リーゼ・マイトナーさんとキャヴェンディッシュ研究所の神々(9) 中性子の発見者、原爆計画のキーパーソン:J・チャドウィックさん

▼チャドウィックさんは研究者仲間のリーゼ・マイトナーさんからポロニウムを貰い、中性子を発見してノーベル物理学賞を受賞する。リーゼ・マイトナーさんの甥のオットー・フリッシュさんもチャドウィックさんとリバプールとロスアラモスで同業者として仕事をする。
▼「物理学者、科学者外交官、善良、賢明、人情のある男 a physicist, a scientist-diplomat, and a good, wise, and humane manと言われる人生を送った人。マンハッタン計画にイギリス代表として関わり、「自分の発見が人の運命にどんな結果をもたらすのかを見た初めての人物 never before in history had any man lived to see his own discovery materialize itself with such telling effect on the destiny of man」と評された。

ジェームズ・チャドウィック James Chadwick 1891-1974
1891年、イングランド北部のチェシャー州生まれ。父は紡績職人。
教育
1895年(4才)両親がマンチェスターに転居。
Central Grammar School for Boysに通う。
1908年(17才)奨学金を得てマンチェスター・ビクトリア大学に入学。ラザフォード先生(11月14日)の指導を受ける。
1911年(20才)マンチェスター・ビクトリア大学を優等成績で卒業。
1912年(21才)マンチェスター・ビクトリア大学で修士(理学)(指導教員はラザフォード先生)。Beyer Fellowになる。最初の論文を発表(ラザフォード先生との共著)。
1913年(22才)奨学金を得てベルリンに行きPhysikalisch-Technische Reichsanstaltのハンス・ガイガーさんのもとでベータ線の研究。
1914年(23才)WWI。ドイツのルーレーベン収容所に抑留。実験室を作り研究を続行。
リンのイオン化実験、一酸化炭素と塩素の光化学反応を研究。
1918年(27才)WWI終戦。釈放されマンチェスターに戻る。ラザフォード先生の推薦でマンチェスター大学で非常勤講師。
1919年(28才)ラザフォード先生がキャベンディッシュ研究所の所長に就任、スタッフとして加わる。
1920年(29才)奨学金を得てケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの博士課程に入学。
1921年(30才)ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジでDoctor of Philosophy(指導教員はキャベンディッシュ研究所のラザフォード先生)。フェローになる。
活動
1921年(30才)キャベンディッシュ研究所でラザフォード先生の助手
1925年(34才)結婚。
1928年(37才)ケンブリッジで開かれたベータ粒子とガンマ線会議でガイガー先生と再会。ガイガーミュラーカウンターを見せてもらう。リーゼ・マイトナーさんがドイツから約2ミリキュリー(約0.5 µg)のポロニウムを実験のために送ってくれる
1932年(41才)中性子を発見。ネイチャーに”Possible Existence of a Neutron”(中性子の存在可能性)を送付、”The Existence of a Neutron”(中性子の存在)を王立協会紀要に送る。
1935年(44才)リヴァプール大学で教授(物理学)。サイクロトロン建造計画に着手。ノーベル物理学賞を受賞(中性子の発見による)。
1939年(48才)WWII。リヴァプール大学サイクロトロン完成。リーゼ・マイトナーさんと甥のオットー・フリッシュさんが核分裂の概念を発表。スウェーデンの田舎で家族と休暇中にWWIIが起こったのでWWIの時のように収容所に入ることになっては大変とすぐリヴァプールに戻る。科学技術研究庁のエドワード・アップルトン大臣から原子爆弾の実現可能性を尋ねられ調査開始。
1940年(49才)フリッシュさんとルドルフ・パイエルスさんがウラン235を使用する原爆の実現可能性を論文にする。
1941年(50才)空中戦科学調査委員会(CSSAW)の小委員会としてMAUD委員会が設置される。MAUD報告を執筆。V・ブッシュさんが受け取りルーズベルト大統領と相談しマンハッタン計画へ進む。マンハッタン計画にイギリスチームの長として参加。
1943年(52才)英米カナダが連携を組むケベック協定が発効、マンハッタン計画の実現体制ができる。マンハッタン計画の指導者レズリー・グローヴス少将と緊密に計画を実行。オーク・リッジの施設を見てイギリスでは原爆製造は実現不可能だったと悟る。
1944年(53才)ロスアラモスに一家で転居、マンハッタン計画の実現に尽力。
1945年(54才)トリニティ実験に出席。WWII終戦。ナイトになる。ワシントンDCに一家で転居。
1946年(55才)イギリスに戻る。原子力諮問委員会(ACAE)の委員、国連原子力委員会のイギリス科学顧問になる。
1948年(57才)ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの学寮長になる。
1950年(59才)コプリ・メダルを受賞。
1956年(65才)ニュートリノが観測。
1959年(68才)ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの学寮長を退職。
1974年(83才)死去。

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https://en.wikipedia.org/wiki/James_Chadwick