リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(19) K・ポパーさん

▼カール・ポパーさんはウィーン出身の哲学者。リーゼ・マイトナーさんと年齢を比べると14才年下。同じウィーン大学の出身(専門は違う)。
▼リーゼ・マイトナーさんがやっとナチスの危険を認識してベルリンを出たのが1938年だったのに対し、ポパーさんはその1年前に1937年にニュージーランドに移住している。もちろんその前にナチス対応のため、研究者だと少し手加減があるようだったので論文を出したりイギリスに自費留学している。しかし、それもダメと判断してヨーロッパを脱出した。ここからも、ベルリンで生活を続けていたリーゼ・マイトナーさんとポパーさんのナチスの脅威に対する感覚の違いが伺える。脅威を認識した後、それまでの生活を断ち切るのがいかに難しいか、ということ。
▼ウィーン大学の学生時代、ポパーさんはアドラーさんがウィーンで開いた児童相談所での教育活動に参加している。その後、教師の資格を取り、6年間、中学で先生を務めたこともある。実践派だ。
▼華やかなイメージの世紀末ウィーンとは活動領域がやや異なるものの、世紀末ウィーンの中で生きた人物だ。

カール・ライムント・ポパー Sir Karl Raimund Popper 1902-1994 哲学者
1902年、ウィーン生まれ。ユダヤ人。父はウィーン大学で博士(法学)を取得した法律家。蔵書を12,000~14,000冊所有。引き継ぐ。
教育
1914年(12才)WWI
1918年(16才)WWI終戦。学校を終え、ウィーン大学でゲスト学生 guest student として数学、物理学、哲学、心理学、音楽史を聴講。
1919年(17才)マルクス主義に惹かれグループに入って活動するも、唯物史観が疑似科学であると幻滅を感じて離脱。以後、社会自由主義の立場を貫く。
1922年(20才)心理学者アドラーさん(10月14日)が設立した児童相談所で協力。
1924年(22才)小学校教師の資格を得てアドラーさん(52才)の子供向け活動に参加。
1928年(26才)ウィーン大学で博士(哲学)。
活動
1929年(27才)中学校の数学と物理の教授資格を得る。
1930年(28才)中学校で教師(6年間)。結婚。
1934年(32才)社会での安全を確保するため大学で職を得ようとドイツ語で『科学的発見の論理』 Logik der Forschung を発刊。
1935年(33才)イギリスに行き研究。
1936年(34才)再びイギリスで研究。
1937年(35才)ナチスの脅威が高まる。ニュージーランドに移住。カンタベリー大学で講師(哲学)。『開かれた社会とその敵』執筆開始。
1939年(37才)WWII
1945年(43才)WWII終戦イギリスに移住。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで助教授。『開かれた社会とその敵』を発刊。
1946年(44才)ケンブリッジ大学キングスカレッジ倫理科学部の会合でルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインさん(10月26日)と激論。
1958年(56才)『アリストテリアン・ソサイエティ』誌の編集責任者(1年間)。
1965年(63才)エリザベス2世からナイトに叙任。
1959年(57才)英語で『科学的発見の論理』The Logic of Scientific Discovery を発刊。
1969年(67才)学術界を引退。
1994年(92才)ロンドンで死去。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Popper