helmholtz 1821-1894 関係:ヘルムホルツ検流計を改良してダイナモメーターを作った。論争相手。
□ ルドルフ・コールラウシュ Rudolf Kohlrausch 1809–1858 ドイツの物理学者。関係:ヴェーバー定数を共同して測定。
■ マイケル・ファラデー Michael Faraday 1791-1867 関係:反磁性の理由を説明。
■ ウィリアム・トムソン William Thomson 1824-1907 関係:ヴェーバーの単位系の採用を国際電気会議で提案。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

マックス・プランクさんの関係者(9)<and>リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(29)ユーモアの持ち主:G・ヘルツさん

▼グスタフ・ヘルツさんは、1887年に電磁波を発見したハインリヒ・ヘルツ氏の「甥の息子」。
▼フリッシュさんの自伝によると「特別に子供じみたユーモアの持ち主」でリーゼ・マイトナーの前で演じた悪ふざけのエピソードを描いている(p.45-46)。40才を過ぎても、ノーベル賞を取った後でも、いたずらをして仲間と笑い合っていた。
▼フリッシュさんの自伝に書いてあるヘルツさんのノーベル物理学賞の受賞理由は「原子の中に量子化されたエネルギー状態が存在することを示した1912年の実験」(p.46)によるものだ。ヘルツさんが20代、一緒に実験したフランクさんが30代の時の実験。
▼ユダヤ系のため大学の職を追われたあと、ジーメンス・ウント・ハルスケ研究所で所長を務めている。

グスタフ・ヘルツ Gustav Hertz 1887-1975
1887年、ドイツのハンブルク生まれ。
教育
1906年(19才)ゴッチンゲン大学(1907年まで)。
1907年(20才)ミュンヘン大学(1908年まで)。
1908年(21才)ベルリン大学
1911年(24才)ベルリン大学で博士(指導教員は Heinrich Leopold Rubens先生)。Rubens先生の助手(1914年まで)。
1914年(27才)フランク=ヘルツの実験
活動
1914年(27才)WWI。軍務に就く。
1915年(28才)F・ハーバーさんの毒ガス開発チームに配属。怪我をする。
1917年(30才)ベルリンに戻りベルリン大学で私講師。
1918年(31才)WWI終戦
1919年(32才)結婚。
1920年(33才)フィリップスの白熱電灯会社で研究員(1925年まで)。
1925年(38才)ハレ大学で正規の教授、物理学研究所長。ノーベル物理学賞をジェイムス・フランクさんと共同受賞(原子と電子の衝突に関する研究)
1927年(40才)フリッシュさん(23才)がPTRの光学部門で研究。
1928年(41才)ベルリン工科大学で教授(実験物理学)、物理学研究の所長。
1930年(43才)フリッシュさん(23才)がベルリンのPTRからハンブルグに移る。
1934年(47才)ユダヤ系のため国家社会政策と法により職場を追放。ジーメンス研究所IIで所長(1945年まで)。
1939年(52才)WWII
1945年(58才)WWII終戦。ソビエト連邦の研究所で勤務(1954年まで)。
1951年(64才)マックス・プランク・メダル受賞。
1954年(67才)カール・マルクス大学(現ライプツィヒ大学、1961年まで)。
1975年(88才)東ベルリンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947
□ ハインリヒ・ルーベンス Heinrich Rubens 1865–1922 ドイツの物理学者。関係:指導教員。
弟子
□ Heinz Pose 1905–1975 ドイツの原子核物理学者。
関係筋
■ フリッツ・ハーバー Fritz Haber 1868-1934
■ ジェームス・フランク James Franck 1882–1964 ドイツの物理学者。1925年ノーベル物理学賞の共同受賞者。

https://en.wikipedia.org/wiki/Gustav_Ludwig_Hertz
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84#:~:text=%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84%EF%BC%88Gustav,%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%82

