リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(2) A・アドラーさん

▼アドラーさんは自己啓発の父と言われる心理学者。年齢でいうとマイトナーさんより8才年上。同じウィーン大学で学部違いの先輩になる。専門は心理学。アドラーさんは医学部を出たあと眼科クリニックを開業する。患部を診るだけでなく、患者の全体を見る医者だった。だから人の心の動きに関心が向いたのだろう。32才からフロイトさんの勉強会に参加する。
▼しかしフロイトさんとの考え方の違いがだんだん出てきて9年目で両者の関係は決裂。別々の道を歩む。
▼第一次世界大戦の後から、アドラーさんの関心が子供や教師の教育に向くようになる。ヨーロッパだけでなく、アメリカで受け入れられ、一年を半分ずつ過ごす生活になる。ナチスが台頭しユダヤ人への圧迫が始まると1935年にはオーストリアからアメリカに移住する。マイトナーさんがベルリンを出るのが1938年。人によって、また、その人の周りの環境によって、ナチスの脅威を感じて実際に脱出するまでの時間に差がある。

アルフレッド・アドラー Alfred Adler 1870-1937 心理学者

1870年、ウィーン生まれ。ユダヤ人。父は穀物商人。
1874年(4才)肺炎で一時重体から回復。医師を志すきっかけになる。
教育
ギムナジウム
1888年(18才)ウィーン大学医学部に入学。
1895年(25才)ウィーン大学医学部を卒業。
活動
1895年(25才)中下層階級のユダヤ人が多い地区で眼科医を開業。
1897年(27才)結婚。
1898年(28才)最初の著作『仕立て業のための健康手帳』を出版。
1902年(32才)フロイトさんが始めた「心理学水曜会」に参加
1907年(37才)『器官劣等性の研究』を出版。
1910年(40才)ウィーン精神分析協会の議長、『精神分析中央雑誌』の編集長。フロイトさんと意見の相違が目立つようになる。
1911年(41才)フロイトさんと袂を分かち仲間と自由精神分析協会を設立。
1912年(42才)『神経質について』を出版。
1913年(43才)自由精神分析協会の名称を個人心理学会に変更。
1914年(44才)WWI
1916年(46才)軍医として従軍。負傷者、神経症患者を診る。共同体感覚の重要性を認識。
1918年(48才)WWI終戦
1922年(52才)児童相談所を設立。
1924年(54才)ウィーン教育研究所治療教育部門の教授。教師の再教育を行う。
1926年(56才)渡米し講演旅行。講評を博す。以降、アメリカ(ニュースクール大学)とヨーロッパを半々で過ごす
1932年(62才)ロングアイランド医科大学で招聘教授(医学心理学)。大学付属教育診療所の指導も担当。『人生の意味の心理学』を出版。
1935年(65才)オーストリアが政情不安定となりアメリカに移住
1937年(67才)死去。

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