子供時代の学び方 J・プリーストリーさん 実家を出されても聡明さが身を助ける

酸素Oの発見者。プリーストリーさん単独の発見というより実験している人たちがそれぞれの方法で存在を把握していた。幼少時代は実家の都合で里子に出されたけど、聡明さを認めてくれる環境だったのが幸い。

ジョゼフ・プリーストリー Joseph Priestley 1733-1804

1733年、イングランドで布地の仕上げ業を営む父の元に生まれる。
1734年(1才)6人兄弟の長男として母親の負担を軽くするため、祖父に預けられる。「ウェストミンスター小教理107の問答」を4歳で全て暗唱してみせるほど頭脳明晰な子
1739年(6才)母が亡くなったので、実家に戻る。
1741年(8才)父が再婚したので、裕福な叔父夫婦一家に出される。叔母は聡明なプリーストリーさんが聖職者に向いていると考え最良の教育を目指す。地元の学校でギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語を学ぶ。
1749年(16才)重病を患い死を覚悟。一命をとりとめたものの後遺症で吃音が残る。リスボンに転地、貿易商を営む親戚に身を寄せる。フランス語、イタリア語、ドイツ語など様々な言語を学ぶ。牧師に個人指導を受け、高等数学、自然哲学、論理学、形而上学を学ぶ。
1752年(19才)ダヴェントリーAcademyに入学。学力があったので2学年を飛び越して進級。猛勉強を続ける
1755年(22才)サフォーク州の町に聖職者として着任
1758年(25才)チェシャー州の町に転任、学校も開設。自然哲学を教え、実験器具も揃えた。英文法の教科書がダメだったので、自分で『英文法の基礎』を書いて出版。
1761年(28才)ウォリントンAcademyの教師に着任。言語、修辞学、数学の講師を務める。ウォリントンは「北のアテナイ」と言われほど学問が活発な土地柄。知人らの影響もあり電気や化学実験に親しむ。
1774年(41才)酸素を発見し、論文にまとめる。酸素と名付けたのはラボアジェさん。ギリシア語で「酸の素」という意味のoxysにちなんで命名。なぜ酸の素と考えたのかは当時の論理展開の結果。

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Joseph Priestley Discovers Oxygen