マックス・プランクさんの関係者(8)4極真空管を発明した弟子:W・ショットキーさん

▼物質に熱を加えて電子が出る状態を応用する専門家。4極真空管を発明した科学者。半導体の研究も進めている。真空管と半導体の両方を手掛けられる、ということは電子を制御する理論が分かっているからこそ。さすがマックス・プランク先生の弟子。
▼ショットキー効果という用語としてその名を留める。名前が印象的なので記憶に残る。
▼WWIとWWIIの時期は、ジーメンス研究所で仕事をしている。4極管を発明したのはジーメンス研究所のとき。

ヴァルター・ショットキー Walter Schottky 1886-1976
1886年、スイスのチューリッヒ生まれ。ドイツ人。父はチューリッヒ大学の数学者。
教育
1892年(6才)父がマールブルク大学の教授になるので一家でドイツに転居。
1904年(18才)ベルリンにあるステグリッツ・ギムナジウムを卒業。
1908年(22才)ベルリン大学で B.S.(物理学)。
1912年(26才)ベルリン大学でPhD(物理学)。指導教員はM・プランク先生。
活動
1912年(26才)ドイツのテューリンゲン州にあるイエナ大学でポスドク(1914年まで)。
1914年(28才)WWI。ジーメンス研究所で研究(1919年まで)。
1915年(29才)ジーメンス研究所で4極管を発明
1918年(32才)WWI終戦。スーパーヘテロダイン方式に関する論文を発表。
1919年(33才)ヴュルツブルク大学で授業を担当(1923年まで)。
1923年(37才)ロストック大学で教授(理論物理学、1927年まで)。
1924年(38才)リボンマイク、リボンスピーカーをErwin Gerlach博士と共同発明。まだ強力な磁石がなかったので実用化できなかった。
1927年(41才)ジーメンス研究所で再び研究(1958年まで)。
1936年(50才)王立協会からヒューズ・メダルを受賞(シュロット効果を応用した4極真空管、スーパーヘテロダイン方式の受信方法)。
1939年(53才)WWII。
1945年(59才)WWII終戦
1964年(78才)ジーメンス・リングWerner von Siemens Ringを受賞(真空管アンプや半導体の製造など物理学の技術応用)。
1976年(90才)西ドイツのプレツフェルドPretzfeldで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947 関係:指導教員。
□ ハインリヒ・ルーベンス Heinrich Rubens 1865–1922 ドイツの物理学者。関係:研究に影響を与えた。
弟子
□ Werner Hartmann 1912–1988 東ドイツの物理学者。
関係筋
□ Edwin Armstrong 1890–1954 アメリカの電気技術者。スーパーヘテロダイン方式の発明者。

https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_H._Schottky
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%BC

マックス・プランクさんの関係者(7)超伝導体のパイオニアになった弟子:W・マイスナーさん

▼マイスナーさんは、とても低い温度にすると物質の磁気や電気抵抗の状態が変化する超伝導の専門家。
▼M・プランク先生のもとで博士号をとった後、ベルリンの物理技術協会PTR(オットー・フリッシュさんも3年間勤めた)で30年間近く研究。51才のとき、32才のオクセンフェルト氏と共に超電導分野の発見をする。マイスナー効果あるいはマイスナー・オクセンフェルト効果として知られる。

ヴァルター・マイスナー Walther Meissner 1882-1974
1882年、ベルリン生まれ。
教育
1901年(19才)ベルリン工科大学で機械工学と物理学を学ぶ。
1904年(22才)ベルリン大学で数学と物理を学ぶ。
1907年(25才)ベルリン大学で博士(指導教員はマックス・プランク先生)
活動
1907年(25才)物理技術協会PTRで研究員。
1914年(32才)WWI
1918年(36才)WWI終戦
1922年(40才)ヘリウム液化装置を建設(1925年まで)。
1927年(45才)フリッシュさん(23才)がPTRの光学部門で研究。
1930年(48才)転移温度が10Kを超えるNbCを発見。フリッシュさん(23才)がベルリンのPTRからハンブルグに移る。
1933年(51才)ローベルト・オクセンフェルト(1901-1993)氏と共にPTRでマイスナー・オクセンフェルト効果を発見
1934年(52才)ミュンヘン工科大学で教授(技術物理学)。
1939年(57才)WWII
1945年(63才)WWII終戦
1946年(64才)バイエルン科学・人文科学アカデミーで低温研究コミッションの議長。
1952年(70才)引退。
1974年(92才)ミュンヘンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947 関係:指導教員。
関係筋
□ ローベルト・オクセンフェルト Robert Ochsenfeld 1901-1993 ドイツの物理学者。マイスナー・オクセンフェルト効果の共同発見者。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%BC
https://nationalmaglab.org/education/magnet-academy/history-of-electricity-magnetism/pioneers/walther-meissner

