子供時代の学び方 Naの発見 H・デービーさん 生みの父より義理の祖父

Naを発見した人。デービーさんは幼いころから読書好きで賢く、医師の祖父が良い教育を受けさせるために世話を焼いてくれた。その時々で人との出会いにも恵まれた。祖父は医師を望んだが、20才で本人が化学の道を希望すると認めた。一人で発見した元素の数が6つ。史上最高記録。

ハンフリー・デービー Sir Humphry Davy 1778-1829 イギリスの化学者

1778年、イングランド南西端のコーンウォール生まれ。5人兄弟。父は旧家の出、利益よりも芸術性を追求するタイプの木彫職人。妻も旧家の出。ペンザンスという町にある先祖代々の土地で育つ。妻方の祖父で外科医のトンキンさんが幼いデービーが記憶力がよく聡明さであることを認め、父親を説得してペンザンスのグラマースクールからJ. C. Coryton という聖職者の指導が受けられる私立学校に転校させる。▼近所にいたR・ダンキンさんという馬具製作者は趣味でボルタ電池やライデン瓶を作ったり、数学の原理が分かる模型を作っていた。そのダンキンさんと知り合ったことで科学や実験に興味を持つようになる。
1793年(15才)トルーローという町でCardew博士のゆるい指導を受ける。「型にはめられずに放っておかれたことが自分にとってはよかった」(デービーさん)「当時はあの子の才能に気づかなかった」(Cardew博士)
1794年(16才)父親が死去。トンキンさんはデービーを知人の外科医に見習い弟子入りさせる
1795年(17才)見習い弟子期間が終了。病院の薬局で化学を学び、トンキンさんの自宅の屋根裏で化学実験を行うなどして過ごす
1798年(20才)ブリストルの気体研究所に入り、実験の指揮を担当
1801年(23才)王立研究所で化学講演助手兼実験主任になる
1803年(25才)王立協会フェローに選任
1807年(29才)ナトリウムの単離に成功。Naは炭酸ソーダのラテン語natronやギリシア語に由来。英語はsodiumと言い、こちらはアラビア語sudaに由来。ドイツ語はNatrium。日本にはドイツ語で入ったのでナトリウム
1812年(34才)ナイトになる
1813年(35才)ファラデーを王立研究所の化学助手にする
1814年(36才)ミラノでボルタの電池で有名なアレッサンドロ・ボルタと会う
1819年(41才)当時のイギリスの科学者(平民)としては最高の栄誉である準男爵になる
1820年(42才)王立協会会長に就任
1829年(51才)療養のため訪れていたスイスで死去。その後の研究はファラデーが引き継ぎ発展させた

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