リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(58)原子核の殻構造モデルの「魔法の数」を発展させた:O・ハクセルさん

▼フリッシュさんの自伝では、原子核の殻構造モデルを考案した研究者の一人としてH・ジャンセンさん、H・スエスさんと共に紹介されている科学者。
▼ハクセルさんを調べて印象に残ったのは、師匠がガイガーカウンターで有名なガイガーさんだったこと、WWIIの時期、ドイツ海軍で働いたとき上司が元Uボートの艦長だったこと、戦後はハイゼンベルクさんの助手につけたことから、ハクセルさんも豊かな人間関係の中でWWIIの前後を生き延びた科学者の一人だったこと。

オットー・ハクセル Otto Haxel 1909–1998
1909年、ドイツのババリア生まれ。
教育
1914年(5才)WWI
1918年(9才)WWI終戦
1927年(18才)ミュンヘン工科大学とテュービンゲン大学で学ぶ(1933年まで)
1933年(24才)テュービンゲン大学で博士(指導教員はハンス・ガイガーさん)。ガイガーさんの助手。
1936年(27才)教授資格を取得。
活動
1936年(27才)ガイガ@さんがベルリン工科大学でグスタフ・ヘルツさんの後任教授、学部長に就任。同行しベルリン工科大学でTA(1939年まで)。
1939年(30才)WWII。ベルリン工科大学で講師。
1940年(31才)ドイツの核エネルギー研究(ウラニウム・クラブ)に従事。
1942年(33才)徴兵されUボートの元艦長Admiral Rheinさんの下でドイツ海軍の原子力研究に従事。
1945年(36才)WWII終戦
1946年(37才)マックスプランク物理学研究所でハイゼンベルクさんの助手。フリッツ・アウターマンさんと共同研究。ハンス・ジャンセンさんと原子核の殻理論について共同研究。
1949年(40才)ゲッチンゲン大学で員外教授。
1950年(41才)ハイデルベルク大学で教授(物理学)(1974年まで)。
1956年(47才)ドイツ原子力委員会で原子核物理学ワーキンググループのメンバー(1957年まで)。
1970年(61才)カールスルーエ研究所で科学技術マネージングディレクター(1974年まで)。
1998年(89才)ハイデルベルクで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ハンス・ガイガー Hans Geiger 1882–1945 ドイツの物理学者。
関係筋
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
□ フリッツ・アウターマン Fritz Houtermans 1903–1966 ウィーン育ちの原子物理学者。
■ ハンス・イェンゼン Hans Jensen 1907-1973

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Haxel

Otto Haxel