リーゼ・マイトナーさんとキャヴェンディッシュ研究所の神々(3)原子のモデルを示した:E・ラザフォードさん

▼ニュージーランドで農業を営む家庭の生まれ。奨学金で大学に進学。高校の先生になろうとしてして試験を受けると3回不合格。研究職学金を得てニュージーランドを出てイギリスに渡る。ここから世界が広がる。
▼原子核の発見者であり、原子核の「壊し手」でもあった。原子は、原子核を中心に電子が回るモデルを打ち立てた。原子物理学の父と称えられる。
▼リーゼ・マイトナーさんより7つ年長、ほぼ同時代人。
▼参照:8月18日にラドンの発見者として本ブログで紹介している。

アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherford 1871-1937 原子物理学の父
1871年、ニュージーランド生まれ。父はイングランド出身の農夫、母は教師。
教育
1882年(11才)Havelock School 中学校(1890年まで)。
1887年(16才)Nelson College(高校)入学。
1890年(19才)奨学金を得てニュージーランド大学カンタベリー校に入学。
1892年(21才)ニュージーランド大学カンタベリー校で鉄の磁化を研究しBA(教養)。
1893年(22才)ニュージーランド大学カンタベリー校で数学と数理物理学を専攻しMA(教養)。高校講師の試験に落ち諦める。
1894年(23才)ニュージーランド大学カンタベリー校で地質学と物理学を専攻しBA(理学)。
1895年(24才)研究奨学金を得てケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所研究員。指導教員はJJ・トムソン先生(11月13日)。
活動
1897年(26才)ケンブリッジ大学で学士。
1898年(27才)ウランからα線とβ線が放射されていることを発見。モントリオールのマギル大学で教授(物理学)。
1899年(28才)α線とβ線を分離。
1900年(29才)化学者のF・ソディ氏(1921年ノーベル化学賞受賞)とラドン(と後で命名される物質)、ラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を始め、半減期の概念を創出。ニュージーランド大学でPh.D.(理学)。
1902年(31才)放射性元素変換説を提唱。
1903年(32才)ロンドン王立協会会員。
1907年(36才)マンチェスター大学で教授(物理学)。ドイツの物理学者H・ガイガー氏とα粒子の計数に成功。
1908年(37才)ノーベル化学賞を受賞。「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」
1910年(39才)23才のH・モーズリーさん(5月27日)が助手になる。
1911年(40才)原子核を発見。ラザフォードの原子模型を発表。惑星が太陽の周りを回るイメージで原子をとらえた。
1914年(43才)WWI。ナイトになる。
1915年(44才)モーズリーさん(27才)が狙撃を受けて戦死。イギリスの原子物理学の打撃となる。以後イギリスは科学者が戦闘参加を禁じた。
1918年(47才)WWI終戦
1919年(48才)ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ教授、キャヴェンディッシュ研究所長。α線を窒素原子に衝突させ(原子核を壊した)、原子核の人工変換(原子核を壊した)に成功。
1920年(49才)中性子と重水素の存在を予言。
1922年(51才)コプリ・メダルを受賞。
1926年(55才)ロンドン王立協会長。
1931年(60才)英国物理学会長。
1937年(66才)死去。
1937年、原子番号104の元素がラザホージウム (Rutherfordium) と命名。

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