ニッケルNiの発見者 A・クルーンステットさん

▼ニッケルという言葉は、ドイツ語で「悪魔の銅」を意味するKupfernickelから来たもの。Kupferは銅copperのことなので、nickelは「悪魔の」という意味になる。なぜそんな表現になったのかというと、銅鉱石に似ているので冶金師たちが銅を取り出そうとする。しかし実はニッケル鉱石なので銅は出てこない。それで悪魔にたぶらかされた、といってKupfernickelと呼んだ。ニッケルにとっては迷惑な話だ。
▼発見者のクルーンステットさんの父親はスウェーデン軍に所属する技術者で、軍命で鉱物調査をしたとき一緒について回ったことがある。実際に鉱山を回った経験から、鉱物への関心が高まった。子供の頃から科学少年だったので、予備知識は十分あったところに現場を見て刺激されたのだろう。
▼調査から戻ったあとウプサラ大学でG・ブラント先生の下できっちり化学を学ぶ。見逃せないのは吹菅 blowpipeで鉱物から元素を発見する手法を開拓したことだ。クルーンステットさんも自分の方法論をもっていたことがニッケル発見につながった。人と同じ方法で同じ対象物を分析しても出てくる結果は同じだ。しかし、違う方法を持つと違う結果を導き出せる可能性がある。

アクセル・フレドリク・クルーンステット Axel Fredrik Cronstedt  1722-1765
スウェーデンの化学者、鉱物学者

1722年、スウェーデンのストレープスタ生まれ。父は軍所属の技術者。
教育
1738年(16才)ウプサラ大学の非登録学生として化学のJ・G・Wallerius先生や天文学のA・Celsius先生の講義を聞く。
1743年(21才)父の秘書として軍の調査活動に参加。鉱山や鉱物への関心が高まる。
1746年(24才)ウプサラ大学に入学しコバルトCoの発見者イェオリ・ブラント先生(9月6日)の元で化学と試金法を学ぶ。
1748年(26才)ウプサラ大学を卒業。
活動
吹菅 blowpipe を使った元素分析法を開拓
1751年(29才)吹菅分析法で灰重石(タングステン)を発見
1751年(29才)ニッケルNiの単離に成功
1754年(32才)ニッケルと命名。ドイツ語で悪魔の銅 Kupfernickel が由来。銅鉱石と似ているのに銅を取り出せなかったから冶金師が悪魔の仕業と考えた。
1756年(34才)「ゼオライト」を造語。
1758年(36才)鉱山局の鉱業監督になる。
1765年(43才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Axel_Fredrik_Cronstedt
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB