リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(13) R・リルケさん

▼リルケさんはリーゼ・マイトナーさんより3才年上の詩人。詩人の歩みから感じられる風景は物理学者と大いに違う。詩人の目に入るものと物理学者の関心が違うからだろう。
▼リルケさんのミドルネームにマリアが入っているのは、母親が女の子として育てようとしてから。父は軍人精神の人。それだけでもなかなか大変な幼少時代だったことだろう。
▼大学に行くためギムナジウムに入って猛勉強し、通常8年かかるところを3年で済ませる。この集中力はリーゼ・マイトナーさんが2年で済ませたのと通じる。違いは、能力をどの分野に向けるか。
▼リルケさんは北斎や晴信の浮世絵を見て感銘を受け、俳句にも興味を持っていたという。
▼リルケさんを最初に日本に紹介したのは森鴎外先生。

ライナー・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 1875-1926 ドイツ語詩人
1875年、オーストリア=ハンガリー帝国のプラハ生まれ。父は軍人、退役して鉄道会社勤務。母はユダヤ人。
1880年(5才)母は女の子として育てる。
1884年(9才)母が父と離婚。
教育
1886年(11才)陸軍幼年学校に入学。詩を作り始める。
1890年(15才)士官学校に進学(1年後に中退)。
1891年(16才)リンツの商業学校に入学。『ダス・インテレサント・ブラット』誌に詩が掲載される。
1892年(17才)商業学校を退学。大学進学を目指し、プラハのギムナジウムの特別聴講生になる。叔父の援助で個人授業を受け8年分のギムナジウムのカリキュラムを3年で終え卒業。
1894年(19才)処女詩集『いのちと歌』出版。
1895年(20才)ギムナジウムを卒業。プラハ大学とミュンヘン大学で文学、美術、哲学を学ぶ。ミュンヘンでは芸術家と交流。
1897年(22才)ルー・アンドレアス・ザロメさん(36才)夫妻と知り合う。ベルリンに住みベルリン大学に通う。
活動
1898年(23才)イタリア旅行。芸術家と交流。
1899年(24才)『わがための祝い』を出版。ザロメ夫妻とロシア旅行。多くの芸術家と交流を持つ。トルストイさん(71才)と知り合う。
1900年(25才)ザロメさんとロシアを再訪。北ドイツのヴォルプスヴェーデ村を訪問。
1901年(26才)女性彫刻家クララ・ヴェストホフさん(23才)と結婚、ヴォルプスヴェーデの隣村に住む。経済的に困窮。パリに出て北斎や晴信の浮世絵を見て感銘を受ける。
1902年(27才)『ロダン論』執筆のためパリでオーギュスト・ロダンさん(62才)との交流が始まる。短期間、奥さんのクララさんがロダン先生に師事。
1904年(29才)お気に入りの『北斎漫画』を携えてスウェーデン旅行。
1907年(32才)『新詩集』出版。
1909年(34才)『旧詩集』出版。
1910年(35才)『マルテの手記』出版。イタリアでアンドレ・ジッドさん(41才)に出会う。
1912年(37才)『ドゥイノの悲歌』の執筆を開始。
1914年(39才)WWI。ライプツィヒ滞在中に大戦が始まったためパリに戻れず。軍の招集を受けウィーン部隊の文書課に配属。
1916年(41才)著名人の請願により兵役解除。
1918年(43才)WWI終戦
1919年(44才)スイスで創作活動。
1920年(45才)フランスの文芸誌『新フランス評論』で俳句を知る。
1921年(46才)フランスの詩人ポール・ヴァレリーさん(50才)の詩のドイツ語翻訳を開始。
1923年(48才)健康状態が悪化しサナトリウムに入院。『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』
1924年(49才)ヴァレリーさんが訪問。
1926年(51才)白血病により死去。
1927年、茅野蕭々の『リルケ詩抄』で日本に紹介される。

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