リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(12) F・カフカさん

▼これから何度かに渡り、リーゼ・マイトナーさんと世代を同じくする世紀末ウィーンの時代の作家を見る。まず、フランツ・カフカさん。ある朝、起きると虫になってる『変身』の作者。村上春樹さんは『海辺のカフカ kafka on the shore』を書いた。両方ともとても面白いので読むと良い。
▼カフカさんのwikipediaをみると、物理学者と小説家では生きている世界がまるで違うことが分かる。そして、違っているのが、また、良い。
▼カフカさんのエピソードを一つ。カフカさんが旅先で友人と公園を散歩しているとき、人形を失くして泣いている女の子と出会う。カフカさんは女の子をなぐさめるために人形は旅に出たのだ、と説明。翌日、人形からの手紙といって自分が書いた文章をその子に渡す。これを滞在中続け、その地を去るとき、女の子に別の人形をプレゼントして「(人形が)旅に出たことで姿が変わった」と説明したという。

フランツ・カフカ Franz Kafka 1883-1924 小説家。
1883年、オーストリア=ハンガリー帝国のプラハ生まれ。父は高級小間物商、母は裕福で教養のある家庭の出。ユダヤ人。
教育
1889年(6才)フライシュマルクトの小学校に入学。
1893年(10才)プラハ旧市ギムナジウムに入学。授業の3分の1はラテン語と古代ギリシア語。数学が苦手、体育が好き。ボート漕ぎが趣味。
1901年(18才)ギムナジウムを卒業。プラハ大学に入学、法学を専攻。テニスに興ずる。
1902年(19才)1才年下の作家マックス・ブロートさんと出会う。
1906年(23才)プラハ大学で法学博士。弁護士事務所やプラハ地方裁判所で司法研修(1年間)。
活動
1907年(24才)イタリア系企業、アシクラツィオーニ一般保険会社プラハ支店に入社。忙しすぎる毎日。
1908年(25才)プラハ市内の半官半民「労働者傷害保険協会」に転職。午後の時間を小説の執筆に充てる。ブロートさんの紹介で文芸誌『ヒュペーリオン』創刊号に『観察(小品8編)』が掲載。
1909年(26才)『ヒュペーリオン』に『ある戦いの記録』が掲載。
1911年(28才)イディッシュ語(ドイツ語に近いユダヤ後)劇団と交流。
1912年(29才)ユダヤ人女性フェリーツェ・バウアーさんと出会う。『観察』出版。『失踪者』
1913年(30才)労働者傷害保険協会の書記官主任になり30人の部下を抱える。工場視察のさいには安全のため軍用ヘルメットを着用し、これが工場での安全ヘルメット着用が定着するきっかけとなる。『火夫』出版。
1914年(31才)WWI保険協会が軍に「業務上不可欠」の申請を出し徴兵免除。6月、フェリーツェ・バウアーさんと婚約。結婚で執筆が妨げられる不安から7月、婚約破棄。
1915年(32才)初めて一人暮らしを始める。7月、フェリーツェ・バウアーさんと再度婚約。8月に喀血、12月、肺結核のため婚約破棄。『変身』出版。
1916年(33才)寒い部屋で夜明けまで執筆。結核を「自ら招き寄せた病」と考えた。『判決』出版。
1917年(34才)小村チェーラウで療養。チェコ語、フランス語、ヘブライ語の勉強を始める。
1918年(35才)WWI終戦。プラハに戻り職場復帰。スペイン風邪にかかり肺にダメージ。
1919年(36才)シュレーゼンで保養。『流刑地にて』出版。
1920年(37才)『火夫』のチェコ語翻訳が始まる。労働者傷害保険協会の秘書官になる。『田舎医者』出版。
1922年(39才)労働者傷害保険協会を秘書官主任で退職。『城』
1923年(40才)バルト沿岸のミューリツに滞在。
1924年(41才)『断食芸人』出版。結核のためウィーンで死去。
1925年、ブロートさんによって『審判』 出版。
1926年、ブロートさんによって『城』出版。
1927年、ブロートさんによって『アメリカ』出版。

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