マックス・プランクさんの関係者(6)戦争前に渡米して電子研究を進めた弟子:J・リリエンフェルトさん

▼半導体の増幅効果を予見して特許を取った物理学者。ベル研究所でバーディーンさんとブラッテンさんがトランジスタを発明し特許申請したときに先行特許があると拒絶される。それがリリエンフェルトさんの特許だった。
▼リリエンフェルトさんはユダヤ人。1926年にアメリカに移住していたのでヨーロッパのユダヤ人圧迫から離れていられた。ただ、麦由来のアレルギーに悩まされていたようで、53才のときアメリカ領ヴァージン諸島に家を建て、そこから本土に通っていた。

ユリウス・リリエンフェルト Julius Lilienf 1882-1963
1882年、オーストリア・ハンガリー帝国のリヴィウLviv生まれ。ユダヤ人。
教育
1900年(18才)ベルリンのフンボルト大学入学。
1904年(22才)フンボルト大学卒業。
1905年(23才)フンボルト大学でPh.D.(指導教員はM・プランク先生、エミール・ワールブルク先生)。
活動
1905年(23才)ライプチッヒ大学で終身教授。
1910年(28才)真空放電の研究に着手。
1914年(32才)WWI
1918年(36才)WWI終戦
1925年(43才)電界効果トランジスタの特許を取得。
1926年(44才)渡米しマサチューセッツ州ウィンチェスターで結婚。
1928年(46才)マサチューセッツ州モルデンにあるエルゴン研究所で所長。
1931年(49才)電解コンデンサや”FET-like”トランジスタを発明。この特許が先にあったので後からブラッテンさんやバーディーンさんが出したトランジスタの特許申請が拒絶された。
1934年(52才)アメリカ市民権を獲得。
1935年(53才)エルゴン研究所が閉鎖。ウィンチェスターの麦畑が原因のアレルギーから逃れるためヴァージン諸島に移住。ヴァージン諸島から本土各地に行った。
1939年(57才)WWII
1945年(63才)WWII終戦
1963年(81才)ヴァージン諸島のシャーロット・アマリエで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947 関係:指導教員。
□ エミール・ワールブルク Emil Warburg 1846-1931 ドイツの物理学者。関係:博士論文の指導教員。
□ ファント・ホッフ van’t Hoff 1852–1911 オランダの化学者。
関係筋
■ Walter Brattain 1902–1987 トランジスタの発明者。
■ John Bardeen 1908–1991 トランジスタの発明者。

https://en.wikipedia.org/wiki/Julius_Edgar_Lilienfeld
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88

