プロメチウムPmの発見者のひとり J・マリンスキーさん

原子爆弾製造のマンハッタン計画に参加し、化学者として研究を進める過程で同僚と共にプロメチウムを発見。マンハッタン計画の成果である原爆を日本に投下するかどうかの分かれ目のとき、投下を止める嘆願書に署名。戦後、勤めていた大学から合衆国への忠誠を誓う誓約書への署名を求められたとき、市民の自由を侵すものとして拒否、いったんは失職。だが最後は大学から名誉教授を贈られ表彰も受けている。筋を通す生き方に感動する。

ヤコブ・A・マリンスキー Jacob Akiba Marinsky 1918-2005 化学者

1918年、ニューヨーク州バッファロー生まれ。
教育
1934年(16才)ニューヨークのバッファロー大学に入学。
1939年(21才)バッファロー大学から学士(化学)を取得。

 発見
1944-46年(26-28才)第二次世界大戦中、マンハッタン計画にオークリッジ国立研究所の化学者として参加。
1945年(27才)ローレンス・E・グレンデニンさん、チャールズ・D・コルエルさんと共同で、イオン交換クロマトグラフィー法によって、新しい希土類61番の単離に成功。マンハッタン計画のメンバーでありながら、日本への原爆投下に反対する嘆願書に署名する科学者の一人だった。

命名
コルエルさんの奥さんグレースさんの提案で、神話のプロメテウスの名前からプロメチウムと命名。プロメチウスは神々から火を盗んで人に与えたのでゼウス神から罰せられたというエピソードの神である。オークリッジ国立研究所の当時の名前がClinton研究所だったのでクリントニウムにする案もあった。

その後
1947年(29才)第二次世界大戦が終わったので、アメリカ化学学会でプロメチウム発見報告を行う。
戦争が終わったのMITに入学。
1949年(31才)MITからPh.D.(核無機化学)取得。
1957年(39才)バッファロー大学教員。
1960年代(40代)バッファロー大学が教員に合衆国への忠誠を誓わせる書類への書名を要求。市民の自由を犯すものとして拒絶し、職を失う。
1988年(68才)バッファロー大学の名誉教授になる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_A._Marinsky
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A6%E3%83%A0#:~:text=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A6%E3%83%A0%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20promethium%20%5Bpro%CA%8A%CB%88mi%CB%90%CE%B8i%C9%99m,%E5%90%8C%E4%BD%8D%E4%BD%93%E3%81%AF%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82