マックス・プランクさんの関係者(11)音速のマッハ:E・マッハさん

▼プランクさんは最初マッハさんの影響を受けていた。しかし後、物理学上の見解でマッハさんの考え方を批判する立場をとった。年齢はプランクさんがマッハさんより20才年下。
▼マッハさんは、音速の単位マッハの由来になった人物。砲弾が音速を超えて飛んでいる有名な写真を撮影し発表した(1887年)。いったいどうやって撮影したのだろう。

エルンスト・マッハ Ernst Mach 1838-1916
1838年、オーストリア帝国モラヴィア州(現チェコのモラヴィア)生まれ。父は教育者。
教育
1852年(14才)家庭で両親から教育を受けたあとギムナジウムに入学。
1855年(17才)ウィーン大学入学。物理学を学ぶ。
1860年(22才)ウィーン大学で博士(物理学)。指導教員はAndreas von Ettingshausen先生。
1861年(23才)教授資格を取得。光や音を対象にしたドップラー効果を研究。
活動
1864年(26才)グラーツ大学で教授(数学と物理学)。
1867年(29才)プラハ大学で教授(実験物理学)。
1877年(39才)超音速に関する論文を発表。
1883年(45才)科学史三部作その1『力学の発達』発表。
1886年(48才)認識論の著作『感覚の分析』発表。
1887年(49才)物体が音速を超えたときに起きる衝撃波の写真を発表、世界初
1895年(57才)ウィーン大学で教授(帰納論理学)。「機能的科学の歴史と理論」を講義。
1896年(58才)科学史三部作その2『熱学の諸原理』発表。
1901年(63才)オーストリア貴族院議員。大学退職。
1905年(67才)認識論の著作『認識と誤謬』出版
1914年(76才)WWI
1916年(78才)ミュンヘン郊外で死去。
1921年、死後、科学史三部作その3『物理光学の諸原理』発表。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ Andreas von Ettingshausen
弟子
□ Heinrich Gomperz
□ Ottokar Tumlirz
関係筋
■ ルートヴィッヒ・ボルツマン Ludwig Boltzmann
■ ヴォルフガング・パウリ Wolfgang Pauli
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein

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https://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Mach