マックス・プランクさんの関係者(5)ヴィトゲンシュタインさんが認めた哲学者:M・シュリックさん

▼物理学を学んだ後、哲学に進んだドイツの哲学者。
▼ウィーン学団の創設者のひとり。学団のメンバーの中で気難しいヴィトゲンシュタインさんと交流できた唯一の人物。

モーリッツ・シュリック Moritz Schlick 1882-1936
1882年、ベルリン生まれ。富裕な家庭。
教育
ハイデルベルクやローザンヌの大学で学ぶ。ベルリン大学で物理学を専攻。
1904年(22才)ベルリン大学でPhD(指導教員はM・プランク先生)。論文「非均質媒質中における光の反射について」。ゲッティンゲン大学で私講師(1年間)。
1907年(25才)チューリヒ大学で哲学を研究。結婚。
1908年(26才)「生活の知恵 The Wisdom of Life 」 を出版。
1910年(28才)ロストック大学で講義資格を取得。論文「近代論理学による真理の本性」。
活動
1914年(32才)WWI
1915年(33才)アインシュタインさんの特殊相対性理論に関する論文を発表。
1918年(36才)WWI終戦
1922年(40才)ウィーン大学で自然哲学を講義(ルートヴィヒ・ボルツマンさんやエルンスト・マッハさんが担当していた授業の後任)。ハンス・ハーン氏、ルドルフ・カルナップ氏、ハーバート・ファイグル氏、クルト・ゲーデル氏、オットー・ノイラート氏、フリードリヒ・ヴァイスマン氏らと共にウィーン学団を設立。H・ハーン氏がヴィトゲンシュタインさんの『論考』をゼミのテキストに用いる。
1924年(42才)ヴィトゲンシュタインさんに面会の打診を開始。
1926年(44才)『科学としての倫理学』着手。
1927年(45才)ヴィトゲンシュタインさんと面談。交流が始まる。
1930年(48才)『科学としての倫理学』完成。
1936年(54才)反ユダヤ主義者の学生に大学内で射殺。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ Max Planck
弟子
□ ルドルフ・カルナップ Rudolf Carnap 1891-1970
□ カール・ライムント・ポパー Karl Popper 1902-1994
関係筋
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955
■ ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン Ludwig Wittgenstein 1889-1951

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
https://en.wikipedia.org/wiki/Moritz_Schlick

マックス・プランクさんの関係者(4)博士論文の指導を受けた弟子:M・ラウエさん

▼リーゼ・マイトナーさんの歩みをたどるとき、心温まる灯になるのは、今回のラウエさんとJ・フランクさんだ。
人柄も仲も良い3人組。
▼ラウエさんの年表は2020年9月17日のブログにあるので、そちらを参照して頂くとして、今回は師匠・弟子・関係筋を紹介する。
▼師匠について。2人いる。理由は、学位論文の指導教員と大学で講義する資格を取得するときの指導教員がいるから。1900年代のドイツでは博士号の取得と授業の資格がしっかり区分されていた。日本でも博士後期課程の学生の授業には学内審査があり資格が必要である。さらに上位資格は博士論文指導資格。(書いてみて気づいたけど、当時のドイツでは学位論文<講義、日本では講義<学位論文と順序が逆だ)
▼弟子について。日本語・英語ともWikipediaでは2人だった。実際はもっと多いはず。
▼関係筋について。生年順に並べた。オットー・ハーンさんが同じ年生まれ。ほとんどの人がWWIとWWIIを経験している。ヨーロッパ、イギリスの関係が中心。アメリカは少ない。ここからも、WWIIの前まで物理化学の先端研究はヨーロッパとイギリスが進んでいたことが伺える。アメリカがぐっと出てくるのはWWIIが始まってからになる。

マックス・フォン・ラウエ Max von Laue 1879-1960
▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ マックス・プランク Max Planck 1858-1947 関係:ベルリン大学で博士号取得の指導教員。3年間(1906-1909)、助手を務めた。

■ アルノルト・ゾンマーフェルト(12月17日) Arnold Sommerfeld 1868-1951 関係:ミュンヘン大学で大学教員資格の指導教員。3年間(1909-1912)、助手を務めた。

弟子
■ レオ・シラード(10月9日) Leo Szilard 1898–1964 ユダヤ系物理学者。関係:ベルリン大学で論文指導。
□ フリッツ・ロンドン Fritz London 1900-1954 ドイツの物理学者。関係:ベルリン大学で論文指導。論文の共同執筆も行った。

関係筋
■ ヴィルヘルム・レントゲン(9月1日) Wilhelm Röntgen 1845–1923 X線の発見者。関係:WWII終戦後、イングランドでラウエさんが抑留されていたとき、ヘンリー・デール氏から「思い出を講演してもらえないか」という打診があった。ミュンヘン大学時代、二人が同僚だったから。ちなみに、レントゲンさんはフィリップ・レーナルトさんからレーナルト管を貰って実験した。しかし論文に謝辞を書かなかったのでレーナルトさんが怒ったという話が残っている。ラウエさんはレーナルトさんとユダヤ人政策の考え方が正反対。

