リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(4) J・ブラームスさん

▼今回から音楽家です。まずブラームスさん。
▼ブラームスBrahmsさんはバッハBach先生、ベートーヴェンBeethoven先生と並んでドイツ音楽の3大Bと言われる作曲家。活躍したのがウィーンだけど、生まれはドイツ。
▼ウィーンでリーゼ・マイトナーさんが生まれた1878年、ブラームスさん(45才)の自宅をドヴォルザークさん(37才)が訪れている。これだけで驚きがある。
▼マイトナーさんが10代のときブラームスさんはすでにウィーンの大作曲家。マイトナー家のピアノではブラームスさんの曲も弾かれていたのだろうか。

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms 1833-1897
1833年、ドイツのハンブルク生まれ。父はコントラバス奏者。
教育
幼少よりヴァイオリンとチェロを学ぶ。
1840年(7才)O・コッセル先生についてピアノのレッスンを開始。才能を示す。
1843年(10才)初ステージ。これを見たアメリカの興行師が両親にアメリカ演奏旅行を打診。両親は喜ぶもコッセル先生が反対。もっと学ぶべきと自らの師匠で作曲家・ピアニストのE・マルクスゼンに弟子入りさせる。
1846年(13才)家が貧しいため居酒屋や料理店でピアノを弾いて家計の足しにする。
ピアノ演奏より作曲に方針転換しマルクスゼン先生の下で修業を重ねる。
活動
1853年(20才)ヴァイオリニストのE・レメーニさんジプシー音楽を教えてもらい作曲活動に着火。
レメーニさんとヴァイオリニストで作曲家のヨーゼフ・ヨアヒムさんと会う。意気投合。
レメーニさんと仲違い。ヨアヒムさんの紹介でロベルト・シューマンさんと妻クララ・シューマンさんに会う。意気投合。
1854年(21才)シューマンさんが自殺未遂(56年に死去)。シューマン家を救うため協力。
1857年(24才)ドイツの連邦国家であるリッペ=デトモルト侯国で音楽家として働く(59年まで)。『ピアノ協奏曲第1番』
1862年(29才)ウィーン・ジングアカデミーの指揮者に就任。
1868年(35才)『ドイツ・レクイエム』
1871年(38才)ウィーンに居を定める。
1876年(43才)『交響曲第1番』(完成に19年を要した作品)。
1877年(44才)『交響曲第2番』
1878年(45才)ドヴォルザークさんが訪問。
1879年(46才)こんどはドヴォルザークさんを訪問。ヨアヒムさんのヴァイオリンで『ヴァイオリン協奏曲』初演。
1883年(50才)『交響曲第3番』
1885年(52才)『交響曲第4番』
1889年(56才)エジソンさんの依頼で『ハンガリー舞曲第1番』ほかを蓄音機に録音、レコーディング史上初となる。
1890年(57才)意欲の衰えを感じ遺書を書く。
1891年(58才)『クラリネット三重奏曲』『クラリネット五重奏曲』『クラリネット・ソナタ』『ヴィオラ・ソナタ』を完成。これはクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏に触発されたもの。『7つの幻想曲』
1892年(59才)『4つの小品』
1896年(63才)『4つの厳粛な歌』 クララ・シューマンさん死去。
1897年(64才)死去。

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