L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(1) ルートヴィッヒ・ボルツマンさん

▼マイトネリウムMtは、1982年にドイツの重イオン研究所GSIが発見した。GSIは高エネルギー加速器を使い、1981年にボーリウムBh、1984年にハッシウムHs、1994年にダームスタチウムDsとレントゲニウムRg、そして1996年にコペルニシウムCnを発見している。
▼マイトネリウムの名前の由来は、プロトアクチニウムPaの発見者リーゼ・マイトナーさん(8月23日)である。
マイトナーさんは、核物理学のパイオニアであるだけでなく、女性が大学で専門を学びその後のキャリアを開拓するパイオニアであり、第一次と第二次の二つ大戦を生き延びたユダヤ人である。マイトナーさんの人生は山あり谷ありの連続である。その歩みを見ると独特の人間味が感じられ、率直に言って素晴らしい。そこで、マイトナーさんの歩みに影響した人物を20名とりあげ、どんな作用反作用が起きたのかをみていこう。

▼マイトナーさんの復習:1878年、ウィーン生まれ。ユダヤ系の家庭。父は弁護士。8人兄弟。ギムナジウムは女性の入学を認めていなかった時代。
小学校、高等小学校で学ぶ(学問的には回り道)。
1892年(14才)高等小学校を卒業。フランス語教師になり収入を得る。
1899年(21才)フランス語教師を辞め入試勉強を開始。
1901年(23才)大学入学資格試験に合格、ウィーン大学に入学。L・ボルツマン先生(58才)の講義に感銘を受ける。

ボルツマン先生のご専門は?
気体の分子論、熱力学、統計力学を専門とした物理学者、哲学者。エントロピーや原子を概念から統計力学から見直して実在のものと考えた先駆的な科学者。

どんな関係?
熱い講義を行う先生と受講生の関係。マイトナーさんがウィーン大学に入学したとき、ボルツマン先生がちょうどウィーン大学に赴任するタイミングだった。ボルツマン先生の講義は学生に人気で、受講したマイトナーさんも後々までその講義を賞賛した。

どんな人生?
初中等教育は家庭で両親に学ぶ。高校はリンツ。大学はウィーン大学。 ヨーゼフ・シュテファン先生に評価され、助手にしてもらった後、電磁気学のマクスウェルさんを紹介されたり、就職先を世話してもらう。シュテファン先生が退任した後、後継者になる。師匠との関係は非常に恵まれている。また、ブンゼンさん、キルヒホッフさん、ヘルムホルツさん、マクスウェルさんらと学問的交流を盛んに行い、新理論の開拓を進めた。

年表
ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン Ludwig Eduard Boltzmann
1844年、ウィーン生まれ。 父は税務官。
教育
教育は両親から受ける。
作曲家でオルガニストのアントン・ブルックナーにピアノを習う。生涯、ピアノ演奏をたしなむ。
リンツ高校に入学。
1863年(19才)ウィーン大学に入学。数学と物理学を学ぶ。
1866年(22才)ウィーン大学で博士号を取得。
1867年(23才)物理学者ヨーゼフ・シュテファン先生の助手になる。先生からマクスウェルの学問を紹介される。
活動
1869年(25才)シュテファン先生の推薦でグラーツ大学の教授(数理物理学)。R・ブンゼンさんと知り合う。
1871年(27才)ベルリンでG・キルヒホッフさんやH・ヘルムホルツさんと知り合う。
1872年(28才)熱現象の不可逆性を証明。
1873年(29才)ウィーン大学の教授(数学)。(76年まで)
1876年(32才)グラーツ大学の教授(実験物理学)。
1877年(33才)ボルツマンの関係式やボルツマン定数を発表。
1884年(40才)シュテファン=ボルツマンの法則を発表。
1887年(43才)グラーツ大学の学長。
1890年(46才)ミュンヘン大学の教授(理論物理学)。
1894年(50才)シュテファン先生の後継者としてウィーン大学の教授(理論物理学)になる。
1900年(56才)ライプツィヒ大学の教授。
1901年(57才)マイトナーさんがウィーン大学に入学。
1902年(58才)再度、ウィーン大学の教授(理論物理学)。
1906年(62才)マイトナーさんがウィーン大学から博士号を取得。
1906年(62才)双極性障害。死去。

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