マックス・プランクさんの関係者(13)プランクさんが人として信頼した:H・ローレンツさん

▼ローレンツさんは、オランダが誇る大科学者。「放射現象に対する磁性の影響の研究」でノーベル物理学賞を受賞。
▼ローレンツさんはプランクさんより5才年上。プランクさんはWWIが始まったときドイツの戦争を支持するマニフェストに署名した。これを後悔したプランクさんはローレンツさんの助言を受け入れて謝罪している。プランクさんとナチス政権は常に緊張感をはらむ関係になる。
▼ナチス政権から逃れたアインシュタインさんはローレンツさんを自分にとって最重要な人物と考えていた。ローレンツさんの理論的な土台の上にアインシュタインさんは特殊相対性理論を立てたから。Wikipediaによるともともとは「ローレンツ-アインシュタイン理論」と言われていたそうだ。
▼オランダが国を挙げて行った干拓事業「締切大堤防」の影響のシミュレーションを行う委員会の長を務めて正確な予測を出した。工事が完成した1933年はすでにローレンスさんは亡くなっていたが、関門の一つに名前が付けらている。

ヘンドリック・ローレンツ Hendrik Lorentz 1853-1928
1853年、オランダのヘルダーラント州アーネム生まれ。父は裕福な園芸家。
教育
1861年(8才)母親が死去。
1866年(13才)地元アーネムのHogere Burger Schoolに入学。
1869年(16才)Hogere Burger Schoolを卒業。大学入学資格試験の準備。
1870年(17才)ライデン大学入学。物理学と数学を学ぶ。天文学者のフレデリク・カイセル先生に出会い物理に興味。
1872年(19才)ライデン大学で学士。アーネムの夜間学校で教師(数学)を務めながら博士課程学生。
1875年(22才)ライデン大学で博士(指導教員はピーター・レーケ先生)。「光の反射と屈折の理論について」
活動
1878年(25才)ライデン大学で教授(理論物理学)。
1881年(28才)F・カイセル先生の姪と結婚。
1895年(42才)フィッツジェラルド-ローレンツ収縮。
1896年(43才)ピーター・ゼーマンさんが「ゼーマン効果」を発見。これに理論的解釈を行う。
1899年(46才)「局所時間」
1900年(47才)アンリ・ポアンカレさんが局所時間を高評価。
1902年(49才)ノーベル物理学賞(放射現象に対する磁性の影響の研究)。ピーター・ゼーマンさん(12月26日)と同時受賞
1904年(51才)「時間の遅れ」
1905年(52才)ポアンカレさんが「時間の遅れ」をローレンツ変換と命名。アインシュタインさんが特殊相対性理論を発表。王立協会外国人会員。
1909年(56才)数理物理学の論集 “Theory of Electrons” を出版。
1911年(58才)第1回ソルベー会議で議長。
1912年(59才)ライデン大学を引退、客員教授。
1914年(61才)WWI。プランクさん(56才)がドイツの戦争を支援する「93人のマニフェスト」に署名。
1915年(62才)ローレンツさんの助言に従い戦争に対する考え方を改めたプランクさんがマニュフェストに署名したことを非公式ながら謝罪。
1918年(65才)WWI終戦。コプリ・メダル受賞。オランダのアイセル湖と北海を仕切る世界最大の「締め切り大堤防」計画の影響予測委員会の委員長(1926年まで)。同堤防は1933年に完成、予測の正確さが確認された。
1928年(75才)ハールレムで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ フレデリク・カイセル Frederik Kaiser 1808–1872 オランダの天文学者。
□ ピーター・レーケ Pieter Rijke 1812–1899 指導教員。オランダの物理学者。
弟子
■ ピーター・ゼーマン Pieter Zeeman 1865-1943 オランダの物理学者。ノーベル賞を共同受賞。
関係筋
□ アンリ・ポアンカレ Jules-Henri Poincaré 1854–1912 フランスの数学者。
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955
□ ポール・エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880-1933 ライデン大学の後任教授。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Hendrik_Lorentz