リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(56)原子核の殻モデルでノーベル物理学賞を受賞:H・イェンゼンさん

▼フリッシュさんの自伝でイェンセン(自伝ではジャンセンと表記)さんは原子の姿を追求する話の流れの中で原子核の殻モデルの考案者として紹介されている。
▼「古くから、8、20、28、50、82、126個の中性子か陽子を含む原子核は極めて安定であることが知られており、魔法の数と呼ばれていた」「原子核の殻モデルは、ドイツ生まれのマリア・ゲッペルト-メイヤーによりアメリカで、あmた、ハイデルベルクのオットー・ハクセル、ハンス・ジャンセン、ハンス・スエスにより、それぞれ独立に考案され、ゲッペルト-メイヤーとジャンセンは1963年のノーベル賞を半分ずつ分け合っている」(p.226)
▼原子核の周りを電子が回転している分かりやすいモデルから、だいぶ離れたところに到達した。正確な説明ができるようになった反面、原子はどんな姿をしているのかイメージしにくくなっている。

ハンス・イェンゼン Hans Jensen 1907-1973
1907年、ハンブルク生まれ。
教育
1914年(7才)WWI
1918年(11才)WWI終戦
1926年(19才)フライブルク大学、ハンブルグ大学で物理、数学、物理化学、哲学を学ぶ。
1932年(25才)ハンブルク大学で博士(指導教員は Wilhelm Lenzさん)
1936年(29才)ハンブルク大学で教授資格を取得。
活動
1937年(30才)ハンブルク大学で私講師。
1939年(32才)WWII。ドイツ原子力プロジェクト(ウラニウム・クラブ)で仕事。
1941年(34才)ハノーファー大学で臨時教授。
1945年(38才)WWII終戦
1946年(39才)ハノーファー大学で教授。
1947年(40才)ハンブルグ大学で名誉教授。
1949年(42才)ハイデルベルク大学で特任教授。ゲッパート=メイヤーさんとは独立して原子核の殻モデルを提案。
1951年(44才)ウィスコンシン・マディソン大学で客員教授。
1952年(45才)IAS(プリンストン高等研究所)とカリフォルニア大学バークレー校で特任教授。
1953年(46才)インディアナ大学とカリフォルニア工科大学で客員教授。
1956年(49才)ミネソタ大学で客員教授。
1961年(54才)カリフォルニア大学サンディエゴ校で客員教授。
1963年(56才)ノーベル物理学賞を受賞(原子核の殻構造に関する研究)。マリア・ゲッパート=メイヤーさんと同時受賞。
1964年(57才)ハノーファー大学で名誉博士。
1969年(62才)ハイデルベルク大学で名誉教授。
1973年(66才)ハイデルベルクで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Wilhelm Lenz 1888–1957 ドイツの物理学者。
関係筋
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976
■ ユージン・ウィグナー Eugene Wigner 1902-1995
□ Paul Harteck 1902–1985 オーストリアの物理化学者。
□ Wilhelm Groth 1904–1977 ドイツの物理化学者。ウラニウム・クラブのメンバー。
■ マリア・ゲッパート=メイヤー Maria Göppert-Mayer 1906-1972
□ ハンス・スエス Hans Suess 1909–1993
□ オットー・ハクセル Otto Haxel 1909–1998

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/J._Hans_D._Jensen
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3#:~:text=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3,%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82