リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(53)リーゼ・マイトナーさんのベルリン脱出に協力:P・デバイさん

▼デバイさんは人育て名人ゾンマーフェルトさんの弟子でノーベル賞を受賞した4人のうちの一人。
▼デバイさんは、1938年にフリッシュさんの叔母リーゼ・マイトナーさんがベルリンを脱出するときの協力者のひとり。しかし、フリッシュさんの自伝にはそのことは触れていない。
▼自伝には原子核の姿の謎を解き明かそうとする科学者のひとりとしてデバイさんの紹介がある。「1930年代の当時、科学者たちは、原子核が電子を放出して電荷を変えるベータ崩壊の解釈について悩まされていた。ペーター・デバイはこれを『新しい税金のように、考えないのが最善の課題である』と語っていた」(p.224)。

ピーター・デバイ Peter Debye 1884-1966
1884年、オランダのマーストリヒト生まれ。
教育
1901年(17才)ドイツのアーヘン工科大学に入学。
1905年(21才)アーヘン工科大学で電気工学の学位取得。
1908年(24才)ミュンヘン大学でPh.D.(指導教員はゾンマーフェルトさん)。ゾンマーフェルトさんの助手。
活動
1911年(27才)チューリッヒ大学で教授(1912年まで)。
1912年(28才)ユトレヒト大学で教授(1914年まで)。デバイ模型を考案。デバイの比熱式を考案。
1913年(29才)ゲッティンゲン大学で教授(1920年まで)。ニールス・ボーアの原子構造の理論を拡張
1914年(30才)WWI。オランダ王立芸術科学アカデミー会員。X線散乱による構造解析法デバイ-シェラー法を開発(1915年まで)。
1918年(34才)WWI終戦
1920年(36才)チューリッヒ工科大学で教授(1927年まで)。
1923年(39才)電解液の中のイオンの相互作用を統計力学的に解析する「デバイ-ヒュッケルの式」発表。「コンプトン効果」を説明。
1927年(43才)ライプツィヒ大学で教授(1934年まで)。
1934年(50才)ベルリン大学教授とカイザー・ウィルヘルム物理学研究所所長(1938年まで)。
1935年(51才)ローレンツメダル受賞。
1936年(52才)ノーベル化学賞受賞(双極子モーメントおよびX線、電子線回折による分子構造の研究)
1937年(53才)ドイツ物理学会会長(1939年まで)。
1938年(54才)リーゼ・マイトナーさんのベルリン脱出に協力。
1939年(55才)渡米。WWII
1940年(56才)コーネル大学で教授(1950年まで)。
1945年(61才)WWII終戦
1946年(62才)アメリカ合衆国の市民になる。
1950年(66才)マックス・プランク・メダル受賞。
1952年(68才)リタイア。研究は継続。
1965年(81才)アメリカ国家科学賞受賞。
1966年(82才)ニューヨーク州のイサカで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
■ アルノルト・ゾンマーフェルト Arnold Sommerfeld 1868-1951
弟子
□ ラルス・オンサーガー Lars Onsager 1903-1976 ノルウェー出身アメリカの物理学者。チューリッヒ工科大学で指導を受ける。1968年、ノーベル化学賞を受賞。
□ パウル・シェラー Paul Scherrer 1890-1969 スイスの物理学者。ゲッチンゲン大学でデバイ-シェラー法)を開発。
関係筋
□ Paul Rosbaud 1896–1963 オーストリア生まれの冶金学者。ナチス体制下でユダヤ人の脱出を助けた。
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli 1900-1958 ゾンマーフェルトさんの弟子
■ ヴェルナー・ハイゼンベルク Werner Heisenberg 1901-1976 ゾンマーフェルトさんの弟子
■ ハンス・ベーテ Hans Bethe 1906-2005 ゾンマーフェルトさんの弟子

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https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Debye
※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。