リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(15) 古典電磁気学を完成:J・マクスウェルさん

▼フリッシュさんの自伝ではファラデーさんを「電磁場の斬新なアイデアを認識する洞察力のある、見事な実験家であった」と紹介している。続いてマクスウェルさんを「電磁気の数学的理論を作り上げたのはケンブリッジのキャベンディッシュ研究所の初代所長となったスコットランド生まれのマクスウェルであった」と紹介している(p.27)。
▼電磁波の速度は光と同じとしたり、土星の環が粒から成っていると論じたり、赤・緑・青のフィルターを使って史上初のカラー写真を撮影するなど、ガリレオさんの研究の香りを引き継ぎぐ一方で数学で電磁場を説明する新時代のアプローチを行う研究者だ。
▼フリッシュさんは「それ以来、物理学者はより難しい実験を行おうとする技能派と、精密さを増す数学を扱う理論派の、いずれかへと、より専門化されるようになった」(p.27)としてマクスウェルさんを分岐点と位置付けている。

ジェームズ・クラーク・マクスウェル James Clerk Maxwell 1831-1879
1831年、スコットランドのエディンバラ生まれ。父は弁護士。
教育
近所に学がなかったので母が教育(当時は珍しくなかった方法)。
1839年(8才)母が死去。家庭教師に教育を受ける。
1841年(10才)エディンバラ中等学校入学。
1845年(14才)自作の詩が『エディンバラ通信』に掲載。
1847年(16才)エディンバラ大学入学。
1850年(19才)ケンブリッジ大学ピーターハウスカレッジに入学。次の学期からトリニティカレッジ。
1854年(23才)トリニティカレッジ卒業。フェローとして研究と教育。
活動
1855年(24才)ファラデーさんの磁気力線に関する論文を発表。
1856年(25才)トリニティーカレッジの研究員。父が死去。スコットランドのマーシャルカレッジで教授(科学哲学)。
1857年(26才)懸賞論文「土星の環の構造と安定性」でケンブリッジ大学アダムズ賞受賞。
1858年(27才)結婚。
1860年(29才)キングス・カレッジ・ロンドンで教授(自然哲学)。
1861年(30才)光の三原色ごとのフィルターで撮影した3枚の写真を重ねて史上初のカラー写真に成功
1864年(33才)王立協会でマクスウェルの方程式を発表。
1865年(34才)研究に専念するためキングスカレッジを退職。
1868年(37才)論文で「電磁波」という用語を使用。電気と磁気の関係を論じる。
1871年(40才)ケンブリッジ大学が新設した実験物理学講座で初代教授
1874年(43才)キャヴェンディッシュ研究所の初代所長
1879年(48才)キャヴェンディッシュの遺稿を元に実験を行い論文集として発刊。ケンブリッジで死去。

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※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。