リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(18) R・シュトラウスさん

▼リヒャルト・シュトラウスさんはワルツ王のヨハン・シュトラウスさんとは違うドイツの作曲家である。イギリスに公演に行った時よく間違えられたという。
▼リヒャルト・シュトラウスさんは、リーゼ・マイトナーさんより年齢が14才上。指揮者としてベルリンやウィーンで活躍していたから、マイトナーさんが演奏会を聞きに行っていた可能性は大。
▼ベルリン・フィルが誕生したのが1882年、1887年にリヒャルト・シュトラウスさんの師匠のハンス・フォン・ビューロー氏を招いてから急成長。師匠が作った縁でリヒャルト・シュトラウスさんも指揮する経験に恵まれる。
▼ビューロー氏が指揮していたマイニンゲン宮廷楽団のコンマスには作曲の面で大きな刺激を受ける。ソプラノ歌手をしていた奥さんの管理のおかげで長期間にわたる作曲活動ができた。おかげで今でも演奏会で取り上げられている。

リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス Richard Georg Strauss 1864-1949 作曲家
1864年、バイエルン王国ミュンヘン生まれ。父はホルン奏者。母はビール醸造所の娘。
教育
幼少時から父親から音楽教育を受ける。
1882年(18才)ミュンヘン大学に入学。
1883年(19才)ベルリンに移る。指揮者ハンス・フォン・ビューロー氏に指揮法を学ぶ。
活動
マイニンゲン宮廷楽団の指揮をしていたビューロー氏の補助指揮者になる。
1885年(21才)マイニンゲン宮廷楽団の指揮者になる。コンサート・マスターのヴァイオリニスト、アレクサンダー・リッターさんから音楽的刺激を受ける。
1889年(25才)交響詩『ドン・ファン』
1894年(30才)バイロイト音楽祭でワーグナーの『タンホイザー』を指揮したときソプラノ歌手のパウリーネ・デ・アーナさんと出会い結婚。
1895年(31才)交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』
1896年(32才)交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』
1897年(33才)息子フランツ・シュトラウス誕生。後にユダヤ人女性と結婚。
1898年(34才)交響詩『英雄の生涯』
1905年(41才)オスカー・ワイルドの戯曲を元にしたオペラ『サロメ』
1908年(44才)詩人フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの台本によるオペラ『エレクトラ』
1910年(46才)詩人フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの台本によるオペラ『ばらの騎士』。大成功
1914年(50才)WWI
1918年(54才)WWI終戦
1933年(69才)ナチスが「帝国文化院」創設(所属者25万人)。その下の帝国音楽院の総裁になる。
1935年(71才)ユダヤ人シュテファン・ツヴァイク氏が台本を担当したオペラ『無口な女』を上演。ナチスから避難される。
1939年(75才)WWII
1940年(76才)『日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲』
1945年(81才)WWII終戦。ナチスに協力したため連合軍の裁判にかけられる。裁判中、ロンドン公演。ロンドン滞在中しばしばヨハン・シュトラウスさんと間違えられる。裁判の判決は無罪。
1948年(84才)『4つの最後の歌』『あおい』
1951年(87才)死去。

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