リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(16) P・ヴィトゲンシュタインさん

▼パウルさんは、哲学者ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインさん(10月26日)の2つ上のお兄さん。ピアニスト。第一次世界大戦で右腕を失くしたので左腕のピアニストとして生きていく。家が富豪なので、高名な作曲家に左手のための作品を依頼する資金力があった。
▼第二次大戦前、ナチスがオーストリアをドイツに併合する。パウルさんの演奏会活動が禁止される。ナチスに危機感を持ち、1938年、アメリカに脱出。しかし、妹はウィーンの自宅を離れようとしなかったので、弁護士らに働きかけ非ユダヤ人の認定を受けられるようにした。
▼1938年と言えば、リーゼ・マイトナーさんがぎりぎりになって身一つで脱出する年。迫る危険を受け止め行動に移すのがどれだけ難しいことか。ヴィトゲンシュタイン家の二人の妹が収容所に送られずに済んだのは例外だろう。

パウル・ヴィトゲンシュタイン Paul Wittgenstein 1887-1961
1887年、ウィーン生まれ。父は製鉄業の成功によってオーストリア近代産業の父と言われるカール・ヴィトゲンシュタイン氏。
1889年(2才)弟のルートヴィヒさんが生まれる。
教育
マルヴィーネ・ブレー先生、テオドル・レシェティツキ先生(12個のピアノロールを残している)、ヨーゼフ・ラーボア先生に師事。
ルードヴィッヒ家を訪れるブラームスさん(10月16日)、マーラーさん(10月22日)、リヒャルト・シュトラウスさんらとピアノ連弾。
活動
1913年(26才)ピアニストデビュー。
1914年(27才)WWI。ポーランド戦線で右手を負傷、切断。ロシア軍の捕虜になる。左手のピアニストになると決意。
1918年(31才)WWI終戦。様々の作品を左手で演奏できるよう編曲、練習。ラーポア先生が作品を提供してくれる。コンサートを再開。
1923年(36才)オーストリアの作曲家、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトによる『左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ調 作品17』
1925年(38才)ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウスによる『家庭交響曲余録 Parergon zur Sinfonia Domestica 作品73 』
1929年(42才)フランスの作曲家、モーリス・ラヴェルによる『左手のためのピアノ協奏曲』
1931年(44才)ロシアの作曲家、セルゲイ・プロコフィエフによる『ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 作品53』
1938年(51才)ナチスがオーストリアを併合。ナチスからコンサート活動を禁止される。アメリカに脱出
1939年(52才)WWII
1940年(53才)イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンによる『ディヴァージョンズ Diversions for Piano (left hand) and Orchestra 』作品21。
1945年(58才)WWII終戦
1946年(59才)アメリカ合衆国の市民になる。ピアノ教育者になる。
1961年(74才)死去。

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