□ ヴォルデマール・フォークト Woldemar Voigt 1850-1919 結晶学、熱力学、光学。関係:ゴッティンゲン大学で授業を聞いて刺激を受けた。

■ ダフィット・ヒルベルト David Hilbert 1862-1943 現代数学の父。関係:ゴッティンゲン大学で授業を聞いて刺激を受けた。

■ フィリップ・レーナルト(12月14日) Philipp Lenard 1862–1947 「ドイツ物理学」の立場。関係:ユダヤ人政策で考え方が反対。

□ ヴァルター・ネルンスト Walther Nernst 1864–1941 関係:ベルリン大学の同僚。「リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者シリーズ」の30回目でご登場いただく予定。

□ オットー・ルンメル Otto Lummer 1860–1925 ドイツの物理学者。関係:ベルリン大で熱放射と干渉分光学の講義を受けて博士論文の参考にした。

■ フリッツ・ハーバー Fritz Haber 1868-1934 ユダヤ人、化学兵器の父。関係:ベルリン大学の同僚。ハーバー追悼式典へナチスが反対する中で出席。

□ ヨハネス・シュタルク Johannes Stark 1874-1957 「ドイツ物理学」の立場。関係:ユダヤ人政策で考え方が反対。

■ マックス・アブラハム(1月8日) Max Abraham 1875-1922 関係:ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン時代に物理学を学ぶ。

□ ヘンリー・デール Henry Dale 1875-1968 イギリスの脳科学者。関係:WWII終戦後イングランドで抑留されていたラウエさんに講演を打診。

■ リーゼ・マイトナー Lise Meitner 1878-1968 ユダヤ人物理学者。関係:ベルリン大学でプランク先生の講義(1907)で知り合って以来の友人。水曜コロキウムの初回からの常連。

■ オットー・ハーン(1月1日) Otto Hahn 1879-1968 ドイツ人物理学者。

■ アルベルト・アインシュタイン(12月13日) Albert Einstein 1879-1955 関係:ベルリン大学で私講師をやっているとき(1906)に知り合い友達になる。カイザー・ヴィルヘルム物理学研究所で所長を引き継ぐ。

□ ヴァルター・マイスナー Walther Meissner 1882-1974 超伝導。関係:物理技術協会(PTR)でコンサルタントをしているとき知り合う。ラウエさんの伝記の執筆者。

■ ジェイムス・フランク(9月17日) James Franck 1882-1964 ユダヤ人物理学者。関係:ベルリン大学の同僚。

□ ピーター・デバイ Peter William Debye 1884-1966 カイザー・ヴィルヘルム物理学研究所所長。

■ ゲオルク・ド・ヘヴェシー(8月8日) George de Hevesy 1885-1966 ハンガリーの化学者。関係:ナチスから奪われないようにニールス・ボーア研究所が預かっていたラウエさんとフランクさんのノーベル賞の金メダルを王水に溶かして隠した。

□ パウル・エバルト Paul Ewald 1888-1985 X線回折法のパイオニア。関係:博士論文のテーマを聞いてヒントを得た(1912)、これが回折写真の「ラウエ法」に結実する。

■ ヴェルナー・ハイゼンベルク(12月19日) Werner Heisenberg 1901-1976 不確定性原理

□ サミュエル・ゴーズミット Samuel Goudsmit 1902-1978 ドイツ系アメリカ人物理学者。関係:WWIIが終わると核開発に関わったドイツの科学者を拘束するためラウエさんの自宅を訪れてイングランドに連行、抑留。

□ ハインツ・ロンドン Heinz London 1907-1970 フリッツ・ロンドンさんの弟。関係:低温物理学が専門。関係:ラウエさん、フリッツさんと三人で超伝導の論文を共同執筆した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A8
https://en.wikipedia.org/wiki/Max_von_Laue