子供時代の学び方 A・ラボアジェさん 先生との出会で科学好きが開眼

酸素Oの命名者。なぜモノは燃えるのか、その理由を説明する当時の常識「フロギストン説」を覆した「近代科学の父」。

アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジェ Antoine-Laurent de Lavoisier 1743-1794 パリ出身の化学者、貴族。

1743年、フランス王国パリに裕福な弁護士である父の下に生まれる
1748年(5才)母を失う。莫大な遺産を相続。叔母に育てられる
1754年(11才)マザラン学校に入学。
1760–61年(17-18才)マザラン学校最後の2年で、卓越した数学者のラカイル先生に出会い化学、植物学、天文学、数学へ一生続く強い関心を持つ。
1761-63年(18-20才)パリ大学法学部に進学。自然科学への関心が深かったので、天文学はラカーユ先生から(そのため喜望峰に滞在)、地質学と鉱物学をゲタール先生から(そのためフランスの地質図作成に協力)。植物学をジュシュー先生から、化学をルエル先生から学ぶ
1763年(20才)パリ大学法学部学士
1764年(21才)弁護士試験に合格。高等法院法学士となる
1766年(23才)フランス科学アカデミーに投稿した論文が1等賞になり、国王ルイ15世から金メダルが授与される
1768年(25才)徴税請負人になる
1771年(28才)徴税請負人長官の娘マリー=アンヌと結婚。マリーさんはラボアジェさんが論文に使用する説明図作成に能力を発揮
1777年(34才)燃焼は「物質と気体が結合すること」と説明
1779年(36才)その気体を「酸素oxygène」と名付ける
1789年(46才)33の元素のリストを載せ、質量保存の法則を説明した『化学原論』を出版。図版はマリーさん担当。10年間にわたりヨーロッパ化学の標準教科書として使われた
1792年(49才)政府関係の職を全て辞任、科学アカデミーの活動に専念
1793年(50才)徴税請負人の娘と結婚していたので投獄
1794年5月8日、ロベスピエール派の裁判で「フランス人民に対する陰謀」でギロチンの刑に処せられる
7月28日、こんどはロベスピエール派がギロチンにかけられる(恐怖政治の終わり)

https://en.wikipedia.org/wiki/Antoine_Lavoisier
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A8#:~:text=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A8,%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%8C%96%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%81%E8%B2%B4%E6%97%8F%E3%80%82
THE MYSTERY OF MATTER: SEARCH FOR THE ELEMENTS | Lavoisier’s Better Half | PBS